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そらの珊瑚さん

🌼初めての詩集【うず】を上梓しました。  (土曜美術出版販売・現代詩の新鋭シリーズ30) 🌼小説や詩、短歌などを創作しております。 🌼作品を置いています。よろしかったらお立ち寄りくださいませ。 「珊瑚の櫂」http://sanngo.exblog.jp/14233561/ 🌼ツイッター@sangosorano 時々つぶやきます。 🌼詩の季刊誌(年4回発行)「きらる」(太陽書房)に参加しています。私を含めて10人の詩人によるアンソロジー集です。アマゾンでお買い上げいただけます。      ✿御礼✿「馬」のオーナーコンテストにご参加いただきました皆様、ありがとうございました。

性別 女性
将来の夢 星座になること
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最終便メモリアル

15/01/26 コンテスト(テーマ):第七十四回 時空モノガタリ文学賞 【 空港 】 コメント:9件 そらの珊瑚 閲覧数:1712

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 成田空港を出発してから、そろそろ5時間が経とうとしている。目的地の香港の空の玄関口、啓徳空港はもう近い。

 徐々に高度を下げた飛行機は、獅子山が見えてきたあたりで、約45度に大きく右に急旋回させる必要がある。
 九龍は狭い土地にたくさんのビルが立ち並ぶ超住宅密集地。その隙間をくぐり抜けるようにして、飛行機はヴィクトリアハーバーに浮かんだ唯一の短い滑走路を目指す。その難易度の高さは、フィギュアスケートで四回転を決めるのと同等ではないかと内心思っているほどだ。

 忘れもしない、僕が機長になって八年目だった。初めて啓徳空港行きを任されたのは。それまでは機長としての相応の経験を積み、それが認められなくてはならない遠い道のりだ。四十五歳で、僕はようやく一人前になった気がした。
 初めてこの地でフライトをした日のことを思い出すと、退職した今でも、緊張感で背筋がピンと伸びる思いがする。
 滑走路への最終アプローチに際して、自動誘導装置を切って臨む。そこから先は手動で操縦かんを握る。機械に頼ることが出来ない。頼るのは、機長の眼と腕だけだ。いくらデジタル化が進む現代であろうとも、最終的には人間の判断力には敵うものはないと思いたい。

 安全な旅を乗客へ提供出来るか、まさに機長の腕の見せどころなのだ。

 香港の市街地の建物には、それが飛行機の誘導灯と間違われないように、ネオンサインの点滅は禁じられていた。高層マンション、ビルの屋上には、滑走路への誘導灯が取り付けられ、それだけが点滅を繰り返すことが許可されている。いわゆる百万ドルの夜景と、人々に賞賛される香港の夜景は、またたかない灯の集合体というわけである。
 人の住む一般ビルの上になんかに、まさか飛行機を誘導させる重要なものが? と驚く人もいるけれど、それがこの空港の常識であるのだから、従わざるを得ない。
 人馬一体という言葉があるが、そういう意味では、ここは人飛一体だ。

 マンションのベランダで、はためく洗濯物に、乗客はもう少しで手が届きそうになる錯覚を覚えるだろう。飛行機はそのくらい近く、驚くべき低さを保ちつつ飛ぶのだ。
 そこで生まれるその光景は、アクロバティックな曲芸飛行ではなく、もちろんマジックなどでもなく、日常に組み込まれた危険と紙一重の日常なのだ。
 おまけにやっかいなことに、香港は亜熱帯に位置し、そのために雨や霧で視界が悪いことが多い。
 世界の空港が、マニュアル通り、セオリー通りに離発着が出来る、何も遮るもののない安全だけを考えた空港ばかりなら、どんなにいいかと思う。

 が、人生というものを考えた時、平穏無事な旅ばかりでない。そのことは自分の身をもって知っている、僕が定年を待たずにパイロットという仕事を辞めたのは、突然視力が低下してしまう原因不明の病気に見舞われたせいだった。
 幸い失明はまぬがれたものの、極端に視力が下がってしまったことで、会社の提示するパイロットの資格要項を満たすことが出来なくなった。
 肩書きを手放して、寂しくはないといったら嘘だが、身軽になってこれからの人生の旅を楽しむのも悪くないだろう。やっとそんな風に割り切れるようになった時、妻がプレゼントしてくれたのが、香港行きのこの航空チケットだった。
 いったん操縦かんを手放した身となれば、啓徳空港の、一筋縄ではいかない気難しい女王のような佇まいが、懐かしく、ひどく愛しいものになっているから不思議だ。
「なあに? 思い出し笑い? もー気持ち悪いなぁ」
「い、いや、なんでもない」
 隣に座る長年連れ添った妻に、まるで秘密にしてきた不倫の恋がバレそうな居心地の悪さを感じて、ポケットのハンカチを取り出し、意味もなく眼鏡の分厚いレンズを磨いてみたりする。
 誓って宣言するが(といっても、自分の胸の中でだけだが)人間の女性と不倫した事実はないよ。
 妻よ、安心しろ。何しろ相手は桁外れの身分違い。それに今夜限りで、永遠に手の届かないところへ去っていくのだから。
 その最終フライトにこうして立ち会えたのは、まったく幸運だった。
 僕らを乗せた航空機は、見事な優雅をもって、滑走路に着陸した。その腕前に点数を付けるとすれば……いや、止めておこう、もう僕はいち乗客なのだから。
 機内に、おごそかに沸き起こった拍手は、今夜仕事を全うした機長に、そして女王に届いただろうか。

