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三条杏樹さん

好きなものを好きなときに。

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将来の夢
座右の銘 人間だもの。

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死んだ絵画

14/06/27 コンテスト(テーマ):第三十四回 【 自由投稿スペース 】 コメント:0件 三条杏樹 閲覧数:1148

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君が泣きながら絵を描いていたのを知っている。




まず、君は朝が苦手だ。
平日は今にも吐きそうな顔をして朝ごはんを口に詰め込み、休日は寝だめする。
昼になっても起きてこない。母が苛立ちながら布団を剥ぎ取りに行くと、不機嫌な唸り声が聞こえた。
「育ってほしくないの、お母さんは」
中学生の時、国語の授業で発表した座右の銘は「寝る子は育つ」と堂々と発表した奴だ。睡眠は正義だと言って、エネルギー補充を何よりも優先する。
時計が午後を回っても眠気が覚めないのは、夜遅くまで絵を描いているから。
平日の昼間は学校。休日の昼間は両親がいるため、夜中に隠れて描いているのだ。その絵も決して見つからないように、そっと引き出しの奥に、奥にしまっていた。両親は絵を描くことをよしとしていない。むしろ、やめてほしかった。勉強に専念してほしいのは当然のこと、娘が授業中に漫画の模写をして呼び出されたことを両親は恥としていた。

漫画を買うのをやめろ、絵を描くのをやめろ、紙を無駄にするんじゃない。


「どうして?」
尋ねると、決まりきった答えが返ってきた。

絵で食べていくなんて不可能だ。絵を仕事にするなんてとんでもない。将来なんの役にも立たない。

両親は二人共が公務員だ。
それだけ反対されても、君は絵を描くことをやめなかった。反抗することもしなかった。
ただ、隠れて部屋でひとり、絵を描いていた。





「どうしたら絵が上手くなると思う?」
よく君はそんな風に聞いてきた。どうせ明確な答えは返ってこないと知りながら。
高校生になった君は、ほとんど毎日そんなことばかり考えていた。昔の人の日記も、数式も頭に入らない。
どうしたら絵が上手くなるんだろう。誰に聞いたらいいんだろう。
そればかり。



祖母も絵を描くことが好きだったと知ったのは、小学生の頃だった。まだ十歳になったばかりの夏。どこへ言っても自由帳を手放さない君に、祖母は優しく言った。
「おばあちゃんも、絵を描くのが好きだったよ」
「そうなの?」
「うん。おばあちゃんに似たんだね」
そう言われることが嬉しくて、ぴょんぴょん祖母の周りを跳ねた。
「どんな絵をかいてたの?」
「自分の頭の中の世界」
祖母は庭の向日葵をじっと見つめる。黄色が一等好きだと常に言う祖母のために、父が植えたものだった。
「おばあちゃんには、空想のお友達がたくさんいたの。女の子も、男の子も、うさぎも、犬も・・・」
「きりんさんも?」
「そう、きりんさんも」
ふふ、と笑みをもらした祖母の目尻に皺が寄る。
「現実のものを描くのは苦手だった・・・それって、下手だったからなんだけどね」
少し低い祖母の声が、さらに低くなるようだった。
「おばあちゃんのおえかき、見せて見せて」
「ごめんね、もう無いんだ」
「どうして」
どうして、祖母は口の中で、声にも出さずにその言葉を繰り返していた。幼い君は気付かなかったけれど。
「みんな死んじゃったんだ」
はっきりと聞き取れたのはそれだけだった。他にも、ほとんど口を開けずに何かを唱えるように言っていたが、聞き取れることはなかった。
「どうして」
今思えば、その質問が祖母にとって一番つらかったのだ。
それが分かるわけもない幼い君は、何度も祖母の袖を引っ張って、どうして無いの。そうごねった。




その三年後、祖母は亡くなった。祖父が亡くなったあとに痴呆症もずいぶん進んでいたため、家族も施設に任せきりだった。
祖母は、あれ以来絵の話をすることはなかったし、描くこともなかった。




高校に、漫画のキャラクターを描くのが好きな同級生がいた。君はその友達と出会えたことが幸せでしょうがなかったし、何よりも「絵が上手くなる方法」を聞いた。

「人に見せるんだ」
「誰?」
「誰でもいいんだよ。家族でも、友達でも、見ず知らずの人でも」
「見ず知らずの人になんて見せていいの?」
「自分の絵をネットにのっけてる人もいるじゃん」

