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悠さん

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性別 女性
将来の夢
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解けた秒針

14/11/30 コンテスト(テーマ):第七十回 時空モノガタリ文学賞【 別れ 】 コメント:2件  閲覧数:1133

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吐息が白く燻る昼下がり。
僕と彼女は喫茶店にいた。
ダークブラウンの木材で統一された店内に、緑を添える観葉植物たち。落ち着いた温かみのあるこの店は、彼女のお気に入りだった。
奥から二番目のテーブルについて、僕らは上着を脱いだ。それから、決まったように二人で同じ方を向く。
店の片隅にひっそりと置かれた、今はもう時を刻まないアンティークの時計。僕らがここに通い出した頃は動いていたのだが、二年ほど前にとうとう動かなくなってしまった。それでも、手間暇かけて磨かれている時計は、不思議と僕らの心を掴んで離さなかった。日に焼けた赤茶色の箱が一番よく見えるこの席が、もう長いこと、僕らの指定席だった。
「最近、上手くいかないね」
誰に言うでもなく呟いて、彼女はゆったりとコーヒーカップに口をつける。その瞳は静かに伏せられていて、表情を読み取ることは出来なかった。
最近上手くいかないね。その言葉の意味するところはすぐに分かった。けれど、肯定すればいいのか謝罪すればいいのか、僕は判断がつかなかった。
かける言葉が見つからなくて、僕もコーヒーを啜る。
手放すべきなのだろうか。口に広がる苦味を舌先で転がしながら、そんなことを考えた。君という名の鳥を、僕という名の檻から、僕の手の届かない、真っ青な青空へ。
チンケな妄想だと一蹴出来るだけの確信は、もう持ち合わせていなかった。温かいカップの中に浮かんだ僕は、驚くほど冷たい目をしていた。
「おいしいね」
「うん」
柔らかく、けれど距離のある声で君は微笑む。僕は頷いて、彼女に倣いカップを下ろした。二人を繋ぐ絆が、もはや愛ではなく情であることは、僕も彼女も十分理解していた。
沈黙が降りると、アコースティックギターの緩やかな旋律が二人を包む。手持ち無沙汰にカップの持ち手をなぞっていると、彼女の視線を感じた。顔を上げると、彼女はもう僕ではなく窓の向こうを見ていた。
ガラス一枚隔てた外の世界では、肩を竦めた人影が忙しなく行き交っている。僕と彼女は上着を脱いでコーヒーを飲んでいる。
紅葉と呼ぶには鮮やかさを失った楓の葉が一枚、また一枚と木枯らしに攫われていく。彼女の隣で、シェフレラが葉を揺らすこともなくただじっと佇んでいる。
…なんだか、僕と彼女の時間だけが、世界から取り残されているみたいだ。
そう思った瞬間、ふいに彼女が動いた。さらりと頬をくすぐった髪を耳にかける仕草に目を奪われて、僕は一瞬上手く呼吸が出来なかった。その髪に触れて、キスをして、愛を交わした日々を思った。会話もなく、ただ街の雑踏を眺める彼女の横顔は、どうしようもなく美しかった。
彼女は待っているのだろう。過ぎ行く人々を見つめながら、僕らの時計が再び動き出す時を。
僕が別れを切り出す瞬間を。
「終わりにしようか」
今まで幾度となく飲み込んできた言葉が、今日はするりと口を突いた。それを聞いた彼女の横顔が一瞬強張って、それから、困ったように笑った。
今日初めて見た彼女の瞳は、滲んだ栗色をしていた。
「君はずるいね」
「え?」
「ちょうど今、私が言おうと思ってたのに」
本当、ずるいなあ。そう言って、彼女は残りのコーヒーを飲み干した。それが涙を隠すための時間稼ぎであることを、僕は知っていた。こくりと動いた喉仏に、彼女のこんな仕草を見るのもこれが最後だと思った。
「…今まで、ありがとうね」
同時に、彼女の笑顔を見るのも、これが最後だと思った。
「僕の方こそ」
ぐっと頭を下げると、彼女は小さく鼻をすすった。ふふっと漏れた吐息で、微笑んでいることが分かった。
「本当に、ありがとう」
テーブル越しに頭を付き合わせる僕ら。
顔を上げた彼女の瞳に、もう曇りはなかった。
「じゃあ」
コーヒー代をきちんと置いて、彼女がすっと立ち上がる。僕は「うん」と頷いて、店を後にする背中を見送った。ドアの向こう側に飛び出した彼女の姿は、すぐに見えなくなった。
目の前には、すっかり温くなったコーヒーと、空のカップと、勘定ぴったりに揃えられた小銭だけ。全てが終わったのだと思わせるに十分な、そして、まだ終わっていないと思わせるに十分な構成だった。残りのコーヒーを消化しきれていない思いごと流し込んで、僕も席を立った。
さあ、今日はやることが一杯だ。まずは家に帰らないと。部屋を丸ごと掃除して、要らないものを捨てて、少しでも整理がついたら、飯でも食いに行こう。カレーにしようか。ラーメンもいいなあ。いや、牛丼も捨てがたい。
「ありがとうございました」
軽く頭を下げた店員からレシートを受け取って、僕も店を出て行く。ドアにかかったカウベルが鳴り止んだころ、動くことを忘れたはずの秒針が、人知れずカチリと音を立てた。


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このストーリーに関するコメント

14/11/30 光石七

拝読しました。
主人公と彼女のやりとりは現実的でリアルなのに、とても詩的な印象を受けました。
作品自体が持つ雰囲気でしょうか。
自分までほろ苦いコーヒーを飲み、秒針の音を聞いた気がしました。
拙い感想ですみません。
素敵なお話をありがとうございます。

14/12/02 

光石七様

コメントありがとうございます。
主人公と共にコーヒーの苦味を味わい、秒針の音まで感じていただけて、とても嬉しいです。
また、詩的な印象を受けたとのお言葉に、胸に喜びが湧きました。
こちらこそ、素敵な感想をありがとうございました。

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