 『世界でも有数の危険な空港』とおそれられたこの空港で、海中にオーバーランしてしまう等の事故は数回あったものの、市街地へ突っ込むという最悪な事故は、開港してから73年間、一度たりとも起きなかったという事実を、万感の思いを込めて、今夜記す。
 多謝。ありがとう。

 1998年7月5日、HongKong啓徳空港は閉港した。
 

 


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このストーリーに関するコメント

15/01/26 草愛やし美

そらの珊瑚さん、拝読しました。

98年でしたか、空港が閉港したのは、私が香港を訪れた時は、その数年後でした。新空港ができてまだ間がない頃だったようですが、街中に入るのに結構時間かかりましたっけ。啓徳空港でしたら、移動は楽だったことでしょうに……。

便利だけれど、パイロットの苦労は大変なものだったのですね。ビクトリア湾に恋した主人公が、最終便を共に味わえてほんと良かったです。

15/01/27 そらの珊瑚

画像は「ゆんフリー写真素材集」様よりお借りした、
ビクトリアピークからの香港の夜景です。

15/01/27 そらの珊瑚

草藍さん、ありがとうございます。
だいぶ昔。私が香港に行った時、啓徳空港を利用しました。
少しバスが走っただけで、市内に出たような記憶があります。
日本に帰る時は台風が来たかなんかで、飛行機が飛ぶか飛ばないの瀬戸際でして、
無事飛び立つことはできたものの、悪夢のような揺れでした。(T_T;)
ほとんど視界ゼロで、パイロットの人も大変だっただろうと今更ながら思います。

15/01/27 滝沢朱音

パイロットの方のフライトを追体験をしたような、そんな気分です。
「一筋縄ではいかない気難しい女王のような佇まい」という形容詞、すごく素敵だと思いました。
啓徳空港、知らなくて検索してみたら、ものすごい写真がいくつも出てきました!
そりゃ危険だわ〜! と思いながらも、最悪の事故が起こらなかったのは、
こういうパイロットさんがいたからなのでしょうね。ジーンとしました。

15/01/27 光石七

拝読しました。
そんな危険な空港が存在したのですか。
でも、最悪の事故が一度も起こらなかったとは…… パイロットの努力の賜物なのでしょう。
臨場感があり、一緒に飛行機に乗っているような気分でした。
素敵なお話をありがとうございます!

15/01/29 泡沫恋歌

そらの珊瑚さま、拝読しました。

世の中にこんな怖ろしい空港が存在するんですね?

私だったら、乗ってるだけで怖ろしくて気を失いそうだ。
操縦する人は、もっと大変だろうね。
リアルな描写で、一緒に飛行機に乗っている気分にさせられました。

ありがとうございます。(でも、飛行機には乗りたくない)

15/01/31 鮎風 遊

そうなんですか、そんな危ない空港があったのですね。
かって香港には何回かトランジットで降りてるので、
ひょっとすればこの空港だったかも?
幸運でした。

それでもなにか旅に出たい気になってきました。

15/02/08 黒糖ロール

拝読しました。

こんな楽しい空港があったなんて知らなかったです。
パイロットじゃないので実際はわかりませんが描写にリアリティがあって、滑らかで、読んでいて心地よかったです。

15/02/15 そらの珊瑚

>滝沢朱音さん、ありがとうございます。
香港が中国に返還される前は、イギリス領で、
女王というのはそのあたりも暗に含ませたりしています。
私もいくつか検索してもましたが、どれも合成じゃないかというくらいの
怖さでした!

>光石七さん、、ありがとうございます。
はい、存在してました。
(私はそんなことも知らずに一度だけ利用しましたが)
あの空港でのヒーローとは、真のプロフェッショナル、普通の名も知らない人々なんだなあって思います。

>泡沫恋歌さん、ありがとうございます。
私も今はできることなら飛行機は乗りたくないです。
交通事故に遭うより事故の確率は低いといわれても、やっぱり怖いですよね。

>鮎風 遊さん、ありがとうございます。
安い航空券だと、香港でトランジットして行く方法も多いようですね。
もしかしたら?ですね。

>黒糖ロールさん、ありがとうございます。
た、たのしいですか?(笑い)
もしかしてジェットコースターとかも好きなんじゃないでしょうか?
パイロットの気持ちを想像しながら書いたので、リアリティを感じていただけて嬉しいです。

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