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yoshikiさん

面白い作品を知り、自分でも書いて見たくなって何年も経ちました。よろしくお願いします。 2010年 小説現代S&Sコーナーに初めて送った作品が掲載されました。作品名『幽霊の見える眼鏡』 とにかく面白いものが書いていけるといいなと思っています。 イラストはエアブラシと面相筆で昔描いたものです。

性別 男性
将来の夢 楽隠居
座右の銘 不可思議はつねに美しい、どのような不可思議も美しい、それどころか不可思議のほかに美しいものはない。アンドレブルトン

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獣の刻印

14/05/26 コンテスト(テーマ):第三十二回 【 自由投稿スペー ス】 コメント:0件 yoshiki 閲覧数:1203

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 18

 ――黒川精神療養院地下室、陰気な雰囲気の場所で尋常でない会話が続いていた。
「この少年の筋肉の質量は常人の数倍もあるんじゃ。もし暴れたら手がつけられん、だから拘束してある」
「暴れるなんて。東君はそんな少年じゃありませんわ」
「だといいがねえ。彼は昔の彼じゃない」
「わたし、一度帰ります。ここには林崎先生と出直してきます。医者もつれて参りますわ」
「はっはっはっ。何を言うんだい。このまま君を帰したらどうなるか、さすがにわしにも想像がつく。君はこのことを誰かにしゃべるに違いない。この重大な秘密を今は誰にも知られるわけにはいかん。だから君は当分ここからは帰れないんだよ」
 黒川の眼の奥低に暗く深い川がある。その川は暗く底知れない狂気を湛えて碧川を見つめていた……。 
「どういう意味ですか。それは」
 碧川が黒川に向かって言った。
「残念だが君をここから帰さない」
 碧川が後づさりしてドアに背中をつけた。ドアノブに手を掛ける。その手が微かに震えていた。
「斉田!」
 黒川がそう叫ぶと斉田が碧川の手をつかんでドアから引き剥がした。
「林崎先生! どういうことです。これは」
 碧川が甲高い声をあげて林崎の方に視線を投げた。
「林崎君はもう以前の林崎君ではないよ。神の声の従順な下部だ」
「なにをしたんです? あなたは林崎先生になにかしたんでしょ!」
 碧川が声を荒らげて叫んだ。
「まあ、そう興奮するな。わしはこの少年の意識を回復させたいのじゃ、さあ碧川さん。この少年に何か話しかけてみてくれないか」
「いやです! そんな事」
「いいから何とかして少年を覚醒させろ!」
 語気強く、黒川が態度を豹変させた。その奸悪な本性がついに表出したのだ。仕方なく碧川がしゃがんで床に落ちたシーツを拾い上げた。胸元までそっとシーツで少年の裸体を覆った。少年の意識の回復は碧川にとっても望むところであったろう。少年との間に一時にせよこころが通い合った事を碧川は思い出した。やくざを相手に大立ち回りを演じて見せた少年。意識が戻ったなら力になってくれるに違いない。そう碧川は思った。しかし碧川の心にそれとは裏腹に少年を、このままそっと眠らせてあげたいと言う母性もまた生じていた。暫らくの間、碧川は少年をじっと見つめていた。
 やがて複雑な心境を抱えて碧川は少年にゆっくりと話しかけた。少年の耳元でそっとだ。
「東君…… 大丈夫なの。東君」
「もっと大きな声を出せ。そんな蚊の鳴くような声じゃ天国の少年には届かんぞ」
 黒川が言った。
「東君…… 」
 碧川が繰り返す。
「もっと大きな声だ!」
 黒川が怒鳴った。碧川が少年の肩に手を添えた。
「東君。あなたの心臓は動いてる。あなたは生きてるんだわ」
 少年の表情には殆ど変化がなかった。昏睡状態に近い、表情のない寝顔だ。
「東君。聞こえているのなら聞いて。わたしあなたにまだお礼を言っていなかったわ。あの時わたしを助けてくれて本当にありがとう」
 碧川の眼が潤んでいた。その直後にいきなり黒川が少年の頬を平手で叩いた。黒川が癇癪をおこしたのだ。
「いいかげん。起きんかこいつ!」
「乱暴はやめて!」
 碧川がヒステリックに叫んだ。
「林崎君。この人を部屋に連れていきなさい」
 黒川が不機嫌な顔で命令した。おとなしく林崎が碧川を連れてその部屋を出た。途端に碧川が逃げようとした。しかし林崎に左腕をつかまれた。前にのめりそうになってヒールの片方が脱げて転がった。
「林崎先生! しっかりしてください。催眠術にでもかけられたの。それとも洗脳されたの? 眼を覚ましてちょうだい。林崎さん」
 気丈に碧川が叫んだ。
「あなたを逃がすと僕は叱られます」
 うつろな目のまま林崎が言った。と後ろからついてきた看護師の女が碧川のもう片方の手を掴んだ。かなりな腕力で抵抗もできない。
「世話を焼かせないでこっちにおいで」
 中年の大柄な女だった。顔色の悪い卑しい表情の女だ。地下の薄暗い廊下をゆくと倉庫のような小さな部屋があった。精神に異常をきたした者を入れておく部屋のようだった。碧川は有無を言わさずそこに放りこまれた。内側の壁にベッドのクッションのように素材が貼ってある。患者が暴れても身を傷つけない配慮らしかった。それにしても何年も使われていないらしく。薄汚れていて嫌な臭気があった。天井に蛍光灯が一本だけだ。
 碧川はただ途方にくれた。以前やくざ者の屋敷に監禁された記憶が脳裏に蘇った。がちゃりと、かぎが掛けられた。ドアの内側から叩いてもそのドアは重くびくともしなかった。

