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八子 棗さん

様々な雰囲気の小説を書いていきたい、と思っています。

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棘とオムレツ

14/04/30 コンテスト(テーマ):第五十六回 時空モノガタリ文学賞【 結婚 】 コメント:4件 八子 棗 閲覧数:1299

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 薄く目蓋を開くと、カーテン越しに青く朝の光が差し込んだ。ベッドの向かいにあるテレビ脇のスピーカーから”Greensleeves”が流れていた。このプレイリストは大抵眠っている間に五回リピート再生されて、いつも六週目頃に私は目覚める。
 彼を起こさないように寝返りを打ったつもりだった。視線を天井から彼の顔に向けると、彼は二重の目蓋を緩く開いて私を見ていた。ぼやけた彼の「おはよう」を聞いてから私は枕元のiPhoneに手を伸ばし、曲を止めた。目蓋を閉じた時、流れてきた曲が何だっただろう。
 二度目に目覚めた時、彼はもう隣にいなかった。身を反転させて、一眠りする前まで彼がいたであろう空間にうつ伏す。布団に彼の体温はほとんど残っておらず、足元のシーツが縒れていた。レンジの止まる音がして身を起こすと、掛け布団がベッドの下にずり落ちた。適当に布団を引き上げ、キッチンへと向かう。
「おはよう」
 1Kの部屋に、二人で過ごす充分な広さはない。レンジの前で焼き上がったトーストを皿に移している彼の横を通り過ぎ、玄関扉横のキッチンスペースに立つ。
「何飲む?」
 彼が、棚からお揃いのマグカップを取り出して言う。
「今日は普通のアールグレイにする」
「じゃあ、俺も」
 十分もせず、トーストとサラダ、オムレツ、フルーツのヨーグルトに紅茶、黒玉ねぎのノンオイルドレッシングとコーンドレッシング、チーズの乗った皿をベッド前のローテーブルに置いて、いつも通りの朝ご飯が整った。
「いただきます」
 少しがたつくテーブルに向かい合い、手を合わせる。誰かとご飯が食べられれば、毎日代わり映えのしないメニューでも構わない、と思う。上京を決めた高校三年の時は、少なくとも大学生の間は一人で食事するだろうと思っていた。それが、ゼミの先輩と同じ部屋に住むようになるなんて。
「いただきます」
 彼はいつも、ノンオイルのドレッシングをかけたサラダから手を付ける。血糖値の上がり方が緩やかになるから、だそうだ。
 この人と結婚したら、こんな生活が続くのかな。そう思うと、期待か不安か分からない靄のような感覚に襲われる。……私は、この人と、結婚したいのだろうか。
「奈々、今日の予定は?」
 彼の声で、現実に引き戻される。半熟には固くなりすぎたオムレツを口に運び、カレンダーに登録していた予定一覧を思い返す。
「買い物だけかな」
 今朝のオムレツを作ったところで、卵が切れてしまっていた。
「そっか」
 彼もオムレツに手を伸ばした。何も言わずに黄色い塊を飲み込む彼の方が、私よりよほど料理は上手い。それでも、私が朝ご飯を作る役割になっている。
「最近洋楽をよく聴いてるみたいだけど」
 彼はそこまで言って、私の顔色を窺うように視線だけ上に向けた。
「うん。英語の勉強になりそう、とは思ったりしてる」
「ふうん」
 トーストを頬張る彼は、納得していない顔だった。
「あ、そういえば、紅茶もそろそろ切らしそう」
 話題を逸らせば、彼は俯いてバターナイフに手を伸ばし、アルミ箔から剥き出したチーズの端を掬った。
「それじゃ、ファブリーズも買ってきてほしいんだけど……」
 買い物も私の役目だ。たまには彼と一緒に出かけて、ブラブラとショッピングを楽しみたいという思いもある。けれど、男の人は目的のない買い物をしない、という記事を読んでから、誘えずにいる。
「ごちそうさま」
「明日って、予定ある?」
 食べ終わった皿をキッチンへ持って行こうと立ち上がると、彼の声が背中にかけられた。
「日曜だよね……インターンシップが入ってるけど、何で?」
「あ、そっか」
 廊下に続く扉の淵に手をかけた瞬間、チクと嫌な感覚がした。すかさず左の掌を見れば、皮膚に一ミリもない茶色の線が浮かんでいる。このドアは、微妙に端が割れている。この間もうっかり擦って棘を刺したというのに、本当に私は学習しない。
「俺も、明日は予定があるから」
「そうなんだ」
 シンクまで皿を運んでからもう一度掌を見た。爪の先で抜こうと試してみたが、案外深く沈んでいる。ソーイングセットってどこにしまったっけ。左手を動かさないように皿を洗っていると、視界の隅から、彼が近付いてくる気がした。気がしただけで意識していなかったから、背中から腹に腕を回された瞬間、反射的に身体が跳ねた。
 振り返る間もなく、彼がキスをしてきた。さっさと皿を水に漬けて、さっさと棘を抜きたかったが、それが彼のキスを拒むほどの理由にはならなかった。
 結婚するというのは、こういうことなのかもしれない。ぼんやり、そう思う。
「歯、磨くまで、待って」
 適当に理屈をつけて、身を離した。左手に触れられたくなくて、何にも触りたくなくて、そのまま洗面所に向かった。ドア越しに見えたローテーブルに、彼の皿が残っていた。


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このストーリーに関するコメント

14/04/30 そらの珊瑚

八子さん、はじめまして。拝読しました。

タイトルに惹きつけられて読み始めたら、すごく好きな肌触りのお話でした。
ある朝のなんでもないようなひとコマですが、主人公の感情というものが
リアルに伝わってきました。
棘が何かを暗示させるようで(たぶんそれは結婚というものにおぼろげながら失望していくような)巧いと思いました。柔らかなオムレツとの対比も鮮やかです。
変わり映えのしないメニューと言っているわりに朝食が若い学生が作るにしては豪華ですね。
きっと結婚したらいい奥さんになるのではと思いました。
でもそれは当分先、という気もします。

14/05/03 泡沫恋歌

八子さま、拝読しました。

朝の朝食風景がとてもリアルで、読んでいて共感できる描写でした。
たぶん、今からそう感じているのなら・・・たぶん、結婚しない方が良さそうに
思いましたね。

けれども幸せって、退屈で理由もなく不満なものだと思いますよ。

14/05/04 クナリ

平和な朝食の光景と、その中に紛れ込む、無視してしまおうとすればできないことはないんだけど、でもどうしても気になる痛み(不快)…。
結婚とはかくや、というものかもしれませんね。

こういう象徴的な日常の切り取り方をされた小説というのは、上手に書かれていないと(だらだらとしてしまって)読み手のストレスが大きくなると思うのですが、これは丁寧な文章で読みやすく、良作ですね。
面白かったです。

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