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W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

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私の殿さま

15/01/26 コンテスト(テーマ):第七十六回 時空モノガタリ文学賞 【 戦国武将 】 コメント:2件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:1250

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 バナナを最初に食べた日本人は、おそらく殿さまではなかったか。
 短気で怒りっぽい性格は、臣下の面々にとっては脅威だった。
 なかでも、小姓のひとり、古玖才造はいつも、びくびくものだった。
 小姓という職業柄、たえず殿のそばに控えていなければならず、殿の癇癪のとばっちりをくう、最初の人間が彼だった。
 殿の逆鱗にふれたらさいご、それがだれであれ、瞬時に首が飛ぶところをこれまでなんどもまのあたりにしてきた才造だった。
 殿さまは、自分の思いどおりにならならないとおさまらない気性で、たてつくものはだれであれ、徹底して弾圧した。
 いくさが好きで、そのアグレッシブな闘魂は、同時代の武将たちのなかでも、断然とびぬけていた。
 ただただ激情の人間かというと、けっしてそうではない。
 情に優しいところもあり、このあいだなんか、街道沿いで、体を病んだ乞食をみて憐れみをもよおし、金にかわる反物をあたえるとともに、今後この者に食べ物を施すよう周囲の人々に促したりもした。
 新し物好きでも有名で、とくに南蛮品を好み、大規模な観兵式にビロードのマントをはおり、西洋帽子をかぶって颯爽と参列したこともある。。
 イエズス会がもたらした地球儀に、地球が丸いということがどうしてものみこめずにいる臣下を尻目に、理にかなっているといったのは合理的精神の持主の殿さま一人だった。
 あるときふと、殿さまが才造にむかって、こんなことをいった。
「かき砕いた氷に、蜜をかけて食べたら、さぞうまいだろうな」
 才造はただ、無言でうなずいていた。
 今年の夏はことに暑かった。おそらく殿さまは、そのような食べ物を思い描くことで、猛暑をのりこえられたのだろう。しかしいまはもう晩い秋。朝晩などは、おもわず首をすくめるような寒風が吹きつけることもあった。
「北のほうの湖に、氷が張るのは、いつごろかな」
 なんであれ、いったことは実行しないではおれない殿さまの性格を、一番しっているのは才造だった。砕いた氷に、蜜をかけたものを、殿さまはこの冬まちがいなく口にするだろう………。真夏ならともかく、冬にそのようなものを食べる価値があるかどうか―――才造はしかし、そんなことはおくびにも出さなかった。
 それから三か月後、冬本番のある晴れた日に、才造は殿さまのお伴で北の地方の、一面厚い氷の張りつめた湖にでかけた。
 あの、氷うんぬんの話が出たときにすでにこうなることはわかっていた才造だった。
 それにしてもこの、底冷えのする真冬に、砕いた氷を食べるとは。殿さま一人がたべるのは勝手だが、小姓の自分にまでその役がまわってきたら………才造はまた、白い吐息をついた。
「食べる前に、体を温めておいたほうがよさそうだな」
 まぢかで、たき火が盛んに炎をあげていたが、殿さまはそれには目もくれずに、従者の者に声をかけた。その従者は、まえもっていいつけられていたとみえ、なにやら奇妙なものを殿さまの前にさしだした。
 どうみてもそれは下駄のようだったが、ちがうところは、下駄の歯の下中央に、反りの少ない刃物が、刃先を下にして縦位置にはめこまれている。両足ともおなじ加工がしてあり、そんなものをはいてあるいたら、よほどバランスをとらないかぎり、ころんでしまうことだろう。
 これを、いかがなされるので………、とまどう才造の眼前で殿さまは、刃のついた下駄に、足をつっこんだ。
 そしてよろよろ、従者に肩を貸してもらって岸辺まで近づいていき、そのまま氷の上に乗り出した。刃のついた下駄は、すぅっとすべって殿さまを、たちまち数メートルさきまで移動させた。
 殿さまはそれからなんどもころんで、才造をはらはらさせたが、そこはものごとをやりとげる執念がひとかたでない殿さまのこと、小一時間もしないあいだにみるみる上達していき、才造のまつ場所まで軽やかに氷を蹴りながらすべりついた。
「夜、うとうとしているとき、このような履物をはいて氷の上をはしっている者の姿がふと思いうかんだ。わしにこれをはいてすべれという、夢のお告げとみた」
「お殿様ご自身だったのですか?」
「そうでもあり、そうでもないようだった。よくわからぬ………」
 そうして殿さまは、きゅうに黙りこんで、どこか遠くをみつめるような顔つきをおみせになった。遠い未来のさきを予言する人はきっと、このときの殿さまのような表情をしているにちがいない。
 そんな未来の予感にうながされてか殿さまは、このときばかりはいくさのことも、天下とりのこともわすれて、何一つ遮るもののない滑らかな氷上を、飽きることなく楽しげにすべりつづけた。
 このとき、だれかの号泣している顔がうかんだと、あとで殿さまが私にいわれた。悲しくてですかととうと、いや、感激のあまりだと、殿さまはお答えになった。


 







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このストーリーに関するコメント

15/02/22 光石七

拝読しました。
この殿様は言わずと知れた織田信長、夢の誰かで号泣するのはフィギュアスケートのあの方ですね。
面白かったです。

15/02/23 W・アーム・スープレックス

光石七さん、コメントありがとうございます。

そうです、その武将と、そのスケーターです。わざわざ名前を書くまでもなくどちらも有名だと思いまして。気の毒なのは、名前を書かれた小姓かもしれません。

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