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銀河の草原で戯れるように言葉を紡いでいます。 形式に囚われない言葉を模索していますが、特に貪欲ではありません。 本当に、ただ遊んでいたいだけです。 長編・中編は書きません。詩と文章の間を彷徨いながら、読者に小さなギフトを手渡せたらいいと思っています。

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静寂の中で木蓮を見上げる

15/03/11 コンテスト(テーマ):第七十八回 時空モノガタリ文学賞 【 嫉妬 】 コメント:0件  閲覧数:1500

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幼い頃から殆ど誰に対しても妬むことなどなかった私。そもそも人という生き物に興味がなくて、動植物に深い関心を示し土や草木の匂いを愛し、音楽を友に持った私。

そんな私は母親に「みんなもっと凄い人たちばかりなのだから、あなたの努力など一日で追い抜かれてしまうのよ。」と言われ続け、私はその言葉を信じて来る日も来る日もピアノの鍵盤にしがみついて、出来る限りの努力をし続けた。
気が付くと私は誰よりも演奏の上手い子に成長していた。

優秀な生徒だけが入室出来る母校系列の音楽教室に無事合格。教室は全部でAからFまであり、通常はFクラスから徐々にAに向かって生徒がグレードを上げて行く。
Fクラスの授業は私にとってはまるで幼稚園児が受ける音楽の時間みたいな内容で退屈だったが、翌週校舎に足を踏み入れた途端に私は教務課に呼び出され「今日は302の部屋に入って下さい。」と言われた。

そこはBクラスと呼ばれる、Aの一つ下のグレードの部屋だった。
そして翌週私は再び「今日は301の部屋に行って下さい。」と教務課に言われ、私は入室三週目にして一気に音楽教室の最高レベルと言われるクラスへと走り抜け、その後は学年一番の座を誰にも明け渡さなかった。

私の不幸はその瞬間、目に見えて始まったと思う。
デキる子…と呼ばれる生徒たちの目は冷たく、ジリジリと突き刺す氷のナイフのように私の背中を凍傷でも与えるかのように焼き尽くして行く。
これは試練だと思い、むしろ授業の内容ではなく彼等優等生の虐めに遭わぬように…ということの方に意識を集中させながら、それでも中学三年間を含む八年間のカテゴリーを終えて私は無事、母校である(当時は日本一難関と言われていた)音楽高校受験に合格した。

だが私の、本当の意味での葛藤と戦争はここから始まった。母は私を完全な監視体制下に置いたと同時に、誰の目にも見える顔や首、腕などの場所にあからさまな暴力を加えるようになった。

母は私に、表向きは最高の指導と名の付く事実上の体罰を与え、私がそれに屈して困難なハードルを血だらけでリタイアする姿を常に思い描いていた。よくあることかもしれない。
「うちの子はデキが悪いのよ。」という巷の母親の理想とは、実は潜在的にはそういう子供との親子関係に於いて母側が優位に立って子供を蔑む関係性なのだから。
我が家の親子関係もそれに似ていたか、或いはその最悪最強のパターンだったと思う。

私は羨望の対象から一気に、母の嫉妬の対象となった。
音楽高校に入学すると、私は年中通じて一着か二着の衣服しか与えられなかった。そして他の生徒は皆音楽高校生らしく時折外食などをしているのに、私は毎日お弁当を持たされた。
家が貧乏だったからではなく、私が学内で孤立し親に救いを求める負け犬と化すよう母が仕組んだことだった。

母はまるでテロリストのように、私に色々な無理難題を強いっては前途を妨害し続けたが、私はその壁を「高成績」という結果とスキルで吹き飛ばし、母からの無理難題を全て克服して行った。
だが母の嫉妬とそれにともなう虐待はその後益々過激化し、24歳で私を実家から完全に追い出すまで続いた。

以後の私はその影響でアダルト・チルドレンという病気を発症した事を知りながらも、社会的には何事もなかったように演奏家という仕事を20年強の期間勤め上げ、その間にアダルト・チルドレンをも克服し二度目の再婚を果たした。

私は知っていた。
私が幸せになる事、そして障害を持った私が幸せを手にするプロセス全体が世の嫉妬の対象となっている事を。案の定私が再婚した時、それまで親しくしていた同業者が夫に対し色目を使い夫を誘惑して来た。彼女の心の声が「こんな結婚、壊してやる。」と囁いた。
そう、これも嫉妬。でも実は夫も私と同じ分子としてこの世界に生きており、その種の誘惑には全く動じるどころか私を悪質な業界から救い出してくれた。

私達は世の嫉妬を避ける為に全ての人間関係を期間限定つきで遠ざけ、そのまま隠居生活にも見えるような静かな生活を今も営んでいる。

世の嫉妬の対象となった人間が嫉妬の対象から足抜けするには、世捨て人になること、これしかない…と言うのが今の私の結論だ。
但し私達夫婦は普段は、世を忍ぶ仮の姿を纏いながら静かに世間と関わって生きている。

よって今私が暮らしている街の中に、私が実は少し有名なピアニストだと知る人はおそらく誰も居ない。


- 完 -



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