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クナリさん

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将来の夢 絵本作家
座右の銘 明日の自分がきっとがんばる。

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光明流転の剣 like a Rolling Stone

14/05/27 コンテスト(テーマ):第五十八回 時空モノガタリ文学賞【 転がる石のように 】  コメント:6件 クナリ 閲覧数:1222

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幕末。
三日月が薄く照らす夜の京都を、駆ける者達がいる。
逃げる人影が三人。追うのが二人。
逃げている内の一人が、
「もう戦おう」
と言ったが、他の二人が首を横に振る。
だが、先程の一人は鯉口を切って振り返った。
「玄、お前ッ」
咎めながらも、残りの二人も意を決して足を止め、抜く。
玄と呼ばれた男が、先頭に立って追っ手に相対していた。
追っ手の一人の影が、その玄と交錯する。
「壬生浪が!」
叫んで、玄が切り下げた。
だが、彼のそれとは格の違う剣閃が、一際速く宵闇を切った。
宙に飛んだのは玄の首。
体を整えて待ち受けていた剣士を、この敵は全力疾走しながら上回って斬った。その追っ手の達人振りに、あっけに取られた残る二人の手から、刀がポトリと落ちる。
「拾いな。待つ」
そう言われ、慌てて二人がしゃがみ込んだ。
追っ手が一足飛びに、前に差し出される格好になった二つの首をいっぺんに薙ぐ。
月の下で、二つの丸い影が転がった。
「嘘だよ。馬鹿」
この追っ手、藤堂平助は、二十歳で新撰組の八番隊隊長を務めた、最年少幹部である。

藤堂は江戸っ子気質で、人から好かれる性質だったという。
剣の腕も相当に立つ。戦闘の際には常に真っ先に敵に飛び込み、ついた渾名は「魁先生」。
傍からは無謀に見えるが、藤堂は死地の中にある光明を見出し、そこへ体ごと飛び込んで行く。その中途に敵がいればなぎ倒す。
体ごと跳ねて斬る一撃は重い。それで敵を討てば、更に死地は減じる。
戦場でこれを繰り返して斬り勝つのが、藤堂一流の生存技術であった。
「活発過ぎる」
と諌められると、
「俺という石は、苔がついたら終りなのです」
などと返した。

新撰組は、多摩の試衛館出身の近藤・土方らによる価値観が大きく働いた組織である。藤堂もまた試衛館時代から近藤らとは懇意であり、一方ならぬ信頼を受けていた。
その藤堂が、彼が慕う伊藤甲子太郎が設けた組織に入る為、新撰組から離脱することになった。
組織の名は御陵衛士といい、形としては新撰組からの分派だったが、近藤らから見れば異思想の、殆ど対立組織である。
その伊藤に、藤堂がついて行った。
「俺は、剣もそうだが、一つ所にいなくて当然とでも思ってください」
近藤の胸中、いかばかりだったか知れない。

後日、新撰組は危険分子として御陵衛士殲滅を決行する。
深夜、まず伊藤を粛清すると、死体を京の油小路に捨て置いた。遺体を引き取りに来た御陵衛士を一網打尽にする計画である。
この夜、新撰組は実に約四十名が油小路周辺に潜んだ。
その中には、二番隊隊長永倉新八、 十番隊隊長原田左之助らの猛者もいた。共に、藤堂とは試衛館以来、幾多の戦場で互いの背中を預け合った盟友である。
だが、今夜藤堂が姿を見せたなら、斬らねばならない。
永倉が、「魁、来るなよ、……」とうめく。
やがて伝令が入った。
――敵は七名。藤堂平助を、含んでいる――
原田の口元から、バリ、と音がした。
歯噛みの音であると、永倉だけが分かった。

藤堂達は、半ばこの襲撃を覚悟していた。
それでも、新撰組を抜けてまで貫かんとした思想がある。引く訳には行かなかった。
戦端が開かれると、たちまち闇夜に白刃の嵐が巻き起こった。
「お前らは、人にたかって狗みたいに斬るのか!」
叫びながら藤堂は、隊士達の僅かな隙を見つけては、鹿の様に跳ねてすり抜けた。
軽い身を操り、数合を潜り抜けていまだに無傷である。
その目に、永倉の姿が映った。
背筋に、痛い程の緊張が走る。逆立ちしても、多対一で勝てる相手ではない。
身を翻そうとしたその時、藤堂の目が異様なものを捉えた。
永倉の左手に、巨大な隙が開いている。後詰もいない。あそこへ飛び込めば、確実にこの修羅場を抜けられる。
永倉はここへ来る前に、近藤から「必要とあらば、敵へ配慮しても構わない」と言い含められていた。
藤堂だけは助けてやれ、という言外の叫びである。離反者に対して容赦しない筈の近藤の悲痛が、永倉にもよく伝わっていた。
永倉の意を組み、その間隙を抜けようとした時、藤堂の背中を刃が浅く薙いだ。
新撰組の三浦常三郎の剣である。
藤堂が激昂し、
「貴様、この俺に背中傷を付けたか!」
と向き直り、三浦へ応戦した。
既にそこは、新撰組の剣の奔流である。
藤堂が追うべき光明は一切ない。立つ地の全てが、死地である。
藤堂の生き目が、零になった瞬間だった。
「藤堂ッ」
「俺は、後悔無縁、よ」
永倉にはそう聞こえた気がする。
不意に、永倉に背を向けていた藤堂の体から力みが失せ、その体が仰向けに地に墜ちた。
天を仰いだその顔面が、深く長く、縦に割られている。
即死。

享年二十四歳。
刎頚の仲間をも断ち、己の信条に生きた玉石の剣士である。
苔を生じる間も無く、この夜、転がるのを、やめた。


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このストーリーに関するコメント

14/05/29 泡沫恋歌

クナリ 様、拝読しました。

新撰組かっこいいですね!

