泥舟さん

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海激

12/07/09 コンテスト(テーマ):第八回 時空モノガタリ文学賞【 大分 】 コメント:0件 泥舟 閲覧数:1893

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予想外の嵐だった。
天気予報のチェックを怠ったわけではない。漁に出ない日でも日課のように天気予報だけはチェックしていているぐらいである。
確かにいつもの漁場よりは若干遠くに来てはいるが、所詮私の舟だ、たかが知れている。いつもの漁場にいたとしても、これほどの嵐だ、きっと遭遇していたに違いない。
急な嵐は初めてのことではない。慣れっことは言わないが備えはできている。いざとなれば、覚悟もできている。
だが、その時の嵐は尋常ではなかった。
波が荒々しく舟を揺らす。私は舟のヘリに懸命につかまり耐えていた。
そして、巨大な波が突如出現したのだ。
これまでの激しい波をも遥かに凌駕する、まさに、山のような大きな波だった。遠くに出現したと思ったら物凄いスピードで近づいてくる。

その時、私は無意識に死を覚悟したのかもしれない。幽体離脱というと嘘っぽく聞こえるだろうか?
私の視界がズームアウトしたのだ。
私の意識が海面にほぼ平行に後方に一気に移動したのだ。
本来であれば、私の視界は山のような波でいっぱいのはずだ。だが私の意識は、山のような大波、それに今しも呑み込まれようとしている私のちっぽけな舟、嵐の中で上下左右に波にもてあそばれているちっぽけな舟、そんな見えるはずもない光景を私の意識は紡ぎだした。
これが死を目前にした走馬燈のようなものなのか、いや意識の火事場の馬鹿力か。

私も海の男だ、常に覚悟はできている、そう思っていた。
我に返った時、目前に迫った山のような巨大な波を前に、死をリアルに感じて、私は恐怖した。
私は無様に慌てふためいた。船室に駆けこみ、隙間に体を押し込んで、ただただ神に祈った。
これまで経験したことのない、激しい横揺れを伴う急激な浮揚感と急降下が絶え間なく繰り返された。船室の隙間で歯を食いしばり、放り出されないように壁に押しつけるしかなかった。
どれだけの時間がたったのだろうか?
奇跡的に、生きていた。
揺れはおさまっていた。船室はところどころ水たまりが出来上がっていた。上着までびしょぬれになっていたのは自分の汗なのか、流れ込んだ海水か、ともかく身体が冷え切っていた。
私は急いで甲板に出た。嵐の元と思われる雲は遠くに過ぎ去り、晴れやかな青い空といつもと変わらぬ輝く海が広がっていた。
暖かい日差しが私の濡れた服を乾かすのが感じられるほどの陽気だった。
今まで経験したことのない嵐でも、命だけは攫われなかったことに、純粋に神に感謝した。

その後、半年ほどは漁師を続けたが、結局辞めた。
あの嵐に遭遇したことがトラウマになったのかもしれない。あの時覚悟を決め切れなかった自分に漁師としてのプライドが許さなかったのかもしれない。
いや、言い訳はよそう。正直に、海が怖くなったのだ。
子供がいなかったせいもあり、多少の蓄えもあった。舟も、漁協の人たちの協力もあり、そこそこの値で引き取り手も見つかった。
家も引き払い、都内のアパートに引っ越し、新たな夫婦二人の生活を始めた。
今まで我慢ばかり強いてきた家内にも、普通の楽しみを味わってもらおうと、夫婦で旅行に行ったり、しゃれた服を買ったりした。
旅行は、家内と相談して、北から順番に各地を回った。

今回の旅行は九州だった。福岡を皮きりに左回りで一周するという行程だ。
そして、最後の地・大分で私は驚愕の再会をしたのだ。
空いた時間でふらっと入った美術館だった。
今まで思い出すことのなかった、思い出すことを拒んできたあの光景と再会した。私から飛び出した意識が紡いだ、巨大な波に飲み込まれようとしている私の小さな舟の光景がそこにあった。
「静かで落ち着いた絵ですね。山のふもとのあばら家が良い雰囲気。」となりで妻が感想を述べる。
(山?あばらや?)
私は何度か目を瞬いて、改めて絵を観察した。
確かに、山と草原の絵だ。絵の下には、”幸松春浦「朝凉」1955年頃”と書いてある。
夏の午前中の涼しさ、という意味だろうか。
私の意識に根付いている嵐の光景はそんな穏やかなものではなかった。だが、この絵と、色が違うものの全く同じ構図の光景だ。

私が波と感じたものは山であり、舟と感じたものはあばら家だった。

私は食い入るようにその絵を見た。
これまで私を悩ませていた、私があの嵐から生きて帰ることができた、意識だけが飛び出した、これらの謎に対する共感を、私はこの絵に感じた。私だけの意識の中あった光景を、幸松春浦という画家が、絵という形で残してくれた。荒々しい海と穏やかな山と、完全に対比しているが、逆にいえば対になっていると言えるのではないか。
幸松春浦がこの絵を、何を思って描いたのか、何を訴えたくて描いたのか。これから私は幸松春浦を調べていくことになるだろう。そこにきっと、これらの謎を解くヒントがあると信じて。


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