その友達は絵がかなり上手かった。いや、上手い、下手で評価するものではないが、とにかく当時の君は友達が「自分より上手い」ことに胸がちくちくしていた。
自分が遅れをとっていることに焦ったのかもしれない。それとも何か別の感情だったのかもしれない。


それから友達と絵の交換をするようになったのは高校生の二年間。漫画のキャラクター、ゲーム、アニメのキャラクター、時にはオリジナルのキャラクター。好きなものを描いて、好きなものを語り合う。絵が上手い友達に追いつけ追い越せと、寝食を忘れて励んだ。
ときたま両親に見つかりそうになりながら。気がついたら夜が明けていたことも、空腹を忘れていて部屋中に腹の虫が響き渡ったこと。
それでもなんの苦痛もなかった。

「ああ、楽しい」

君に絵を描いてほしくて、描き続けてほしくて、朝も夜も、どうやったら「上手くなるのか」を考えた。




「大好き」
絵の中の猫耳をつけた女の子が言った。正確には、言わせた、が正しい。
今なら祖母の言った言葉の意味が分かる。君の頭の中には「友達」がいた。
現実の友達とは違う。
君の思い描いた通りに動くし、話すし、生きる。
それは「生きていた」。手を、足を、目を、髪を、声を。
誕生させていたのは紛れもなく君だった。

君が「生かさなきゃ」いけないものだった。



高校二年の冬。受験のことで生徒たちがそわそわし始めた頃に、友達は言った。
「イラストの専門学校に行くんだ」
「えっ」
「イラストレーターになりたい。絵を描きたいし、アニメも作りたいの」
「それは・・・学校に行けばなれるものなの?」
「わかんない。大変だろうね」

でも。
友達は笑顔で君を振り返った。
「お母さんとお父さんが、応援してくれてるの」

君はその瞬間。線引きされた。それに気がついた。
焦り、憤り、悲しみ、屈辱。
どうしてそんな感情が生まれたのか分からない。理由を見つけるには君はまだ若すぎた。

私はあなたのように趣味程度で終わらせない。「絵を描くこと」が好きなんだ。それを仕事にするんだ。認めてもらうんだ。



君には声にならないものが聞こえたのだろう。それとも、君の中のものが友達にそう「話させた」のかもしれない。
くっきりと引かれたその線の中に入りたい。自分も。
そう、強く思った。



「お願いします」
泣きながら訴えた。
「どうしても絵が好きなんです。何にも変えられない。絵を描いていないと死んでしまう」
本心だった。
しかし、父親の首が縦に振られることはなかった。
「よく考えろ」
冷静な父の声が、震える肩に落ちる。
「絵の専門学校に行ったからといって、みんなが芸術系の仕事に進むわけじゃない。クリエーターの仕事は狭き門だ。その中に入る確率はどれくらいだ?」
数学の教師らしい言葉だった。
君はしゃくり上げて、それでも絵を描くことを許してほしいと訴えた。
「学校に行って絵を描くのか?それでプロになるつもりか?本当に才能のある人間は、自分で努力して成功した人間の方が多いと思わないか」
努力。成功。
それも、父の好きな言葉だった。

「専門学校はいつでも行ける。でも四年大に行くチャンスは今しかないんだ。浪人なんか許さないぞ。誰が金を出すと思ってるんだ」
金。
ぐ、と喉を閉じた。
「大学に行きながらでも絵を描けるだろう。本当に好きならな。今は何をするべきか、ちゃんと考えなさい」

何も言えなかった。



君はこの時のことを思い出して、「反論できなかったのは、情熱がなかったから」と言う。

本当に情熱があれば、父にもっと自分の気持ちを訴えることができたはずだと、本気で学校に行きたければ、行く方法はいくらでもあったはずだと。


何も言えず、何も反抗できなかったのは、その時の君に「友達に負けたくない」という劣等感、嫉妬心があったから。
そんな自信のなさでは、絵描きになることが夢だと、父に立ち向かうのはとても無理だった。

同じ好きなことで、一歩進む友達への焦り。ここで君はやっと気がつく。
「私は、絵を描いて、何になりたかったんだろう。画家?漫画家?イラストレーター?」

ただ、絵を描くことが好きだった。大好きだった。かけがえのないアイデンティティ。それが今、「意味」を求めるようになってしまった。
君の中に葛藤が生まれた。それが敗因だった。