いつも剣に依る殺傷シーンが上手いなあーと舌を巻いています。

新撰組は詳しくないので勉強になります。
京都には「池田屋」とか、新撰組の歴史を語る建物がたくさん残っていますよ。

14/05/30 クナリ

凪沙薫さん>
読んでいただけているとは光栄です、ありがとうございます。
今、マイブームですね(^^;)。
特に好きな剣士を書き終わったら終わろう、と思っていたので、この藤堂さんで剣士をフィーチャするのはひとまず一区切りですが。
時代劇って、どの程度まで登場人物をアレンジしていいものかわからなくて手を出していなかったのですが「割と好きにやっていいんじゃなかろーか」と最近思えるようになったので、書いてしまいました…。
油小路は、池田屋と並ぶ新撰組のターニングポイントだと思っているんですが、今回は藤堂さんだけに着目したので、伊東さんあっさりお亡くなりです(^^;)。
二十四歳でというところ、藤堂さん年齢詐称していた(周りの人がそうさせた)なんて話もあるんで、本当の享年かは分からないんですけどね。
最後にもう一回くらい新撰組を書こうと思っております。
凪沙さんを楽しませられれば幸いです。

泡沫恋歌さん>
冒頭と最後、今回は二つ戦闘シーンを入れられたことに、こっそり一人で喜んでおりました(^^;)。
ちゃんばらシーンはやっぱり気合入れて書きたいのですが、勉強のために何冊か時代小説を読んでいると、けっこう作家様方はあっさり書かれているんですよね。
そのせいか、クナリが書く殺陣はあっさり目に終わりまする。
中学の修学旅行が京都だったので、そのときにファンだったらいっそう楽しめたはずなのですが、惜しいことをしました…。
池田屋事件のときにそばの橋のギボシに刀傷が残ったとかで、それは見てみたかったなあ…。
そういえばクナリの生まれ故郷は千葉県流山市といいまして、偶然にも近藤勇終焉の地です!
市の博物館に「近藤勇が使った階段」がどーんと展示されているんですが…「近藤さん以外の人が山ほど使ってたんでねえの?」という突っ込みは禁忌なのです…。

14/05/31 草愛やし美

クナリ様、拝読しました。

新撰組、嵌っておられますね。格好良すぎますからねえ。と言っても、知識自体少ない私です。クナリ様のお作で、人物像など知り、感心して読ませていただいています。
数年前、出かけました京都霊山観音近くにある霊山博物館のこと──幕末維新ミュージアム──を思いだしました。血のりべったりの襖だとか、竜馬を斬った刀とか、展示されていました。時間の経過を一瞬感じさせないような、気迫のある展示物でした。あの時代に生きた多くの剣士たち、浪士たち、国を想っての熱い心を読ませていただき、感じています。面白かったです。
新撰組シリーズというか、剣士など時代物、期待しています。楽しませていただき、ありがとうございました。

14/06/01 クナリ

書き忘れていました…。
<この話は史料を元にしていますが、創作を含みます。>

草藍さん>
かっこいいですねー。
新撰組については、かなり作家様方(特に子母沢寛様と司馬御大様)の創作部分によるかっこよさが強調されたイメージが根付いていると思うんですが、やはり斜陽の中で奮戦したサムライというのが惹かれるのかもしれません。
明治維新後は当然彼らは威信を妨害した悪役として片付けられていたので、研究もほとんどなされておらず、多くの真実は闇に埋もれたまま現代に至っています。
時代劇はなかなか難しく、悩ましいですが、今後もスキをついて書いていくんではないかと思います。
なるべく読みやすく、歴史上の人物の魅力が伝わるように書ければいいのですがッ。



14/06/16 光石七

「流石」としか言いようがありません。
かっこいい。
手に汗握りながら読んでました。
新撰組、惚れ直しますね。

14/06/17 クナリ

光石さん>
ありがとうございます!
藤堂平助さんは、近藤局長たち新撰組最盛期の中核の人々とも古くから親交があり、”近藤組”ともいえる組の離反者(と呼ぶべきかどうかはわかりせんが…)としては異質な存在だと思います。
彼が新撰組を離れた理由は思想上の問題も大きかったと考えられるのですが(佐幕派の近藤たちと、勤皇派の伊藤・藤堂ら)、譲れないものがあったのでしょうね。
彼の人生は、時代に引き裂かれていく新撰組の行く末を暗示しているようです。

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