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クナリさん

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将来の夢 絵本作家
座右の銘 明日の自分がきっとがんばる。

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池田屋事件 後篇 ―― the Collapse and Nativity

14/06/01 コンテスト(テーマ):第三十二回 【 自由投稿スペー ス】 コメント:5件 クナリ 閲覧数:1177

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 池田屋では、一騎当千の二人による、しかし絶望的な戦闘が続いていた。
 外へ逃げ出そうとした浪士が一人、その為に集団から離れ、永倉は容易にその背中を切り下げた。
 ぎぃゃっ、という重い叫びを聞いて深手を与えたことを悟り、振り向いた永倉のその先には、厠へ逃げ込もうとする別の浪士がいた。
 永倉が追いすがる。
 浪士は厠に飛び込む。
 永倉が弓を絞る要領で刀を引き構え、それから思い切り踏み込んで突きを放った。
 間一髪、ガン、とけたたましい音を立てて浪士が厠の戸を閉める。
 しかし永倉の剣の前では、杉の板など薄紙同然である。撃剣が、ドッと戸板を突き抜いた。
 戸の向こうで、急所を射抜いた手応えがある。
 厠の中から、「ごおッ」と断末魔が聞こえ、剣が伝える敵の肉の震えが、致命の一撃であったことを永倉に告げた。
 永倉は素早く体を整え、剣を構え直す。
 そしてまた、新たなる修羅場。

 近藤勇は、いまだ無傷であった。
 実戦の場での近藤の気勢は凄まじく、相手はまずその勢いに呑まれて腕が縮む。
 そうした敵に近藤は鉄砲水の様に斬りかかり、何人かには手応えのある斬撃を浴びせていた。
 しかし、敵が落ち着いてしまえば一転、大窮地に陥るのは分かっている。近藤は遮二無二剣を振るった。
 何度か、敵の剣先が羽織をかすっていた。運次第では、既に何度死んでいるか分からない。
 その時、いきなり、池田屋の中が闇に包まれる。
 店の中に三つか四つしか無かった行灯が、全て消された。
 近藤らが斬り込んだ時、長州に与する店主は、浪士を逃がしやすくする為にすぐ行灯を消そうとした。それが戦闘が始まった為に手が遅れ、ようやくここに来て全て消し終えた。
 だが、これが皮肉なことに、新撰組に有利を運ぶ。
 暗がりでは、敵味方の区別がつきにくい。寡兵の新撰組にすれば、とにかく眼前の敵を斬れば良い。
 同士討ちを恐れて惑う浪士たちに対して、近藤の剣がいよいよ勢いを得た。
 万が一の用心にと、近藤は人影に切り付ける前に
「水!」
 と叫んだ。
 突入した四人は、いずれも旧知の仲であり、新撰組の前身を知る者達だった。
 近藤はかつて、戯れに合言葉を「水」と「鏡」と決め、いずれ夜襲などやることになったらこれを使おう、と気の置けない剣士達に告げていたことがある。
 すると池田屋の、近藤がいるのとは逆側の隅から
「鏡!」
 と永倉の声がした。
(永倉君は生きている)
 近藤は永倉を励ます為に
「おう!」
 と声をかけ、手近な人影に斬りかかった。
 勝機が濃くなったその時、やおら、二階から月明かりが強烈に差した。
 近藤らを突破するのを諦めて二階へ逃げ戻った敵が、外へ飛び出す為、窓の格子を蹴り破ったのである。
 一階にいる近藤と永倉の姿が、青く鮮やかに照らし出された。
 束の間の有利が、もう失せた。

 奥沢ら、出入り口を固めていた隊士達は、二階の窓から浪士達が飛び降りて来るのを見て、慌てた。
 これまで、狭い戸口の前だから、少数の隊士でも逃げ出す敵を抑えられたのである。開けた路上での戦闘になれば、新撰組の有利は無くなる。
 二人、三人、と浪士達は着地したが、奥沢らを一瞥すると、彼らのうち一人が駆け出した。行く先は当然、長州藩邸である。
 他の者へ表口を任せ、奥沢がその一人に追いすがった。
 浪士の名は、望月亀弥太といい、腕利きの剣客である。既に、抜いている。
 奥沢は望月に追い付いたが、太刀を周平にくれてやってしまっ た為、脇差しかない。
 振り向き様に胴を薙ぎに来た望月に、奥沢も応じた。
 二人の剣力は、互角。
 互角であったので、望月の太刀が長さに勝る分、奥沢の腹を深く切り裂いた。助からぬ深さである。
 奥沢の胴から、血が滝の様に溢れた。
 奥沢の刃は望月に届いていない。
「御免」
 望月が、とどめの為に刀を上段に構えた。
 しかし、
「残心、怠れば死」
 そう唱えた奥沢が、致命傷に耐えて踏み込み、脇差を望月のみぞおちに深々と突き刺した。
 奥沢は、それで力尽きて倒れる。
「おのれ、……幕吏の犬……」
 刀を取り落とした望月は、口からも血を吐き、やむなく腹から奥沢の脇差を生やしたまま走り出したが、程なくして倒れた。
 目と鼻の先に藩邸が見えている。
 だが、痛みと 出血で足が動かず、目ももう見えない。
 最後の力を振り絞って、望月は脇差を我が身から抜き取り、その刃で割腹した。
 その姿は、奥沢の白い目には、もう映っていなかった。
 奥沢栄助、討ち死に。