受験勉強をしながら、それでも君は絵を描いた。いつか、親に認めてもらうには、早く上達すること。周りに認められるように自分の絵を世に出すしかない。
早く。早く。早く。
勉強の合間に、ノートの端に「人間」を描いた。
泣いている女の絵。
昔から、その時々の感情で描く生き物が違った。
嬉しいときは鳥。怒っているときは騎士。悲しいときは女。


今受験ノートを見返しても、君のノートには所々に涙を流す女性の絵があった。
横顔、正面、全身、上半身だけのもの。
君とは似ても似つかない女性。紛れもなく「君の」作品だった。










忙しさに取り紛れてペンを握らなくなったのは、三年生の秋からだった。大学受験と就職活動は一生を左右する。そのまさに分岐点にいた。
絵を描く暇があるなら勉強しろ。
耳にたこができるほど父親に言われながら、机に向かって参考書にかじりつく。
「こうしてる間にも、あの子は絵を描いてるんだね」
君は苦々しく呟いた。
「いいんだ。あの子は専門学校で、私は四大だから・・・」

言い聞かせたとき、君ははっとして口をつぐんだ。
こんなことを言うようになったなんて。
「どうして」

君は尋ねようとしたが、それは無理な話だった。
君にはすでに生まれてしまった。

嫉妬と、劣等感と、名前をつけられないほどぐちゃぐちゃしたもの。






君は絵を描くことが好きだった。














大学とは、無法地帯だと誰かが言った。未成年の新入生がコンパで酒を飲まされ、大人ぶってタバコを吸っている。
思い描いていたものとは違ったが、現実なんてこんなものだ。高校生の頃には規制されてたものを爆発させるかのように、男女ともに見目が派手になっていく。中にはそうではない学生もいたが、大学の中ではひっそりと過ごしていた。おそらく、今までの人生もそうであったのだろう。
君はそういう人たちには目もくれず、人と打ち解けることもなくなった。不平不満を言うことが多くなったし、柔く笑っていたあの表情は今やすっかり固くなってしまっていた。何より、自分を卑下するようになった。

原因は二つある。
一つは、高校生の頃に宣言したように、自分の絵を「見ず知らず」の人たちに見せた結果、それがあまりにも冷徹で、シビアで、残酷なものだった。その当時、イラストコミュニケーションサイト、いわゆる自分たちが描いた絵を公開して点数をつけてもらうといったSNSがその手の人間たちに広まっていた。そこでは郡を抜いて才ある者たちが頭角をあらわしている。君はそこにのめり込んだ。
しかし、思ったような結果は得られず、不可視化された評論家たちにそっぽを向かれた。

お前の絵に興味はない。

そう声が聞こえてくるようだった。

君の暗鬱とした表情の原因はそれだけではない。
二つ目は、あの友達がそこで脚光を浴びていたことだ。

抜群な画力。まるで生きた人たちをその中に閉じ込めたような見事な世界観の描き方。色彩を体の一部のように扱って、「魂」と「肉体」をそこに映し出していた。
光を浴びる友達に、自分が日陰にいると思ってしまったのだろう。

こんなはずじゃない。
握り締めた拳から伝わる悔しさ。君は、友達が必死に絵を練習し、あらゆる努力をした結果だとはどうしても思えないようだった。

「才能」。

そんな言葉で締めくくっては自分の技術のなさを嘆いた。いつしか「絵を描くこと」ではなく、「評価される」ことが目的になっていた。


きらきらした笑顔で、楽しそうに筆を滑らせる君はそこにいない。苦しそうに、憎々しげに、「友達」たちを睨みつけていた。使う色も無意識に暗いものへと変わっていった。しかし、どんなに絵を描いても、そのコミュニティで評価されることはなかった。
他の投稿者の絵を見ては、毒が溜まる日々。
「どうしてこんなに上手いんだろう」