「黒川先生」
 二人が出ていくと殆どしゃべらなかった斉田が口を開いた。
「なんだ」
「少年が今ここで仮に覚醒したらどうなると思います」
「どうなるとは」
 いぶかしんだように黒川が答えた。
「私達に敵意を抱くかも知れない」
「わしは命の恩人だぞ。火葬場のバーナーで焼かれるところをわしが助けたんだ」
「確かにそうです。しかし少年の為にでしょうか?」
「何が言いたい斉田」
「実験の為に助けたんです。不死の秘密の為に」
「だからなんだと言う」
「僕には眼を覚ました少年が喜んで実験に協力するとは思えませんねえ」
「目覚めさせん方がいいというのか」
「その通りです」
「しかしこのままでは埒が明かない」
「このままじゃ危険だ。黒川先生。もしかしたら目覚めるのは時間の問題かもしれません。少年の四肢をばらばらにしてしまいましょう」
「なに!」
 黒川がさすがに驚いたような顔をした。
「しかしこの少年の手足を今更切り落としたところでたいした意味はない」
 少年の顔を覗き込むようにして黒川が言った。
「念のためです」
 陰気な斉田の声だ。
「再生には途方もない時間が掛かるかも知れん。お前はこの少年が怖いのか斉田」
「いや、怖いというわけではありませんが、目覚めた時のことを想定しておく必要があります。万全を期すのです」
「お前は結構抜け目がないな斉田。お前の母親に似ている」
「母の話はやめてください」
 斉田が感情的な顔を始めてみせた。蝋の顔に血が通ったのだ。
「わしはお前の母を敬愛しておったぞ。今はもういないが」
 斉田はなにも答えなかった。斉田の母は優秀な正看護師だった。名を斉田玲子と言った。実は黒川の過去の愛人であり、その連れ子こそ斉田だったのだ。玲子は見目麗しい美貌をもっていた。黒川は離婚をして一人身だった玲子に甘い話を持ちかけ、玲子を自分のものにした。 玲子は若くして病死をしてしまったが、玲子の一人息子を黒川が育てたのだ。斉田治を医大にまで行かせ自分の側に置いている。斉田は根暗だが優秀な頭脳を持っていた。それは黒川も認めるところであった。
「わしはやはり、少年を目覚めさせてみたい。少年の話が聞きたいのじゃ。不死化した経緯を知りたいんじゃ。研究を確立させるにはそれが必要だ。わしはウイルスの母体のようなものが知りたいんじゃ」
「なるほど。インフルエンザのウイルスさえもが宇宙から飛来したという説もありますからねえ」
「そうだ斉田」
「しかし少年が何も話さなかったらどうします」
「自白剤を使ってでも喋らせるさ」
「相変わらず黒川先生は強引ですね。ところで不死のウイルスの人体実験はどうするんです?」
 斉田の目の奥に怪しい笑みが浮かんだ。
「そうだなあ。林崎か碧川を使うつもりじゃ」
「動物のように死んだらどうします?」
「それも貴重な実験結果じゃよ。冒険に犠牲は付き物じゃ。恐れてはいかん。前に進むのじゃ」
「しかし、碧川をどうするのです。随分とリスクの大きい事をされましたねえ。先生のされた事は誘拐と同じですよ。彼女が学園を休めばすぐ怪しまれる」
「碧川は美人だ。洗脳して昼間は学園に行かせるさ。そして夜はわしの奴隷にする」
「……」
 斉田が唖然とした顔をした。
「奴隷ですか……」
「そうだ。わしは美人には目がない性質でな。あの女のふくらはぎを見てわしはそそられたんじゃ。久しぶりに欲望を覚えたんじゃよ。わしはあの女の神になり、主人になる」
「わしが飽きたら、おまえにも碧川を抱かせてやるよ」
 斉田が黙りこくって黒川をただじっと凝視していた。そして言った。
「僕はそこまで女に餓えてはいませんよ」
「そうか、あの女の裸体を拝ませてやるよ。お前も欲情するさ」
「何を言い出すんです」
「まあいい。無理に抱けとは言わんよ。はっはっはっ。うおっはっはっはーっ」
 実にいびつな恐ろしい笑いだった。黒川はいやらしい爬虫類のような貪欲な目をしていた……。

