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山中さん

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留守番

14/07/11 コンテスト(テーマ):第六十回 時空モノガタリ文学賞【 涙 】 コメント:4件 山中 閲覧数:1068

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 軽快な音楽が耳に届くと、カーテンの隙間から差し込んだ陽射しがまぶたに触れて、俺は目を覚ました。時計の針は十二時をさしている。ふらふらと起き上がり鳴り続ける携帯を手にして通話ボタンを押した。
「もしもし和博?これから出掛けるから子供達見ててくれない?」
 悪びれた様子もなく、姉は用件だけを伝え電話を切った。姉は用事ができると俺を呼び付け、当たり前のように子供達の面倒を押し付ける。すでに恒例となっている出来事に、はいはいといって軽く承諾してしまう自分にも原因はあるのだが、それだけではない。

 大きなあくびをひとつ吐き出してから、シリアルに牛乳を注いで遅すぎる朝食をとり始めた。平日の昼下がり。三年程前に会社を辞めてから何もしない毎日を過ごしている。別に働きたくないわけでもないし、働けないわけでもない。
 俺は数年前から始めた外国為替取引でかなりの儲けを得た。早い話、貯金があるということだ。一生遊んで暮らせるほどではないにしろ、息を飲むほどの金額である。要するに俺には働く気が起きないのだ。幸いなことに自分には物欲といったものがほとんどない。その安心感がかえって俺を堕落させた。
 姉は最初のうちこそ自分のことのように興奮していたが、会社を辞め一年も経つ頃には俺を変質者のような目で見るようになった。それでも姉は姉なりに、ひきこもりにだけはならないよう気にかけているのかもしれない。

 それから俺は支度を済ませると、夏の陽射しに目を細めながらいつものように重い足取りで自宅を後にした。


 植木鉢を持ち上げると、小さなメモと一緒に鍵が置いてある。古典的だが、姉はいつもこの場所に鍵を隠している。よろしくね、とだけ書かれたメモもすでに恒例となっていた。家の中へ入ると、理恵の泣き声が耳に届いた。
「おーい優太、母ちゃん何時に帰ってくるって?」
 リビングでレゴに夢中になっている優太に話しかけるが、知らなーいという無関心な返事が返ってきた。理恵は俺の姿を見て一瞬泣き叫ぶのをやめたが、すぐに大きな声でボロボロと涙を流し始めた。子供達にとっても俺の存在は見慣れたものになっている。
 七歳の優太とは違い、まだ三歳の理恵にはママがいなくなることが何よりも辛いのだろう。俺の最初の仕事は理恵を寝かしつけることから始まる。これが一番苦労するのだが、あとは優太とテレビゲームでもしながら姉の帰りを待つだけでいい。
 一時間後、なんとか理恵を寝かしつけると優太に声をかけた。
「よし優太、ゲームでもやるか」
「やんない」
 てっきり大喜びでかけよってくると思っていたのに、以外な一言に俺は子供相手にうろたえてしまった。姉に変なことでも吹き込まれたんじゃないだろうな、そんなことを考えていると、優太が青いプラスチックの刀を二本持って俺のそばにかけよってきた。
「なんだ、母ちゃんに買ってもらったのか?」
 優太はこくりと頷くと俺に短い刀を差し出した。同じ目線になるように正座してやり、構えの姿勢をとると優太は嬉しそうに刀を振り回してきた。しかしなかなか当てられないのか、やがてその表情は真剣になり俺は思わずおかしくなった。
 子供は純粋でいいよな、そんなことを考えながら、ふと懐かしい感情がよみがえってきた。自分にもこんな時期があったのだ。

 子供の頃の俺は、何にだって夢中になれた。友達と隣町へ探検に行く約束をしただけで、夜も眠れないほど興奮したし、見たこともない昆虫を捕まえただけでヒーローになれたような気がした。身の回りの出来事に無関心になってしまったのはいつからだろう。
 社会人になり、つまらない仕事を繰り返していくうちに、金を稼ぐことだけが俺の原動力になっていた。大金を手にした数カ月後、俺は会議資料についたコーヒーの染みを注意され、バカバカしくなり辞表を提出した。
 自由になれた俺は、心のどこかで夢中になれる何かに出会えると信じていたのかもしれない。だがその先に待っていたのは、空白の毎日だった。

 優太は夢中になりながら刀を振り回している。その真剣な眼差しを見ているうちに、突然涙が溢れてきた。夢中になることを忘れた自分が悲しいわけじゃない。夢中になれない自分を認めてしまったことが悲しかった。
 優太に涙を見られないよう顔を伏せる。その瞬間、振り下ろされた刀が肩に当たった。優太は「やった!」といって喜んでいたが、俺の泣き顔を見るとなぜか一緒になって泣き始めた。

 玄関の方で物音が聞こえた。気がつくと、すぐそばで買い物袋をぶら下げた姉が呆然と立ち尽くしてる。正座したまま涙を流す弟と息子を見下ろし、姉は青ざめた表情で息をつまらせていたが、俺にはもう涙を抑えることができなかった。


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このストーリーに関するコメント

14/07/12 草愛やし美

オレンジ様、拝読しました。

大人になるということは、何かを諦めたり捨てたりすることなのでしょうね。複雑な心理描写が丁寧に描かれていて、凄く共感持てました。 私には、遊んで暮らせるお金はありませんが、年を経て、失ったものがあるのは事実です。素直な気持ちを持つ子供は、何よりの宝物なのでしょうね。
お作を読み、いろいろなことを考えさせていただきました。

14/07/13 山中

草藍様、ありがとうございます。大人になると子供の頃の記憶は残っていても、あのときの気持ちが戻ってくることはないんですよね。
ジョン・レノンの言葉に、「ほしいだけの金を儲け、好きなだけの名声を得て、何も無いことを知った」といった名言がありますが、世間で認められた価値にはなんの意味もないということですね。
誰もが心のどこかで感じている葛藤を描いててみたのですが、感じとってもらえれば幸いです。

14/07/14 光石七

拝読しました。
大人になるのはある意味悲しいことかもしれませんね。子供の頃の気持ちやエネルギーはどこへ行ってしまったのか……
私もよく甥っ子姪っ子の相手をしますが、彼らはすごいと思います。「こういう純粋さを失ってほしくないな」と、勝手に願ったりして。
子供の中に自分が失ったものを感じ取った主人公に共感できました。
気付きを与えてくださるお話、ありがとうございました。

14/07/14 山中

光石七様、ありがとうございます。思い返してみると、子供の頃に湧き上がるエネルギーは希望のもとに成り立っていたような気もします。大人になると色々な経験を経て、自分の思い通りにいかないことを思い知らされます。そういった経験が糧になるときもあればストレスにつながるときもありますよね。後者を強く感じとってしまう人は、同時に希望を失ってしまうのかもしれません。大人になるって難しいものですね。

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