君は決して人の絵を蔑むようなことはしなかった。それは、唯一残った自尊心を捨てては終わりだと思ったからだろうか。しかし言葉の節々にはトゲがあった。


「努力をしていないからなんだ」
言い聞かせた。
痛む胸を左手で押さえつけて、ひたすら絵を描いた。






「なによりも嫉妬することが苦しかった。絵は、みんな一日で上手くなるわけじゃない。何年もかかって、評価されるものを描いている。それなのに私は、自分の怠惰を棚に上げて、勝手に落ち込んで、どうして自分には才能がないのか。どうしてあの時もっと本気で絵を勉強しなかったのか。プライドなんて一番いらなかった。私のプライドなんてごみクズと一緒だったから。毎晩泣いて、泣きながら絵を描いて、これじゃない、こうじゃないと、だんだんと見失っていった。当たり前だけど、そんな私の絵には一点も入らなかった。消して、投稿して、消しての繰り返し」


辛かった。
いつしか趣味に「絵を描くこと」と言うのもやめた。


「どんどんエスカレートしていって、周りの人間すべて羨んだ。成功している人たち、楽しそうにしている小学生。全部、憎たらしかった」

描いて、やめて、描いて、やめた。それでもやっぱり絵を描きたい。あらゆる資料を見ながら土台を築こうと、基本だけは学ぼうと続けた。
すでに、絵を描くことを楽しむ心は死んだ。
「ずっと好きで続けていたもの」が消えることが嫌だった。それを失ったら、本当に何もなくなってしまう。
なんて自分はダメな人間だろうか。嘆く暇があるなら努力をしたらどうだ。でも、才能を持った人たちには叶わないんだろう。それを実感するたびにやめて、また描くのだろうか。
一体何がしたいんだろう。
私は、どうしたいんだろう。



とっくに大切なものを失っていたことは分かっていた。
絵を描かない期間がどんどん長くなり、大学三年生になった頃、完全にやめていた。

君はその間に、たくさんのことを考えたのだろう。どんな気持ちで好きだった絵をやめたのか。どんな気持ちで今まで描いてきたものを捨てたのか。
計り知れないものがそこにあった。

友達とも連絡が途絶えた。サイトへの更新もやめた。

「履歴書の『特技・趣味』の欄に書くものがないんだよね」
笑いながら君は言う。それから就職活動で忙しくなり、君の声を、姿を見ることはほとんどなくなった。

君は自分が描いてきたものをすべて捨てた、と言っていた。そうすることでけじめをつけたかったのだと。
しかし、一つだけ残っていた。

祖母が亡くなった日に、描き上げたもの。
黄色をベースに、太陽、木々、山、湖、その夕暮れとも夜明けともとれる美しい風景の中に、少女が立っていた。向日葵の花を持って。湖畔に佇む少女が湖に映り、またその影も金色に輝いて自然と一体となっていた。そこに不自然なものはなにひとつない。光が降り注ぎ、少女の存在を祝福していた。

祖母の「みんな死んじゃったんだ」という言葉の意味が、二十歳を超えてようやくわかった。絵を描くことが楽しくなくなったその瞬間から、「世界」は死んでいた。そこに住む「友達」も、「生かすべき」ものもすべて。すでに離れ、消えて、心の奥深くに、「忘れたい」ものとして位置してしまった。
それは即ち「死んだ」ことだった。

祖母も、絵を描くことが楽しくなくなったのかもしれないと、思ったことがあった。それゆえに、その心をしまいこもうとして、忘れていった。置いていってしまったのだ。二度と取り戻せないと知りながら。時も忘れて夢中だったあの情熱を、祖母は青春時代と共に置いていったのだ。


そして、君もまた、置いていってしまった。
















「どれほど辛かっただろう」


私は君の目をまっすぐに見つめた。
君は少し潤んだ瞳を、私に返した。数年経って、私の知らないところで皺が増えたようだ。
「だれにも言えずに孤独に、自身の嫉妬と劣等感と戦いながら。どれほどの勇気がいるだろう」
そして、手を差し伸べた。君は私の手をしっかりと握った。
「置いてきたものを取りに行っただけ」
「それが、勇気だ」
両手で。確かに君の熱を感じた。
「誰も知らないところで、君は今、乗り越えた。それも才能だと思わないか」
「どうだろう。ただ甘えて、優柔不断だけだったかもしれない」
「君がそう言うなら、そういうことにしておこう」
手を離した。花束を、君の細い腕へ渡した。
「それでも、君が泣きながら絵を描いていたのを知っている」
柔らかく笑いながら、もう一度握手を交わした。
「受賞おめでとう。これは、紛れもなく、君の作品への賞賛だ」

拍手喝采の中、君は歩き出した。

手に持っているのは、架空の世界。君が取り戻した「友達」。
君が描いた世界だった。










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