カシヨさん

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絵梨

14/05/29 コンテスト(テーマ):第五十七回 【 私を愛したスパイ 】  PRIVATE:I’S賞 コメント:0件 カシヨ 閲覧数:1067

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『私たち結婚しました』

 いわゆる”いい歳”になると、そう高らかに宣言することは気恥ずかしくて、千織は当初、ハガキを出すことをためらった。とはいえ、ウェディングドレス姿はめずらしく写真写りがいい。夫の聡の「きみの好きにしたらいいよ」という言葉に背を押され、結局作ることにした。
 アドレス帳を繰っているとき、ふと手が止まった。
 中島絵梨。
 今は確か、近藤姓だったはず。千織は振り返り、夫に声を掛けた。「ねぇ、絵梨……にはどうしようか」
 しばらくの沈黙の後、「きみが出したいのなら……」と聡が答えた。広い背中はそれ以上表情を見せなかった。
 絵梨は一年前まで聡の妻だった。

 *

 何年かぶりに絵梨からメールが来たのは、千織がちょうど仕事を辞めたばかりの頃だった。いつしか学生時代の友人たちとは疎遠になっていたこともあって、久々の再会に店探しから力が入った。
 肌つやのよさ、華やかなネイルは専業主婦の優雅さを想像させた。素直に「うらやましい」と口にした千織に、しかし友人は今にも泣きそうに顔をゆがめ、夫の浮気を訴えてきた。 
 もう耐えられないわ。離婚したいの。でも、確たる証拠はなくって……。
 同情を示す千織に絵梨が続ける。
「証拠を手に入れたいの。千織……協力してくれない?」
 少し考える様子を見せはしたが、千織は頷き、スパイの真似事を引き受けた。

 絵梨の夫の行きつけの店で見張ることになった。定食屋だ。
 柱の影からこっそり様子を伺うこと数日、偶然、本人と目が合ってしまった。
「千織さんですよね。よかった……。違ったらまずいし、どうかなぁ……って思ってたんです」
 言葉に詰まりながらも懸命に話す様は、不器用で実直な人柄を思わせる。既婚者であるにもかかわらず、女に不慣れらしい男は、やがて少しずつ千織に対する緊張を解いていった。
 趣味、食べ物の好き嫌い、休日の過ごし方。 
 昼食時の毎日たった30分程度だが、ふたりは他愛ない会話を積み重ねていった。
 
 3ヵ月も過ぎる頃、千織は絵梨から呼び出された。
 報告できることがなかったとはいえ、連絡が途絶えがちだったのは確かだ。責められるだろうと覚悟していた千織を、絵梨は口汚く罵った。
「あんたって本当に役立たずね。こんだけ時間をかけて、結局何の成果もないじゃない」
 ここまでの激高の理由は不明だ。戸惑う千織を無視し、さらに彼女は言い放つ。
「何もかもあんたのせいよっ」
 吐き捨てて出て行く後姿を、千織はただ呆然と見送るしかなかった。そして、時期を同じくして、聡が食堂に顔を見せなくなった。

 ある日、その彼から千織の元にメールが届いた。駅前の居酒屋に入ると、すでに男は待っていた。テーブル上のグラスはすでに空になっていた。
「きょうは本当にすみません。ぼくなんかのために、あの、もちろんご馳走しますから、ちゃんといっぱい食べてくださいっ」
 真っ赤な顔で立ち上がった聡は、はずみでよろめきながら、おどけたように敬礼した。
 幸いなことに、半個室のテーブル席は死角となり、周囲の視線から守られていた。過剰な身振り手振り交え、取り留めのない話を続ける彼は、なかなか肝心なことを言い出さなかった。
 彼の妻が不貞の末に妊娠したことは、すでに友人たちの知るところだった。しかも、実は随分と前から離婚を企て、あまつさえその原因を夫のせいにし、慰謝料を手に入れようとしていたという。
 無理やり笑ってみせた聡が、「彼女には……ぼくじゃダメだったんですよね」と呟いたときだった。千織がすっと手を伸ばした。
 節ばった指は一瞬ぴくっと反応し、逃れようと後ずさった。しかし、酔って力が入らないらしい男の抵抗はそこまでだった。細くて白い指に握りこまれ、もはや身動きは取れない。開きかけた唇も、圧して封じられてしまう。いつぶりかに感じる他人の熱に、思考は乱され、判断力も奪われた。望むものではなかったが、痺れる意識の中、彼は瞼を閉じて知らない香りに身をゆだねた。

 *

「二度目の結婚、おめでとう。今度こそ幸せに」
 そう言った友人に、千織も「ありがとう」とグラスを持ち上げて応じる。平日の昼下がり、友人とホテルのレストランに来ていた。絵梨とも共通の知り合いで、付き合いはこちらのほうが長い。
「ただまぁ、新郎の前妻が絵梨ってところがアレだけど」
「そう? 感謝してもしきれないくらいよ。だって、自ら手放してくれたんだもの」
「でも、何か陰湿なことしてきそう」
「大丈夫よ。プライド高いあの子にすれば、夫に捨てられたんじゃなくて、夫を捨てたってことで自尊心は守られてるの。どんなに腹が立っていても、何もしてこないって。そんなみっともないことはできないはずよ」
 あんたって……恐すぎ、という友人の呟きに、千織は満面の笑みを返した。


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