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クナリさん

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ガソリンアレイのエチュード

15/01/16 コンテスト(テーマ):第七十五回 時空モノガタリ文学賞 【クラシック音楽 】 コメント:5件 クナリ 閲覧数:1280

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隅田川沿いの長屋通りに、子供は、僕とフユカだけだった。
フユカの親が彼女に与えた最初の玩具は、何かの貰い物だったらしいキイボードだった。
フユカは朝から晩まで、鍵盤を叩き続けた。小学校を卒業する前に、
「私はクラシック奏者になるぜ」
と、ロッカーの方が似合いそうな、父親譲りの蓮っ葉な言葉遣いでのたまっていた。
僕がピアノを始めたのは、フユカの傍にいたかったからだった。異性と言うよりも貴重な同い年の友達だったのだが、音楽を始めてからは戦友のような関係になった。
「僕は上手に弾けることより、フユカに認めてもらえることの方が嬉しい」
と言うと、彼女は、
「馬鹿じゃねえの。私一人に認められても意味ないぜ」
と蓮っ葉に呆れていた。

ピアノ漬けだった井の中の蛙二匹は、クラシックへ繋がる道のあまりの険しさに、高校を出る頃までには既に何度も打ちのめされ、もがき、足掻いていた。
特に細く小柄なフユカは体力面のハンディや、持ち前のムラッ気のせいで、何度も悔しい思いをした。大柄な同級生の男子が洋々と弾きこなす曲を、彼女は肩で息をしながら何とか弾く。
長屋で隣だったフユカの家からは、先生からぼろぼろに貶された日ほど、燃えるような音がキイボードから弾けていた。
僕も彼女も、自宅にピアノなど持てなかった。だからこそ、必死だった。
僕もフユカの熱意に負けまいと、毎夜自分のキイボードを弾いた。
二人ともよく、近所からこっぴどく怒られた。

特に関係性も変わらないまま高校を卒業してからは、二人して家を出て、それぞれ一人暮らしを始めた。
二十五歳の秋、既に住人が全員引っ越して廃墟と化した長屋が来春に取り壊されると聞いて、待ち合わせて二人で入ってみた。
朽ちかけたかつての住まいには、施錠してあろうと、侵入出来る経路はいくつもあった。
立派な不法侵入の上でフユカの部屋に行くと、キイボードが置きっ放しになっていた。
もう使わないけど捨てられもしない、彼女のルーツ。
フユカが新しい電池を入れ、立ったまま鍵盤を人差し指で押すと、音が鳴った。
「偉そうなこと言ってた私はプーで、お前は楽団入りか。立場無いな」
「僕は、……今でも君の為に弾いている」
フユカが、掌で鍵盤を叩いた。黙れ、と。
その袖口から、手首に縦に走る太い疵が覗く。
「軽蔑してくれ。私は……お前に、嫉妬してる」
そう言って、小さな体がうずくまった。
「男に勝てない。いつも、……いつも」
見えない心臓の動力を、恐らくこの時のフユカは既に喪失していた。
性差は関係ない、自分次第だ、と散文的な一般論で救われるには、彼女が味わって来た敗北は深刻過ぎた。一つの物しか持たない人間が、それは無意味なのだと繰り返し言い聞かせられた、この数年。
思い込みだよと嗤われる、自分で決めた自分。フユカはそれを譲れない。
自分をやめれば救われる。他人でごまかせば楽になれる。でも、自分の望みを他人との混ぜ物になんて、彼女は決してしない。
消え入りそうなフユカ。
僕を愛することはない。
僕は、僕の体温をフユカに教えたくなった。フユカの体温が知りたかった。かつてなく、激しく。
この僕も、いつかは消える。
「フユカ、聞いて驚いてくれ」
「何だよ」
「君が欲しい」
数瞬、二人とも呼吸を忘れた。
「狂ったのか」
「ずっと言いたかった。最悪のタイミングでも、今しか言えない」
また数瞬、また二人で、瞬きを忘れた。
一度背中を向けたフユカが、こちらを振り向き、口を開く。
「……くれてやる」
僕は、興奮しなかった。
フユカも、機能しなかった。
それでも、畳が剥がされた床で、無理矢理に寝た。
その無理矢理さが、せめてもの抵抗だった。
抵抗。
必死の。
誰への。
運命への?
――それなら、笑える。

