夕霧さん

性別 男性
将来の夢 流れのままに生きる
座右の銘 魚は食いたし、濡れたくなし

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岐路

14/05/29 コンテスト(テーマ):第五十八回 時空モノガタリ文学賞【 転がる石のように 】  コメント:2件 夕霧 閲覧数:865

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 横断歩道を走る鳥の影とか、木漏れ日のストロボとか。そういった輝きの芸術を創り出す朝の陽光があれば、完全に目が覚めるのに。そう思いながら、浩二は先がすり減った紺の傘で地面を突っついて、泣き出しそうな灰色の空を睨みつけた。

 練習中の吹奏楽部員が奏でる管楽器の音が校舎中に響き渡る放課後、各々の教室で二者面談が行われている。生活態度、人間関係、成績、そして進路。
担任教師の野村と向かい合って浩二が座っている。机に広げられた成績表には申し分のない点数が並んでいるが、浩二の顔は浮かない。
 「僕は進学するべきなんですか?」
 野村は驚いた。うつむいた生徒の吐き出した憂鬱が、普通科の進学校に通う高校生が抱える一般的な悩みではなかったからだ。
 「この成績で進学しないのはもったいないし、普通科高校卒だと就職も難しいからね。
 どうして進学したくないんだ?」
 浩二は膝の上で遊ばせている指先に視線を落としたまま、答えを探す。廊下の向こうから聞こえてくるトロンボーンが音を外すと同時に、ゆっくり顔を上げて言った。
 「特に進学したくない理由があるわけじゃないんです」
 締め切られた窓の向こうで雨が降り出した。野村の肩越しに見える鈍色の雲を眺めていると、浩二の姿が透明なスクリーンに映りこんでいる。
 「今までは周りの空気に流されていただけで、明確なビジョンはなかったんです。それは良くないんじゃないかと思って。だけど自分が何をしたいのか分からない」
 黒縁の眼鏡と漆黒の瞳孔にも、自分の顔を見つけた。
 「僕はどうしたらいいんでしょう?」
 野村は顎に生えた無精髭をいじりながら考え込むと、楽器の音がどこかへ消えてしまったように、雨音しか聞こえてこない。しばらくして、手を机に置いて口を開いた。
 「自然の法則に従って坂道を転がり落ちる石ころみたいなものでさ、途中で止まることはできないんだ。自分のやりたいことが見つかるまで転がるのが得策だよ」
 「そんなもんですかね」
 クラシック音楽の合奏が静かに入ってきた。
 「まあ、やりたいことが見つかったときのスタートラインが後ろの方にあるよりは良いのかな」
 軽快な音楽と共に、面談は順調に進んだ。野村は実力に見合った大学を勧め、浩二はそこを目指すことを確約した。
 浩二が去った教室で独りになった野村はつぶやいた。
 「中途半端に頭が良い奴はこれだから。学校と俺の株を上げるために、大人しくいい所に入ればいいんだよ」
 大きなため息がシンバルの音にかき消された。

 教室ではああ言ったものの、浩二はまだくすぶっていた。
 別に進学が嫌なわけではない。そこに明確な理由が欲しいのだ。その理由が見つかるまで周りに流される、坂道を転がり落ちることに抵抗を感じている。
 廊下の突き当たりで足を止めた。雨粒が水滴となって窓ガラスを伝い落ち、サッシに水たまりを作っている。
 浩二は屋上に向かって走り出す。答えはつかめなかったが、少し見えた気がした。
 石ころだから転がり落ちる。自分は石ころとは違う。両足を持った人間だ。だからこの階段を駆け上がる。外の雨のように、上から下に落ちるだけではない。坂道を上へ上へ登るのだ。
 ドアを開けて外に出ると、あっという間に全身が濡れた。制服も鞄も雨に打たれ放題だが、まったく不快にならない。あれだけ憎らしかった一面雲で埋め尽くされた曖昧な空さえも、自分の背中を押しているように感じる。
 浩二の目は完全に覚めていた。
 「あんなボロいのはもういらない。今度はもっと明るい傘にしよう」


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このストーリーに関するコメント

14/06/06 清野

 はじめまして。
 とても美しい冒頭ですね。「横断歩道を走る鳥の影とか、木漏れ日のストロボとか。そういった輝きの芸術を創り出す朝の陽光があれば、完全に目が覚めるのに」──この部分、ああ本当にそうだ、とうっとりして五回くらい読み返しました。それにこの導入だけで、その次に現れる浩二の物憂さが難なく想像できます。その他の描写も、耳に聞こえるもの、目に映るもので当事者の意識を表現していて素敵です。
 しかし、終盤の展開はいささか唐突だな、と思いました。

14/06/16 光石七

拝読しました。
高校の面談で「もっと上の大学受けたらいいのに」と担任に言われて腹が立ったことを思い出しました(苦笑)
流されることに抵抗を感じる浩二君の気持ち、わかりますね。
自分の足で、一歩ずつしっかり踏みしめて前に進んでほしいです。

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