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W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

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ニーチャの秘密

14/09/23 コンテスト(テーマ):第六十七回 時空モノガタリ文学賞【 秘密 】  コメント:2件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:1200

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 ドライブのあと、井出公夫に部屋に誘われ、私は思うところがあって、うなずいた。
 最近の彼、どこか変だった。気持ちの上で、私から離れていくような印象がした。
「ニーチャがあいたがってるよ」
 ニーチャというのは、彼が飼っている雌猿の名前だった。本当はニーチェにしたかったのだが、あまりに御大層すぎて、一字だけ変えたのだという。
 マンションの彼の部屋にあがると、ニーチャは廊下にあらわれた。
 ニーチャはいつも冷静だった。そのうえたいていの猿は、猫のように排泄場所をきめることができず、部屋のどこでも垂れ流しというのが通り相場だが、ニーチャの場合はなんと、自分でトイレのドアをあけて、ちゃんと便器で用を足すのだという。にわかには信じかねて私は、ニーチャのトイレの現場をみせてくれと頼んだ。公夫はあっさり了承したものの、肝心のニーチャ自身が羞恥心からかかたくなに拒んで、けっして人前で排泄行為におよぶことはなかった。
「ニーチャ、ひさしぶりね、元気?」
 私が手をさしのばすと、ニーチャは優しくつかみかえした。
「猿って、こんなに礼儀ただしいものなのかしら」
「ニーチャは特別さ。ときどきおれも、おどろくことがある」
 テレビもいっしょにみれば、音楽も彼ときくのだそうだ。
「このまえさ、『猿の惑星』のビデオをみせたんだ。するとニーチャ、はじめから終わりまで、テレビのまえから一歩も離れずにみいっていたよ」
「どんな気持ちでみていたのかしら」
「さあそれは、ニーチャになってみないことにはわからない。ただ―――」
「ただ、なによ?」
「もしかして彼女、人間の心を理解するだけの能力をもっているんじゃないだろうか」
 私は、食事もいっしょ、お風呂も猿といっしょに入るという彼の、その言葉に妙に重いものを感じた。
 公夫は、ソファにニーチャと並んで座り、しきりに猿の体毛を指で梳いてやっていた。猿もまたおかえしに、彼の髪をなんども梳った。そのときの公夫の、うっとりとした表情は、みていてなんだか異様な感さえした。似たような気持ちは、これまでにもなんどか覚えた私だったが、今回はとくにそれが際立っていた。そばにひとがいてこれだから、かれらだけになったらいったい、どんな光景が展開しているのか、想像するのがなんだか怖かった。
 このときも私はつとめて平静を装っていたが、最後にかれらの唇をあわせるところをみせつけられると、嫉妬の情にかられておもわず、
「私、かえる」
「え、まだいいだろう」
 公夫が驚いたふうに、ソファからとびおりた。彼のその、おどろくほど敏捷な動きは、まるでニーチャをみているようだった。
 ニーチャはきっと、公夫との親密な生活を過ごすうちに、人間のような挙措ふるまいが身についたのではあるまいか。そのうえ、彼の心理状態まで、似るようになったというのは、あまりにうがちすぎた見方だろうか。ニーチェの名前をもらいそこねたかわりに彼女は、ひととしての知能を公夫から学びとったのではないだろうか。思慮ぶかげとしかいいようのない猿の横顔をみていると、私はその考えを一笑することができなかった。

 公夫とも、ニーチャとも会う気がおこらず、なんの連絡もとらずに半年ほどがたったころ、夜中にいきなり彼から電話があった。通知番号で公夫からの電話を確認してから、受話器をとると、いきなりキャッ、キャッという声がかえってきた。
「ニーチャね、いたずらのつもり」
 公夫がワンプッシュで私に電話をかけるところをみていた猿が、それをまねてかけてきたのだ。そんなことは朝飯前にちがいない。
 叫び声は続いた。次第に高まっていくその調子に、私は不安をおぼえだした。公夫になにかがあったのだろうか。最後にわかれたときに彼がみせた、なにかにつよく気をとられたような表情が、いままた私の目の前でゆらめいた。
 ニーチェが電話で私に助けをもとめているのでは。私は胸騒ぎにかられて、いそいで彼のマンションにタクシーでかけつけた。
 預かっていた鍵でドアをあけると、奥の部屋からなにかの暴れるような物音がきこえてきた。私は恐る恐る、部屋をのぞきこんだ。
 丸裸の公夫が、室内をかけまわっていた。テーブルにとびあがったとおもうと、開いた窓からベランダの柵にとびうつり、物干し竿にぶらさがって反動をつけ再び部屋にまいもどってきた。その間たえずあげ続けるキャッ、キャッという叫び声は、電話で私がきいた声にまぎれもなかった。
 ニーチャのほうは、部屋のすみにじっと座って、公夫の猿そっくりのふるまいを、きょとんとした目でみまもっている。
 それをみて私はようやく、事態の真相がわかったような気がした。
 公夫とニーチェの密接な関係は、猿の知能を人間にちかづけたかわりに、人間のほうは逆に、猿のほうに先祖返りさせてしまったもようだった。


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このストーリーに関するコメント

14/09/27 suggino

猿の名前がニーチェというのも面白いなと思いましたが、ニーチャという響きが可愛らしく、女の子っぽいですね。
ペットは飼い主に似るといいますが、飼い主がペットに似てしまうとは。心が通いすぎたのでしょうか。知能が高すぎるペットというのも手放しに可愛がることができないかもなとすこし、ぞっとしました。

14/09/27 W・アーム・スープレックス

手話で人と意思疎通するゴリラは実際にいますものね。『猿の惑星』までもしかしたらあと一歩という時期に、迫っているのかもしれません。いまのうちに猿と仲良くなっていたほうがいいかもしれませんが、猿のほうは、さあ、どんな気持ちでひとをみているのでしょうか。
コメント、ありがとうございました。

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