フユカはその冬、もう一度手首を切り、翌日に首を吊って、この世から消えた。
寂しい葬式の後の昼日中に、僕はまた長屋に忍び込んだ。
フユカの部屋に置きっ放しのキイボードは、まだ電池が生きていた。
僕はその前に立ったまま、片手で、ロッド・ステュワートの『ガソリン・アレイ』を弾いた。
隅田川の明るい川面を、音が渡る。
無人の狭い路地にも、温度の無い空気の震えが、揺れて消える。
この世で一番、無意味な演奏だった。
僕らの体温と同じ。
誰の為に弾いている。
フユカの為に僕の音はあった。
フユカはもういない。
それでも鳴らす。
僕の為に?
それだけは違う。
運命の為だろうか?
でも、笑えるようになるまでには、まだ時間がかかる。

生まれた音は、震えて、震わせて、皆消えた。
どんなに必死に弾いても、愛しくても辛くても、全てを置き去りにして消えて行く。
形も重さもなく、留まらないからこそ、本当なのだろう。
まるで、彼女のように。
まるで、あの秋の日の。
僕らの、体温のように。


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このストーリーに関するコメント

15/01/16 クナリ

YouTubeで、真島昌利版『ガソリンアレイ』を聴き乍ら。

ガソリンアレイは、英国の地名です(アメリカにもあるらしいですが)。

15/01/24 石蕗亮

クナリさん
拝読致しました。
行為に意味を見出すのには様々な想いが必要だと思います。
最後の綴りにそれを感じたように思います。
また、ガソリンアレイという曲に興味が湧きました。
探して聴いてみます。

15/01/25 クナリ

石蕗亮さん>
最近になって(ようやく)マーシーこと真島昌利にハマり出し、マーシーがカバーしていたので
この曲を知りました(^^;)。
原曲はもちろんとても良いのですが、独特のしゃがれ声で歌いあげられるマーシー版も
とても良いです。
歌自体はクラシックではありませんが、クラシック音楽に生きた(生きようとした)人の話を
思い浮かべていた時、なぜかこの曲が浮かんで来たので、今回そのまま作中で弾いてもらいました。
行為の意味なんて常に錯覚なのかもしれませんが、自我ある限り存在しなければならないのも、
錯覚という現象であるような気がしますね…。
コメント、ありがとうございました!

15/01/27 滝沢朱音

うわ!
「ガソリン・アレイ」を、今までずっと「ガリソン・アレイ」だと
思いこんでいたことを、恥ずかしながら告白します…(恥)

印象的な「くれてやる」のセリフから、二人の新たな生活が始まるのかと思いきや……
「見えない心臓の動力を、恐らくこの時のフユカは既に喪失していた」時点で、
フユカはすでにゆるやかに死に向かっていたのでしょうか。

私の言葉ではうまく言い表せないけど、気高い″品だと思いました。

15/01/31 クナリ

滝沢朱音さん>
自分めはついこの一月まで、このような曲があることすら知りませんでした…。<ガソリンアレイ
ロッド・スチュワートの原曲よりも真島昌利カバー版(これすら、発表されたのは大分昔のようですが…)を先に聴いて衝撃を受けたので、タイトルは後者の『ガソリンアレイ』にしてあります(原曲の邦題は『ガソリン・アレイ』と点が入るようなので…どっちでもいいのかな)。
登場人物ごとの死生観というのはなかなか書く側にとっても制御しがたいもので、どうにかこの人生きたまんま話が終わらないかなーと思ったのですが、結局亡くなってしまいました。
そらの珊瑚さんが最近の自作品でのレスでも書いておられることに関係すると思うんですけど、ハッピーエンドとアンハッピーエンドって物語自体とは離れて別の意味も生じてしまうので(前者は安易であるとかご都合主義とか、後者は後味が悪いとか無理に深みを出そうとしてるとか)、毎回どうするか悩むんですが、結局登場人物達が選んだ通りの人生にしかならないので、どうしようもなかったりもするんですよね(どないやねん)。
思考も選択もぶきっちょであんあんまりお利口でもない主人公二人ですが、気高いとは嬉しいお言葉です、ありがとうございます。

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