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笹峰霧子さん

性別 女性
将来の夢 健康になりますように。
座右の銘 自立。いくつになっても夢を持つ。

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楽しかった通学路

15/03/11 コンテスト(テーマ):第七十九回時空モノガタリ文学賞 【 通学路 】 コメント:3件 笹峰霧子 閲覧数:1298

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 私は小学四年生に進級した春、田舎の小学校から兵庫県鳴尾村の小学校へ転校した。我が家は母子家庭で、母は田舎村で内科小児科耳鼻科の医院を開業していた。三年生の一年間だけ私を祖母の元に残して私達親子は離ればなれの生活をしていたが、翌年の春に母は私を自分の元に呼び寄せた。
 
 田舎の学校への通学路は田や畑の中の細い道を通って、子供の足で30分ほどで学校に着いた。途中の道々、四季折々の野草や大麦小麦ゴマなどが生えており、農閑期に入り冬を越した田んぼはレンゲの花園と化し、畔には菫やタンポポなどが咲いた。道の真ん中を通せんぼして烏蛇がどぐろを巻いていることもあった。怖かったけど仕方なくぴょんと飛び越えて走り過ぎたものだ。
 
 今思えば長閑としか言いようのない風景だったのである。そういう自然に囲まれた暮らしに幸せを感じていたかといえば、子供心にそうでもないと思えたのである。小さな学校なので数少ない友達の間では良いことばかりではなかった。
 
 その環境を離れて、私は都会の小学校で勉強をすることになったのだった。
 田舎の木造の校舎しか見たことがない私は、転校先の大きなビルの校舎を目の当たりにしてカルチャーショックを受けたといっても過言ではない。…が大きな夢が膨らむ思いもしたのである。

 通学路は浜甲子園の自宅から徒歩でちんちん電車の乗り場まで歩いた。終点の停車場「浜甲子園」から電車に乗って四つ目の「球場前」という停車場で電車を降り学校まで歩いた。
 四年生の新学期が始まった当初は一緒に行ってくれる友達がいなかったので、独りで登下校していた。今の世相のように怪しい者が存在する報道はなかったので、親も子も安心していられた。
 電車に乗ること自体、田舎者の私はうれしくてしょうがなかった。
 四年生の二学期が始まる頃から、浜甲子園に住む友達や途中まで一緒に帰れる友達がたくさんできた。次第に学校の行き帰りは楽しい時間となって行った。家に帰っても母はまだ仕事先から帰っていなかったので、家に帰っても晩まで独りで過ごすことが多かったからだ。
 四年生から五年生になる頃、母の会社が他にも寮を作ることになった。
 そこは球場前の停車場に近いアパートで、母子家庭だからということで四畳半の座敷の部屋と廊下を挟んだ狭い台所しかなかったが、新築なので木の匂いがして快適な暮らしに思えた。
 小学校からも近かった。クラスが変わって新しい友達もできたので一緒に歩いて帰った。学校のちかくにテントを張ったような店があり、母からもらっているお小遣いでおはじきや輪ゴムやゴム風船など色々好きなものを買って帰るのがとても楽しみで、毎日その店へ寄っていた。そのころは学校の規制もなく、先生からそのことを注意されたことは一度もなかった。

 記憶の中に一度か二度おかしなことがあった。
 その一つは、私が独りで帰っていたとき、後ろから男子数名が列をなしアパートまで付いてきたことだ。クラスで一番体格の良い子がボスで、あとはその子の配下という感じのグループだった。私に付いてきたのは、私が仲良くしている女の子が好きだったので何とか繋ぎを作って欲しかったという気がした。
 
 その二は、ピアノを習いに上甲子園に電車で通っていたことから始まる。ボスが好きだという女の子が誘ってくれて、一緒にピアノの先生の家までレッスンに通っていたときのこと。レッスンの日には渡さんという女の子に付いて上甲子園に行くので、いつもの通学路は通らなかった。
 ある日の学級会の時間に、金持ちの女の子が手をあげて言った。「けいこちゃんわたしが誘っても一緒に帰ってくれませんでした……」と。「わたしから隠れたんです…」とも。
 
 するとクラスの男の子達が一斉に騒ぎ始めたのである。なんと、私のその日の通学路の道順をフォローをし始めたのだ。上甲子園に行くにはいつもの道は通らないだろう!とわいわいがやがや言ってくれるので、私が言い訳する必要はなかった。
 家にピアノがある金持ちの女の子とピアノもない母子家庭の私との境遇の差に、友達は私の援軍となってくれたのである。
 五年生になり二学期に母親の都合で私は元の田舎の小学校へ戻ることになった。
 田んぼ道には相変わらずいろんな草花が生えていたし、蛇を飛び越えたり虫喰いの小麦の黒い病穂を取りに小麦畑に侵入したりして登下校していた。
 
 鳴尾の小学校への通学路と共に、田舎の原風景は今も私に懐かしい思い出を残してくれている。
 但し両者の違いが一つある。それは田舎での学校生活は悲しいことが多かったということだ。今でいういわゆるいじめだったのだと最近になって思い至っている。もしあの一年半過ごした小学校へ通い続けることができていたら、その先の私の辿った道も変わっていただろうとおもう。



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このストーリーに関するコメント

15/03/11 笹峰霧子

画像は[http://www.flickr.com/photos/]よりダウンロードしています。

15/03/11 海見みみみ

笹峰霧子さん、拝読させていただきました。
辛い境遇の中にいるのに、楽しく通学路を歩く主人公。
その前向きさに心癒されました。
最後の行を読んで、今の主人公がどのような道をたどっているのかとても気になりました。
幸せな人生を歩んでくれていれば良いのですが。

15/03/11 笹峰霧子

海見みみみ様

コメントをありがとうございます。
今でも都会のマンモス校と田舎ののんびりした学校があり、前者はさぞ大変だろうと思われ、田舎の学校は良いなと思われがちですが、そうでもないような気がします。
日常の暮らしにおいても同じことが言えるように思います。

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