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智宇純子さん

思いつくままに綴りますが、読む方が好きです。 『素人の読み手』としておじゃまさせていただきますので、至らぬ点が多いかと思いますが、どうぞご容赦ください。 ※諸事情により、登録当初から使っておりましたニックネーム『ポリ』を『智宇純子』に変更しました。引き続きよろしくお願いいたします。

性別 女性
将来の夢
座右の銘 自由になりたければ自分の言動や行動に責任を持て

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片品村の雪女

12/06/25 コンテスト(テーマ):第九回 時空モノガタリ文学賞【 群馬 】 コメント:2件 智宇純子 閲覧数:1877

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「ねえねえ、ばあば。ミズバショウの花の匂いがする!」
 覚えたての干支を辿々しく口ずさんでいたミサが、鼻をくんくんさせて嬉しそうに叫んだ。「本当ね」佳子はミサの小さい手をふわりと包んだまま空を見上げた。横で芳江も深く深呼吸して瞳を閉じる。ミズバショウの花の香りと共に、ふと、懐かしい想いが芳江の胸の中でパチパチと弾けてきた。まぶたの裏に広がる夢のようなオレンジ色の風景。忘れもしない22年前の冬。芳江は公衆電話の受話器を置き、深い白い溜め息と共に外に出た。景色は見ていなかった。寒いか冷たいかなんて感じなかった。それほどマツの死がショックだった。ただ、次の瞬間。甘いミズバショウの花の香りをスーッとさせたような懐かしい匂いを感じ、頭を叩かれたような気がして前を見ると、路上に降り積もった新雪がオレンジ色の灯に照らしだされていることに気付いた。マツがいつも自慢していた片品村の雪景色だった。 

「ばあばがまだ小さいころね。ばあばのお母さま……ミサのひいお婆ちゃんのことね、雪女だと思っていたのよ」佳子の声が、オレンジ色の雪景色を割って芳江の頭の中まで届く。そっと目を開けると、ミサの手を擦っている佳子の姿がぼやけて見えた。
「ゆきおんな?」
「そう、雪女」
「ゆきおんなって、なあに?」
 ミサは首を傾げて芳江の方を見た。
「雪女の本がばあばの部屋にあるから持っておいで」桂子が笑いながらミサの頭をなでる。ホントに?ミサはぴょん!と椅子から飛び降りると、小鹿のように元気よく飛び跳ねながら走っていった。その後ろ姿を見送りながら、同時に目を細める二人。

「マツ婆ちゃんが雪女って、信じる?」
 家の中に消えるミサを目で追いながら、佳子は声を潜めて話しはじめた。
「なんでそう思うの?」
だって、本人が言ったのよ。佳子はマツにそっくりな笑窪をへこませて笑う。「こんなところに家があるなんて不思議に思わなかった?」 

 特別豪雪地帯である片品村の冬の厳しさを知っていた佳子は、里帰りする時は夏の暑い時を選んでいた。三平峠を横道に入り、濛々と草木が生い茂る獣道を軍手をはめた手で掻き分けながら進んでいくと、突然目の前にぽっかり開けた草原が現れる。その真ん中に、小さな平屋建ての家がぽつり。

 なんでマツ婆ちゃんはここにひとりで……そう、言いかけて、「ああ、そうそう。夕飯、なんにする?」と、芳江は佳子の質問を避けるように話題を変えた。
 佳子は途中から継母に育てられ、中学卒業と共に集団就職で都会に出てきた、という話しは風の便りで聞いていた。しかし、そのことはもちろん、マツがこの尾瀬の草原で一人暮しをしている理由も直接マツや佳子の口から語られたことはなく、芳江もわざわざ聞こうともしなかった。触れてはいけない。ずっとそう思っていた。

「私が小学三年生にあがる春、お母さまは家を出ていくことになったの」
 そんな芳江の動揺に気付いているのか、いないのか。佳子はおかまいなしといった様子で話しはじめる。芳江は聞き耳を立てつつも、ふうーんと、気のないふりをして本に目を落とした。ルリボシヤンマが二匹、そのぼやけた目線の先を横切る。
「泣きわめいた私にお母さまは『お父さまは悪くないのよ。だから、お父さまを責めないでね』って、そう言い聞かせたわ」  
 ―ごめんね。私は雪女だから一緒に暮らせないの― 

「おかしいって思わなかったの?」芳江は本に目を向けたまま、声だけを無造作に投げつけた。だって……ねぇ。と、一瞬話が途切れる。甲高いアオジのさえずりが軽快に辺りに響き渡る。
「行方がわからなくなっていたお母さまがこの草原に住んでいたことを知ったのは、お父さまの葬儀の時なのよね」
 近くの道端で具合悪そうにうずくまっている老婆に声をかけたの。顔をくしゃくしゃにして泣いているお母さまだったわ。その時に、はじめてこの平屋建てまで送ってあげたの。佳子は眩しそうに空を見上げた。
「お母さまが、お父さまのことを死ぬまで大好きだったってことは知っていたから。だから大人になって、その頃のいろいろな事情がわかってきても『お母さまは雪女だった』で、いいと思ったのよ」
 つむじ風が、ミズバショウの花の香りを巻き込みながら、二人の横をすり抜ける。

「お母さん、私、マツ婆ちゃんは本当に雪女だったんじゃないかって思うわ」
 お通夜の夜、電話ボックスの外で感じた匂いは間違いなくマツの匂いだった。マツが側にきて、ずっと見せたかった片品村の雪景色を教えてくれたんだ。芳江はそう思えてならなかった。
「そう?」絵本を手にして走ってくるミサの方を見ながら、佳子はうっすらと笑みを浮かべる。その横顔から、あの、ミズバショウの花ををスーッとさせたような甘い香りがうっすらと漂ってきたようなきがした。


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このストーリーに関するコメント

12/07/01 松定 鴨汀

灯に照らされた新雪,さぞかし幻想的な景色でしょうね! いつか見てみたいです.
ミズバショウは夏のイメージだから,マツ婆ちゃんは片品村の冬も夏も,四季のすべてが好きだったんだろうな,と思いました.

12/07/02 智宇純子

松定鴨汀 様

コメントありがとうございます!
そして、そして。全体の流れを汲み取っていただけて本当に嬉しかったです。気付かれなくてもいいや、と思っていたポイントだったので、正直ビックリしました。

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