 池田屋の中では、血の花が、幾度となく月光の帯の中に咲いていた。
「いやッ」
 気合いと共に、浪士の刃が近藤に降りかかる。
 近藤はそれを己の鍔元で受け止め、跳ね返し様、そのまま摺り上げて敵の額を割った。
 龍尾剣、という天然理心流の奥義である。
 使いこなすには、卓越した技量と大度胸が必要になる。この夜の近藤は、その両方を兼ね備えていた。
 本来は更に返す刀でとどめを刺すのだが、さすがの近藤にもそこまでの余裕がない。
 それでも、腕や胸を深く切られ、無力化して地べたにうずくまっている浪士は一人や二人ではない。
 近藤は巧みに運足し、容易に囲まれない。右手から、一人が斬りかかって来た。
 また鍔元で受け、踏み込みながら、今度は擦り上げずに殆ど押し込む様に突く。悲鳴を上げた敵の胸板に、血が吹いた。
 左後方からも気配を感じた。近藤は刃を寝かせると体軸を中心にして半回転し、顔も見ずに背後の男を斬った。手応えからして、顎を割ったようである。
 敵は、その戦える人数を確実に減らしている。だがそれでも次第に、近藤を包む輪が出来上がりつつあった。
 どんな技術があろうと、万世の気を吐こうと、無勢は無勢である。勝機を悟った浪士達の剣先が殺気をまとい、揃って鎌首をもたげた。
 落ち着いて隊列を構成し、一度に斬りかかられれば、いかな剣豪とて集団剣術に適うはずがない。
 近藤のうなじがチリチリと震え、汗が急激に冷たくなった。
 死線である。
 少し離れた辺りで、今度は永倉が大きく、「おう!」と近藤へ吠えた。
 近藤の方へ永倉が気を散らしたのを、眼前の浪士が見過ごさずに斬り付ける。
 不意打ちの剣先は、永倉の右手を打った。
 「ぐあっ!」
 永倉がこの夜、最初に上げた苦悶であった。見ると、親指の付け根の肉が、大きく削がれている。
 どうにか剣を取り落とさずに構え直したが、右手から流れる血でみるみる柄が濡れそぼり、まともに握ることが出来ない。
 ただでさえ、刃にも、斬った人間の脂が巻いて切れ味が失せかけている。
 だからこそ、
「本領、本領!」
 永倉はまた吠えた。
 近藤が、
「おう!」
 しかし、近藤と永倉を取り囲む剣の群れは、とうとう剣山の様に彼らに向けられていた。
 浪士達があと一度踏み込んだなら、そこで全て終わる。
「永倉君、死勇だ!」
 近藤が胎を決めたその時。
 絶対の死の運命を、鋭い鬨の声が打ち払った。
「土方隊、参った!」
 土方が、ついに、池田屋に着いた。
 斎藤一、武田観柳斎、島田魁、彼らを筆頭にした新撰組は獲物を見付けた狼の様に、白刃を次々に抜きつれて、戸を蹴破って飛び込んで来る。
 斎藤が、
「がむしん先生、下がりなされ」
 と永倉を下がらせた。がむしん、とは「がむしゃらの新八」から来た渾名である。
「歳ッ」
「近藤さん!」
「二階の総司も見てくれ、俺は無傷だ!」
 これで状況が、まるで変わった。
 ただ二人で二十名を越える浪士を抑え込んでいた処に、当代最強の剣客集団の本隊がなだれ込んで来たのである。
 勝負はあった。
 先ほど声を交わした近藤と土方は、その声音で、既に自分達の圧倒的優位と、ここからのことの運びを意思疎通していた。
 近藤は隊士達に、
「斬るな、殺さんでいい。生け捕れ、捕縛せよ」
 と雷鳴の様な声で命じた。
 土方は再び池田屋の外へ飛び出し、表と裏口を固める隊士を増強するよう配置した。
 その時ようやく、幕府各藩の援軍が池田屋に到着する。
 表口の土方は、彼らに向かって叫んだ。
「手出し無用、最早新撰組が仕切っている。一切のお手出しをするなかれッ!」
 ここに来て、手柄の分散などたまったものではない。
 終わりまで、新撰組で仕切る。土方の眼は、この騒動の後始末の形を見据えていた。死人に口なし、を極力回避しようと捕縛を命じた近藤も同様である。
 土方の気迫の前に、諸藩の連合軍は、黒光りする鎧兜で万全に身を固めたまま、ただ池田屋の付近とも言えぬ遠巻きに突っ立っていた。
 遅きに失した者の、それは士道を知る者にとっては特に、存分なる恥であった。
 ただ、彼らに士道が備わっていたかどうかは、不明である。

