1. トップページ
  2. アドレス

W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

投稿済みの作品

0

アドレス

14/05/26 コンテスト(テーマ):第三十二回 【 自由投稿スペー ス】 コメント:0件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:1132

この作品を評価する

 携帯に登録したアドレスを、『あ』から順番にみるのは英輔のいつもの暇つぶしだった。
 その中にはすでに縁の切れたやつや、もちろん縁のつながっているやつ、事業所、病院、ホテル、車の整備工場、そのほか、いくら思い出しても顔も素性も出てこない人物の名前などがつぎつぎにあらわれた。
 その中に、彼がこの前までつとめていた介護事業所の名前があった。
 およそ5年つとめただろうか。宿泊とガイドヘルプが主な仕事だった。
 それは忙しく、宿泊明けに一睡もしないままガイドに出るのもしょっちゅうで、これをもう少しつづけていたらまちがいなく、病院行きになっていたにちがいない。
 結構収入にはなったので、我慢して5年間、勤め上げた。彼の携帯には当時のスタッフのアドレスと電話番号も記録してある。
 海野蜜子もそのスタッフの一人だった。
 彼女はもうこの世の人ではない。
 病気で、ほんとに急に亡くなったのだ。
 彼女とは一度だけ、フリータイムにカフェでお茶をのんだことがある。2年ほど前だっただろうか。なんでもない会話をやりとりしたにすぎない。たった一度のお茶で、なにかがどうなるものでもない。
 彼女は忙しいひとだった。
 本業のほかにも、なにかをやっているふうなことをちらと口にしたが、それがなにかまでは教えてくれなかった。
 彼女が死んだのは、やめてからもまだ宅配便で送られてくる事業所発行の広報紙でだった。彼女の顔の写真の下に、訃報が添えられていた。
 さすがに、びっくりした。そんな年ではなかったが、だからこそ悪性腫瘍の進行に加速がついたものと思われる。
 英輔は、彼女のアドレスをながいあいだみつめていた。
 いまでもこの電話番号を押せば、すぐに彼女の声がきこえるような気がした。
 二人でお茶を飲んだのは一度だけだったが、電話やメールのやりとりはよくやった。またあいましょう、またあいましょうと、英輔はメールの末尾はかならずその言葉でしめくくった。
 彼女もまた、おもいがけない出会いほどたのしいものはないわねと、彼をうれしがらせるようなことをよく書いて送ってきた。
 こんどもういちどカフェであうようなことがあったら、お互いの立場は恋人以外のなにものでもないようなメールを、二人は結構まじめに交換しあっていたのだった。
 ふいに携帯画面に電話番号が点滅しはじめた。うっかり指のさきが彼女のアドレスをおしてしまったらしかった。
 おどろいて彼がとめようとしかけた矢先、電話の相手は出た。
「もしもし」
 女の声だった。てっきり身内のだれかとおもった英輔は、
「失礼しました」
 すぐに切ろうとしたとき、
「英輔くん?」
「は、はあ………」
「わたしよ、海野よ」
「あの、ご親族の方ですか」
 明るい笑い声がそれにこたえた。
「なにいってるの、わたしよ、蜜子よ」
「あの、海野蜜子さんはたしか、亡くなられたのでは………」
「そうよ。二か月前に死んだわ」
「死んだ方が、電話に―――」
「いけないかしら」
「いえ、いけないわけじゃ―――」
「よく電話してくれたわね。うれしい!」
「ぼくも、うれしいです」
 これはだれかにからかわれているのか。
 最初は英輔もそうおもった。
 だが、いったいだれがじぶんをからかうのだ。蜜子の身内が、蜜子にかかってきた電話の相手に、まるで蜜子がいまも生きているようにふるまって、いっぱいくわせようとでもしているのか。
 携帯からきこえる彼女の声は、幅のあるやわらかな以前の彼女の声音そのものだった。 事情はともかく、英輔はいまも、当時同様その声のひびきに、なにかしらほっとするようなあたたかなものを感じて、おもわず心のおもむくままにいった。
「ほんとに、もう一度、いっしょにお茶をのみたいですね」
「あなたはその言葉を、何回メールに書いてきたでしょう」
「いや、こんどこそ、本当です」
 英輔のその気持ちに偽りはなかった。
 彼女の死がわかったとき、もう一度お茶をいっしょしなかったことを、どんなに悔いたことか。
「じゃ、あいましょう。いつがいい?」
「そうですね、今度の金曜にでも―――あ、こんどの金曜は13日でしたね―――それでは次の土曜日に、あ、これも―――」
 いってから英輔は、いつも土曜日は仕事がつまっていて、彼女からその曜日は無理といわれていたことをおもいだした。
「いいわ、その日にあいましょう。言い忘れていたけど、いまはもう土曜日でもあえるのよ。場所は、まえに会ったカフェでいいかしら」
「はい。そうしましょう。あのう………」
「なに?」
「ほんとにあなたは、海野蜜子さんなのですか?」
「そうよ。あなたがいましゃべっている相手は、わたし、海野蜜子よ」
「あなたは、病気で、亡くなられたと―――」
「だから、そのとおりだといってるじゃないの」
「亡くなっていても、電話をしたり、土曜日にカフェであったりすることが、ほんとにできるのでしょうか」
「だから、できるって。だって、あなただって―――」
「え、なんですか?」
 廊下で足音がして、英輔の姉と、彼もよくしっている姉の女友達が部屋にはいってきた。
 笑顔で出迎える英輔を、なぜか無視して姉の友達は、しずしずと彼のまえをとおっていったところは、仏壇のまえだった。
 一礼して、焼香をすませ、遺影にむかって手を合わすその様子をみていた彼は、おやっと目をみはった。
 遺影のなかでほほえんでいるその顔は、まぎれもなく自分自身だった。
 まだ耳にあてていた携帯から、さっきの続きを話す海野蜜子の声がつたわってきた。
「―――わたしから一週間後に、交通事故で死んでるじゃないの。お互い死んだもの同士、会えないわけがないじゃない」
 英輔はまそれからもまだ、四角い枠の中で満面の笑顔をうかべている写真を、呆然とながめていた。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

ログイン