 19
 ――東少年は夢を見ていた。
 少年はそれを意識のどこかで夢だと自覚していた。しかしその夢をいつ、どんな風に見始めたのか全く思い出せなかった。目覚めようと思った。目覚めなければならないと思った。なぜか計り知れない胸騒ぎを少年は感じていた。その胸騒ぎは焦燥感を伴って少年の胸に重く圧し掛かっていた。
 夢の中に大聖堂があった。宇宙と一体化するほどの迫力を備えて、大聖堂は超然と暗黒の中にそびえていた。円形の窓型に満天の星空が貼り付いていた。その聖堂の中に少年は立っていた。冷気が足に絡みついていた。床に十字を這わせ、身廊から翼廊にかけて漆黒の闇が支配していた。側窓のアーケードのステンドグラスにはイエスが俯いていた。少年はその聖堂の中を彷徨っていた。すると目の前に大理石の祭壇が現れた。少年はその祭壇の上に寝ているものを見て息を呑んだ。
 そこには自分が寝ていたのだ。自分が、もう一人の自分が蝋人形のような白い裸体を冷たい石の祭壇に横たえている。驚きで目眩がしそうになった。その少年は呼吸もなく、鼓動もなく、化石のように深く眠っていた。大聖堂は巨大な船を模して造られてあり、その中央部に祭壇が設置され、印象的な模様の彫刻が回りを飾り立てている。
 恐ろしい程の静けさがその場を支配していた。針一本床に落ちたとしても容易に聞き分けられたに違いなかった。闇の中に蜀台の蝋燭の灯りが揺らいで、照らし出された少年の身体は異次元の虚空に浮かんだ白い彫像のようだ。

 その時だ。突然宇宙の彼方に閃光が走った。周りの星々がその光に萎縮して見る見る体裁を欠いてしまう程の輝きだ。眩いばかりの光輝は暗黒の宇宙にひらめき、大聖堂の美しいばら窓がその閃光に照らされて、石の壁に三原色の幻想的な映像を映し出した。しかしその映像美は一瞬のうちに喪失した。なぜならその直後に宇宙から小石ほどの隕石が高速でばら窓を直撃し、ステンドグラスを打ち破ったのだ。一瞬にして地鳴りを伴う轟音が巻き起こった。大聖堂の窓という窓が反響し合い連鎖して粉砕していく、まるでこの世の総てを歪ませて引き裂き、崩壊させてしまう様な光景であった。ガラスの破片は空間を舞い微粒子になりきらめき、拡散して青い霧に変わる。
 青い霧はやがて異様な生き物へと変化していく…… 
 青い蝶。そこには何千、あるいは何万という計り知れない数の蝶が群れ、一気に大聖堂の大屋根を突き破って上空に立ち昇った。少年はその時祭壇上の少年と一体となった自分を感じていた。二つの身体を持つ自分が一つに重なったのだ。 ――その瞬間に少年は目覚めた。全身の血液が滾って濁流のように流れた。喉の奥から呻き声のようなものが吐き出された。両目がかっと見開かれ天井を仰ぎ見た。

