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W・アーム・スープレックスさん

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将来の夢
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ピアノ曲が途絶えた時

14/05/12 コンテスト(テーマ): 第三十一回 【 自由投稿スペース 】  コメント:0件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:1412

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 郷田バイオテロ捜査官は、おもおもしげに溜息をもらした。
 上司から新型のバイオ兵器の話をきかされたときはさすがに、慄然となった。―――遺伝子細胞に組み入れられたウィルスで、単身ではなにもおこらないが、おなじく遺伝子細胞を組み入れられた相手とふれあうと、致死性をひめたウィルスが活性化され、たちまち爆発的な感染力を発揮するという物騒極まりないしろものだった。敵は、効果をしるために、日本を実験の場に選んだ。友好国から得た情報でわかっているのは、それだけだった。
 自爆テロのように、爆弾を身におびているわけではないから、調べようがなく、またその効果は、自爆テロとは比較にならない。
 しかし、なんでまたそんな、まわりくどいことを?
 最初から感染させた人間を、社会に解き放したほうが効率がいいのでは。しかしそれだと保菌者が他者にちかづくまでに絶命してしまい、また身内にひじょうな危険を強いることにもなる。
 布石は、いまから半年まえに打たれていた。
 日本のとある村からおこり、たちまち全国に拡大したあの居眠り病だ。郷田もその中の一人だった。きゅうに猛烈な眠りにおそわれ、こん睡状態におちいって三日三晩、前後不覚でおくった者は当時数万人におよんだ。いまだに原因がつかめてない。あのとき、何人かの体の遺伝子が操作された。だれが、どのような方法で行ったのか、むろんそれをしるすべはない。しかし、たしかにその間に、世界をゆるがすバイオ兵器を宿した人間が、この日本に誕生したのだ。
 その数は、おそらく僅少のはずだ。
 なぜなら、いまだに感染はおこっていないのだから。保菌者同士が接触しあっていたら、すでにウィルスは人々の間にばらまかれていることになる。
「ちょっとまってくださいよ。じぶんが保菌者なのもしらない者同士が、いったいどうやって近づきあうのですか」
 郷田がぶつけた当然ともいえる疑問にたいして、上司は妙なことをいった。
「それは、愛だ」
「なんですと!?」
「ウィルスの保菌者同士は、愛によってむすばれるということだ」
 それではまるで安手のSFじゃないですか。
 郷田は口にこそださなかったものの、内心であきれた。なんでもこのウィルスには同種のウィルスをひきよせあう性質をもつという。その性質によって保菌者同士は、しらずしらず近づきあい、それを人間的な心理はつごうよくあたかも愛によってみちびかれたかのようにおもいこむのだそうだ。友好国の情報をうのみにするなら、そういうことになるらしい。

 *

 郷田はそしていま、ピアノ教師の野中ユリヤという女性の身辺を、監視していた。
 わけのわからないことづくめのバイオ兵器のことで、いつまでも頭を悩ますのは彼にしても願いさげだった。上司から、この女を見張れと命令されたときは、正直ほっとした。
 野中ユリヤは、近日中に結婚を予定していた。相手は武腰洋一という画家。
 郷田は、この二人を、徹底的にしらべあげた。二人がしりあったのは、路線バスのなかだった。車内は混んでいて、たまたま隣同士にたったときひかれあうものがあったという。そんなまるで昭和中期の恋愛話のようなことがこの現代においておこることじたい不自然だったが、その不自然な行動こそがバイオテロ捜査の対象になったというわけだ。
 交際をはじめてから二人は、すでに数か月がたとうというのに、手ひとつにぎったことはなかった。
 結婚するまではおたがい、きれいな体でいましょう。
 いまどきこのような骨董品のような誓いを二人はたてたそうな。
 そのおかげで、いまだに人類が無事でいられるのだとしたら、二人の時代おくれな誓いに感謝しなければならない。
 郷田は、絵画愛好家と称して武腰のアトリエにのりこんでみた。
 いかにもアーティストといった風貌の武腰が郷田のまえにあらわれた。
 その彼としばらく絵画に関する話をかわしているうちにふと、じぶんでも抑えきれない感情がこみあげてくるのを郷田は意識した。
 こいつの中には、スィッチオンをまちわびている殺人ウィルスが巣くっているのだ。
 そうおもうと、彼にたいして恐怖よりもなぜか、嫌悪、いや憎悪の念がこみあげてくるのを覚えた。
 いまこいつの息の根をとめたら………ふと郷田の頭に、そんな考えがよぎった。一度めばえた衝動はそれからもふくらむ一方で、最後には完全に郷田の自制は失われていた。
 十数分後、郷田がたちさったアトリエには、彼の手によって窒息死した武腰が横たわっていた。
 彼はそれから、ただちに野中ユリアの自宅をたずねた。
「なにか御用でしょうか」
「ピアノを習いたいのですが」
 唐突な申し出を、野中は案外すんなりうけいれて、彼をピアノのおかれた練習室に案内してくれた。
 黒ぶちメガネにかくしきれない美貌が、郷田の目にせまってきた。ナナ・ムスクーリに似てるな。やっぱりメガネをかけて歌う、ギリシャの歌姫の彼は大ファンだった。
 彼女は、はじめての生徒にはきまってそうする、ピアノ曲を演奏しはじめた。
 その曲に耳をかたむけながら郷田は、ひそかに彼女の首を絞める機会をうかがっていた。武腰同様、彼女もまた抹殺しなければならない。そんな自分でもどうすることもできない強迫観念にかられて彼はここまでやってきた。
 だが彼女が無心で引き続けるピアノ曲は、そんな郷田のはりつめた殺意を、いつしかやわらげていた。
 こちらに背をむける彼女の、なだらかな背筋が、急に彼にはこの上なく愛おしいものに感じられだした。
 こんな女性といっしょになることができたら………。そのおもいのはげしさは、さっきまで彼をとらえていた殺意よりもまだずっと、はるかに強いものだった。
「野中先生」
 いきなり郷田はたちあがると、ピアノのまえにすわる野中ユリヤに、力まかせにしがみついていた。
 
 *

 咳込み、悪寒にみまわれたあげく、道行く人々がばたばたと倒れだした。
 『野中ユリヤ』ピアノ教室から流ていた、近所の者なら耳に親しい美しい旋律のピアノ曲が、途中でふいにたち切れになって、しばらくしてからのことだった。


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