 やがて、池田屋の内外が静まった。
 捕縛された浪士達と共に、新撰組の面々も戸口を出て来る。
 沖田総司と藤堂平助は戸板に乗せて運び出され、治療に回された。
 池田屋を出ると、沖田が落ち着いた呼吸で、
「終わっちゃいましたか」
 とこぼした。
 聞き咎めた土方が、
「お前も終わっても、おかしくなかったんだがな」
 と半眼で言う。
 沖田が戸板に仰向けのまま嘆息する様に笑い、土方に小突かれた。
 永倉新八も、手の重症の治療へ向かった。
 近藤勇はとうとう無傷。
 奥沢栄助が死亡。
 他に外を固めていた隊士が二名、一ヶ月後にこの時の傷が元で死亡。
 浪士は九名が打ち取られ、翌朝までの苛烈な掃討戦により二十数名が捕縛された。

 翌朝、朝日の中を、掃討を終えた新撰組が京の大通りを堂々と屯所へ凱旋した。
 沿道は見物人で溢れ、眩しく曙光を受ける旗が、「誠」の一字を大きく誇る。
 京都大火が、防がれた。
 王城の地で、血に飢えた獣の様に見られていた新撰組が、暴虐を取り締まる剣客集団として名を成した日である。

 明治維新を遅らせたとも、また逆に早めたとも言われるこの事件を、性の善悪、行為の正誤といった切り口で語らんとする人は後を絶たない。
 ただここでは、いかなる意味も付与せずに、話としてだけ記述しておく。



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このストーリーに関するコメント

14/06/01 クナリ

・この投稿は、史料を元にしていますが、創作や史実外の内容を含みます。
 池田屋に斬り込んだ隊士の、人数と人員にも諸説あります。

・京都大火と天皇拉致については新撰組側の資料に残されているだけであり、長州側には資料として残っていないため、事実そこまでの計画が練られていたかどうかには疑問の余地が残ります。
 新撰組の印象良化や正当化のための、一種の情報操作では? という説も。

・池田屋で沖田総司が何らかの体調不良に見舞われたのは確かなようで、無傷ながら昏倒した沖田は戦闘後に治療に運ばれたようです。
 彼の死因は結核とされており、この時の吐血が最初の兆候としてよく語られます。
 しかし医学的見地からは、時期から考えて彼の死因となった結核とは無関係である可能性が高いようです。
  狭い所で長時間の一大合戦、季節は夏、…となると、もしや熱中症だったのでは…という説などもあります。

14/06/03 泡沫恋歌

クナリ 様、完読しました。

なるほど、新撰組の好きなクナリさんのパッションを感じました!

凄い力作ですね。
こういう作品がクナリさんの面目躍如のように思います。

しかし、事件が事件だけに・・・本当に血生臭いですね。

秀作を読ませていただき、私もインスパイアされて
また性懲りもなく、歴史物にチャレンジしたくなりました。

感動を有難うございますO┓ペコリ

14/06/05 クナリ

泡沫恋歌さん>
まずは、このうすら長い文章をお読みいただいてありがとうございますッ…。
なんとありがたいことであるのかと。
本当に本当に。
池田屋の戦闘というものをどう演出して、どういった方向性で描写すれば
いいんだろう…と考え考え、このような投稿になりましたが、うまくいって
おりますでしょうか。
自分の文章は、どうも淡々とした描写になりがちだと以前から指摘されて
いたのですが、歴史を題材にした時って淡々としてた方がいいんだろうか…
それとも現代風なアレンジをして、生き生きとした人物描写をした方が
いいんだろうか…あと、どれくらい盛っていいんだろう(コラ)…とかいろいろ。
いずれ違う歴史の位置(ていうか源平とかあと源平とか)に手を出して
みたいのですが、娯楽として楽しみながら人様に読んで頂けるよう気を
つけつつも、性懲りもなくチャレンジすると思います(^^;)。
ここでも歴史を扱った作品、増えるといいですね。

14/06/05 草愛やし美

クナリ様、新撰組の「池田屋事件」後篇まで拝読し終えました。

面白かったです、ある意味、勝算へのかけひきは凄まじいものがあったでしょうが、運も大事でしょうねえ。池田屋事件では血塗られた斬り合いは恐ろしいことですが、闘うしかない浪士たち。目的は違っても、それぞれ、一途な思いで突っ走ったこの時代のエネルギーは、現代社会にはないものかと思います。 こういうエネルギーが生れることがないと、国は変わらないのかもと思えますね。
迫力ある内容に一気に読ませていただきました、面白かったです。

14/06/06 クナリ

草藍さん>
運は大きかったでしょうね…鎧代わりに鎖の着込みを着てはいますが、腕や足を切られて戦闘能力が落ちれば一気に畳み掛けられてたと思いますし。
今回は斬新な解釈とか、自分なりの味付けとかあんまりなしに、池田屋を迫力ある感じで書きたいなあと思っていたので、そういっていただけてうれしいです。
長い文章でしたが、お読みいただき、本当にありがとうございました!

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