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そらの珊瑚さん

🌼初めての詩集【うず】を上梓しました。  (土曜美術出版販売・現代詩の新鋭シリーズ30) 🌼小説や詩、短歌などを創作しております。 🌼作品を置いています。よろしかったらお立ち寄りくださいませ。 「珊瑚の櫂」http://sanngo.exblog.jp/14233561/ 🌼ツイッター@sangosorano 時々つぶやきます。 🌼詩の季刊誌(年4回発行)「きらる」(太陽書房)に参加しています。私を含めて10人の詩人によるアンソロジー集です。アマゾンでお買い上げいただけます。      ✿御礼✿「馬」のオーナーコンテストにご参加いただきました皆様、ありがとうございました。

性別 女性
将来の夢 星座になること
座右の銘 珊瑚の夢は夜ひらく

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架空隣人

15/01/10 コンテスト(テーマ):第七十三回 時空モノガタリ文学賞【 隣室 】 コメント:6件 そらの珊瑚 閲覧数:1309

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 まだ夕方五時を少し回っただけなのに、すでに闇というものが辺りを飲み込んでいた。
 冬の夜というものは圧倒的に早い。

 小高い丘の上に、オレンジ色の部屋明かりがまるで何かの目印のように浮かんでいる。そこは静雄の住むアパートの一室だった。

 一日の労働を終えて、疲れた体で家路をたどれば、それはともし火のようだった。今日も迷わずに、帰るべきところへ帰りつくための、愛する祥子が灯した火。

 ただいま、とドアを開ける。いつものように、おかえりなさい、と奥の部屋から細い声だけがした。

 今はベッドに寝たきりの祥子であったが、その笑顔は結婚した当時の健康であった彼女のほがらかさを残していた。もちろん過ぎた歳月は、祥子の顔の中に残酷な老いを刻んではいたが、それはあくまで表面に過ぎなかった。
 静雄は今でもやすやすと、若かりし日の美しい祥子を思い出せる。たぶんそれは幻影であって、紛れもない真実でもあった。
 
 もちろん病気になったことで、絶望した時期もあった。なぜ、病気になったしまったのだという問いは、彼女を苦しめた。なぜなら病気になった理由など、どこにもないからだ。

 それに気づくまで、長い時間がかかった。
 
 それには彼女が孤独な昼間に訪ねてきてくれる、ひとりのおばあさんの存在が大きかった。
 或る日はおばあさんの若い日のモテ話を聞かされ、或る日は古いセーターをほどくために祥子の腕は糸巻きになった。また或る日は祥子が得意の英語をおばあさんに教え、或る日は懐かしい懐メロを二人で歌ったという。
 イネさんと過ごす穏やかな時間は、ゆっくりと効く漢方薬のように祥子の心を健康にしていった。

「今日もね、イネさんが遊びに来てくれたの」
 静雄に自分のおむつを替えさせる羞恥がそうさせるのだろうか、いつもその時、祥子は饒舌になった。
「……それでね、猫がくわえていってしまったらしいの、イネさんの赤いズロース。ああ、ズロースって、女物のあったかい下着のことよ。下着泥棒が猫だなんて、ああ、可笑しい。可笑しくって、また涙が出てきちゃったわ」

 祥子はいつまでもクスクスと笑いながら、人さし指で目尻に流れてきた涙を拭った。

 人生で人はどのくらい涙を流すのだろうか。
 それが悲しい涙だけではないことに、静雄は安堵する。たとえイネさんという人が現実には存在しない人であろうと、そんなことはささいなことで、祥子がこうして楽しく笑ってくれているほうが彼にとっては重要な事だった。

 静雄の隣室はもう何十年も空家であった。隣室の隣室も空家であった。早くいえば静雄の部屋以外、入居者はいないはずだ。今どき、戦前から建っている古い木造アパートに入居する奇特な人などいないのだろう。
 しかし夫婦にとっては、ここは結婚して初めて生活をスタートさせた思い出の場所であった。静雄はここがある限り、出ていく気持ちはなかった。もちろん家賃が格安という理由もあったが。
 祥子のベッド周りには、長短ふたつの糸がくくりつけられている。
 短い糸は電球のスイッチに。
 長い糸はイネさんの部屋につながっているという。
 祥子は、彼女に残された唯一の手の筋肉を使って、長い方のそれを七回引く。
 お、や、す、み、な、さ、い。
 それから部屋の電気を消して、二人は寝る。
 どこかの空き地で、イネさんのズロースを布団にした野良猫が、ぬくぬくと眠っているかもしれない。

 どこからか、ひゅう、と、すきま風が入り込む。おそらくは優しい人が棲む隣室からの風であろう。
 
 
 


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このストーリーに関するコメント

15/01/10 そらの珊瑚

画像は、「GATAGフリー画像・写真素材集 3.0」より、
mmmáté様の作品をお借りしました。

15/01/10 夏日 純希

不幸な状況ってよくない言葉ですよね。
そう言ってしまうと、もう不幸になるしかないみたいな気がしてくるので。
ついてない状況でも、幸せになれる強さがある人はいいですね。
できれば幸せばかり続いて生きていたいものですけれど。

読後、そんなことを思いました。
ついていない状況でも、優しい空気がある作品だったと思います。

15/01/11 草愛やし美

そらの珊瑚さん、拝読しました。

イネさんの存在は祥子にとって、生きていくための糧なのでしょう。アパートの一室に本当に存在しているかもしれない、戦前の生き残りのような老婆。だけど、優しい魂は祥子を勇気づけている。ある種、大人の童話でしょうね、病気、それも重く長期にわたり進行するような病だとすれば、そこに置かれた人たちの時間をうめることができるものは、こういう類のものではないでしょうか。闘病は辛いですが、イネさんのお蔭で癒されるなら、それも可だと、私は信じます。

15/01/12 鮎風 遊

哀愁漂う、しかしどことなくほっとするお話しでした。
静雄と祥子の深い愛が伝わってきます。

ボロアパートながら穏やかな日々が続けばいいですね。

15/01/12 泡沫恋歌

そらの珊瑚 様、拝読しました。

隣人イネさんは、祥子さんが作りだした妄想かもしれないけれど・・・
もしかしたら、見えない空間に存在している人かもしれない。

それは祥子さんにしか見えない隣人なのでしょうか。

切ないけれど、心が優しくなるお話でした。

15/01/26 そらの珊瑚

夏日 純希(冬眠中)さん、ありがとうございます。
そうですね、何事も断定してしまうとそれこそ事実だみたいなことから
逃れられなくなりそうですね。
熱を計って初めて自分が風邪引いてるって自覚しちゃうみたいなかんじでしょうか?
幸せかそうでないかって、どんな局面でも気持ちの持ちよう、っていう救いは誰にも残されているような気がします。

草藍さん、ありがとうございます。
大人の童話、そんな雰囲気を描きたかったので、受け止めていただいて
嬉しく思います。
幻影かもしれないし、幻影ではないかもしれない、そんな曖昧さを残しました。

鮎風 游さん、ありがとうございます。
昭和なたたずまいのアパート、綺麗に整備された街には不釣り合いなのでしょうけど、
なくなりつつあるのはちょっと寂しかったりして。

泡沫恋歌さん、ありがとうございます。
見える人には見えるし、見えない人には見えない。(あたりまえか、笑)
おそらく人の心の何かが何かに共鳴して
そんな事象が起こり得るのかもなんて思います。

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