 異変に真っ先に気付いたのは斉田だった。手術台の側に走ってきて少年を凝視した。少年は身体を起こそうと思ったが自分が革のベルトで拘束されている事を知った。少年は意識をはっきりさせるようにゆっくりと深く深呼吸した。注意深く周囲の状況を伺う。黒川がすぐに部屋に入ってきた。歓喜に目を輝かせている。手術台の横に緊急ブザーがあり、斉田が黒川のいる院長室に事態を知らせたのだ。
「おめでとう東君! ついに君は目覚めた。君は不死だ。東君。わしはその復活の現場に居合わせた事を誇りに思うよ」
 黒川がドアを開けたと同時にそう叫んだ。
「あんた誰だ…… おいらどうしたんだ」
 東がやっと意識を持って話し出した。
「君に聞きたい事が山程ある。いやあ素晴らしい。君は死神に打ち勝ったのだ」
 取ってつけたような笑顔をして黒川が言った。
「おいら。生きてたらしい。ここは天国でも地獄でもなさそうだ」
 興奮状態の黒川を尻目に東道夫が無表情で答えた。
「わしは君を救った黒川と言う。この病院の院長だよ。こっちは助手の斉田だ」
「……」
「君は死を宣告された。身を焼かれるところ先生に助けられたんだよ」
 斉田が説得するように言った。
「この人はおいらの命の恩人って訳かな」
「そうだとも」
「しかし、おいらを何だって拘束する? 腕がいたいよ」
 黒川が困った顔をした。
「おいら思うんだけど。どうやら、おいら実験台になっているみたいだね。本当においらを助けてくれたんならこんな革のベルトなんていらないはずだ」
「勘違いせんでくれよ。君が急に起きださんように配慮したんだ。ふらつかれて怪我でもしたら大変だ」
「そうか。だったらこれを今すぐ外してくれ。苦しくてかなわない」
「そうはいかん」
「なぜだい?」
「それはまだ実験中だからだ」
「――やっぱり。おいらはモルモットか」
「そうじゃない。君は不死身だ。その秘密を解き明かし人類の為に役立てる。協力してくれたまえ」
「悪いが嫌だ。おいら平凡に暮らしたいんだ」
「ふっふっ。はっはっはーっ」
 突然黒川が笑い出した。悪寒さえ感じさせる黒い笑いだ。
「君はのんきだねえ。まだ子供だ。君は平凡になどもう暮らせないよ。世界が君のことを知ったら君をどうすると思う? どんな手段をとっても君を奪いに来るぞ。世界中が君を手中に収めようとする」
「逃げるさ」
「だから、わしが君を守ってやろうと言うのだ。君の存在を秘密にする。だからわしに協力しろ」
「おいら、このまま磔になっている気はないよ」
 少年の全身から一瞬力が抜けたかに見えた。しかし、横になった少年の身体からオーラのようなものが立ち昇り始めた。蒼白い湯気のようなものだ。ただならぬ気配を感じて二人が遠のいた。東の胸が大きく膨らんだ。弱々しく見えた少年の腕が筋金が入ったように隆起した。右手を拘束していた革のベルトが紙のように千切れた。ついで左腕のベルトも切れた。
 斉田の額に粟粒の汗が浮かんだ。黒田も息を呑んで様子を観察していた。両足のベルトも鈍い音をたてて引き裂かれた。
 魔性の少年はそこに立ち上がった。いつの間にか瞳の中にオレンジ色の炎が燃えていた。黒川が後ろに飛ぶように走って、暗闇の重い鉄の扉に手をのばした。
「元治、来てくれないか」
 大声で怒鳴るようだ。
「元治! 大変だ。患者さんが気が違って逃げ出しそうなんだ。力をかしてくれないか」
「オウゥゥ〜ン」
 地下から忌まわしいい悲鳴のような叫び声が聞こえた。地底からごつい指が扉を掴んだ。そして扉が一気に引き開けられた。怪力をこえた途方もない力だった。重い鋼鉄の扉がボール紙のように弾き飛ばされた。
 元治の巨体が少年の前に踊り出た。仁王が地獄からやって来たようだった。異様な空気があたりを覆った。怪物の眼は血走り、狂気を発散していた。たとえ武装した兵士でさえ、たじろいだであろう。元治の巨体は魔物以外の何者でもなかった。


 20

 東少年の表情は能面のようであった。無表情という意味ではない。あたかもその表情はそれを覗き見る者の心を映すようで、見ようによっては微笑んでいるようにも見えたし、怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。

 丸太のような腕が少年に向かって飛んできた。大きな右の拳が少年の首筋から顎にかけて炸裂した。その一撃は軽く少年の身体を壁まで吹き飛ばした。金剛力である。少年は否応なしに床に這いつくばった。元治にはまるで容赦する気配さえなかった。床に倒れた少年を両腕で引きずり起こした。
 少年は大きく見開かれたオレンジ色の瞳で元治を仰ぎ見た。今度は前から抱きしめるような格好で、少年の身体は万力のような力で締め上げられた。骨の軋む異様な音がした。その有様は虎が猫を襲うように見えた。怪物の太く浅黒い腕に比べて少年の細腕はなんとも貧弱で少女のようにさえ感じられた。
「オウゥゥ〜ン、オゥオゥワ〜ン」
 元治が異様な声を出した。その叫び声は元治が少年を完全に捉えたという叫びかと思われた。悲鳴が上がった。それは当然に少年の痛ましい悲鳴であるはずだった。しかし二人の目の前でとても信じられぬ事態が展開していた。死を前にしたような切実な悲鳴の主は少年ではなく、元治の方だったのである。いつの間にか少年はその腕を元治の腕の内側に差し入れ、さば折りのような格好で逆に怪物の腰を締め上げていたのだ。少年の腕が怪物の肉内に食い込んで見えない。まるで腕が腰の辺りに刺さったようにも見えた。
 見る見る怪物の顔から血の気が失せていった。口から泡と血と粘液が溢れ出た。
「オア〜ゥゥ〜ン」
 その悲鳴は悲しげだった。元治の全身の力が急速に抜けていった。生死に関わる事態が怪物の身の上に生じていた。もはや声を上げることすら出来ない。その時ふっと少年の顔に哀れみにも似た特異な感情が表れた。オレンジの眼の色が黒色に戻っていた。無造作に怪物はその場に開放された。ずしりと重い音がして怪物が床に仰向けに倒れたのだ。不気味なうめき声だけが耳についた。
「人は怪物を倒すとき己も怪物になると言う。おいら怪物なんかになりたくない」
 その言葉は東少年が自分に語るようであった。黒川と斉田は言葉を忘れたようだった。黒川があわてて机に飛んで引き出しの中を手でまさぐった。机の中の拳銃を探し当てると手に握った。
「先生! 手出しはしない方がいい」
 斉田が言った。
「なに!」
 黒川が興奮している。
「下手な事はしない方がいいと言ったんです。我々の身が危ない」
「くっそーっ」
 黒川が呆然として少年を見つめている。
「おいらここを出る。服を返してくれないか」
 裸の少年が以外に落ち着いた声を出した。その声は大人のようだった。あどけない少年の面影と大人の持つしたたかな一面を東は併せ持っていた。斉田が部屋の隅の物入れからの衣服を持ってきた。少年に差し出す。
「君の服はないんだ。びりびりに裂けていて処分した。これは君が目覚めたときのことを考えて僕が用意しておいた服だ」
「斉田。どういうつもりだ」
 黒川が苦い表情で言った。
「ここは東君の言うとおりにしましょう」
「……」
 黒川が黙り込んだ。少年はゆっくりと服を着た。白いシャツと黒いズボンだ。上にジャケットを羽織る。
「何処へ行くと言うんだ」
 斉田が聞いが少年は答えなかった。視線が遠方を見つめるようだった。
 少年はドアを開けゆっくりと階段を上って行った。地上から闇を切り裂くように陽光が差し込んでいた。眼が眩むようであった。地上からの光線の中に少年の姿が消えそうになると、黒川が小走りに少年を追って階段を駆け上がった。外に出て左右を見回す。しかし少年の姿はもう何処にも見当たらなかった。
 黒川は東少年が戻らぬと知ると、後ろに居る斉田に向かい怒りをぶちまけた。
「えーい。くそっ。斉田どうしてあいつを行かせた。この役立たずが。わしの宝物を逃がしてしまった! 必ず探し出してこの穴埋めをさせてやるぞ」
「黒川先生。だから僕は手足を切断してしまいましょう。と言ったのです。何か方法を考えましょう」
「あのがきめ。このままじゃ済まんぞ。思い知らせてやる」
 黒川が奸悪な形相をしていきり立ち、裏口のドアを思い切り蹴り飛ばした。それに引き換え斉田はまるで胸のつかえが降りたような顔をしていた。少年の想像を絶する力に惚れぼれとした様子だ。斉田は少年の後姿が消えてしまった表通りをいつまでも眺めていた……。

                        つづく


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