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yoshikiさん

面白い作品を知り、自分でも書いて見たくなって何年も経ちました。よろしくお願いします。 2010年 小説現代S&Sコーナーに初めて送った作品が掲載されました。作品名『幽霊の見える眼鏡』 とにかく面白いものが書いていけるといいなと思っています。 イラストはエアブラシと面相筆で昔描いたものです。

性別 男性
将来の夢 楽隠居
座右の銘 不可思議はつねに美しい、どのような不可思議も美しい、それどころか不可思議のほかに美しいものはない。アンドレブルトン

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獣の刻印 3

14/04/29 コンテスト(テーマ): 第三十回 【 自由投稿スペース 】  コメント:0件 yoshiki 閲覧数:1016

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 ――雲低く垂れ込めた夕暮れ時だった。
 一台のセダンが、うねった急カーブにタイヤを軋ませながら走っていた。グレーのボンネットが鈍い光沢を放っている。ハンドルを握る林崎真司の額に小さな汗の粒が幾つも光っていた。林崎は今年で三十二歳になる高倫学園の理科の教師だ。物理が得意な教師の割には体格がいい。探究心のある一途な性格の彼は碧川貴子と仲も良かった。もっとも兄弟のような間柄でお互い異性としての意識はほとんどなかった。気が置けない友人といったところだろう。
 カーブを抜けて車が長い上り坂に差し掛かると、大きな施設のような建物が視界にはいってくる。街はずれのひっそりとした場所に黒川精神療養院はあった。隔離施設のある精神病院なのだが、名の響きをおもんぱかって精神療養院としたのだろう。周りを丈高い城壁のような塀に囲まれて閉鎖的な雰囲気の漂う建物だ。地上五階建ての蔦の絡まったコンクリートの壁は所々に皹が入り、地面から白い側壁にかけて薄っすらと苔が生えて深い緑色をしていた。
 ハンドルを右に大きく切ると林崎は駐車場の一番奥の駐車スペースに車を滑り込ませた。鬱蒼とした林の木々で車が半分隠れる場所だ。バタンと車のドアの閉まる音がした。林崎は車を降りると何回か周りを確かめるようにして、陽の当たらない病院の裏口に回った。辺りは湿度が異様に高い。ノブが硬くて回すのに力を要したが、ぎりっという嫌な音をたてて重いドアを開けると、薄暗い踊り場があり、すぐ右手に地下に続く階段があった。蛍光灯の蒼白い光が細かく点滅している。
 まるでホラー映画のワンシーンを連想させるようだった。林崎が早足で階段を下ると途中で色白の看護師の女とすれ違った。軽く会釈をする。やがて地下の狭い廊下に出た。林崎は右から三番目の部屋のドアを叩いた。反応がないのでもう一度叩いた。ドアの向こうに人の気配がした。だが林崎は開くのが待ちきれずノブを引っ張った。鍵が掛かっている。ドアの小さな覗き窓から誰かがこちらの様子を確かめ、ドアが半開きになった。林崎が身体を斜にしてドアの内側に滑るように入った。
 そこは別世界にでもタイムスリップしたような異様な空間だった。過去に重度の精神障害者を治療した部屋である。悍ましい記憶が壁に滲みついているように感じられる。低い天井にむき出しのパイプが何本も飛び出していた。そのパイプに銀色の笠を被せたスポットライトが幾つも付いていた。中央に手術台を思わせるベッドがあり、周りに心電計・測定器等の計器類がところ狭しと立ち並んでいた。
 そのベッドの上に少年が横たわっていた。細長いシングルベッドの上だ。少年は端正な顔立ちをしていた。しかし顔はやつれていて生気を全く感じさせなかった。白いシーツが素肌に掛けられていて、シーツの下の少年が裸である事が容易に想像できた。顔は土気色をしていた。それは呼吸も脈拍さえ感じられず、動かない。どう見てもそれは少年の死体であった。林崎の眼が飛び出さんばかりに見開かれた。言葉さえ出せないほどの衝撃を受けた様子の林崎は、少年のベッドの方に踏み出してがっくりと両膝をついた。
 黒川院長と助手の暗い感じの青年と中年女性の看護師が側に立っていた。三人とも白衣だ。少年を見下ろしていた院長の鋭い視線が林崎に注がれた。院長の黒川は禿げ上がった広い額をしていて痩せていて中背だ。尖った顎を持ち、絶えず機嫌の悪そうな眼に銀縁の眼鏡を乗せていた。どう見ても人が好感を持ちそうな顔つきではない。林崎は暫らく放心状態だったがゆっくりと起き上がると漸(ようや)くの思いで言葉を組み立て始めた。
「こ、これは東。どうみても東道夫じゃありませんか。どうしてここに……。どうして。ああ、恐ろしい。あなたは死体を盗んだのですか。えっ、死体を……」
「盗んだ? 人聞きの悪い事を言わんでくれ。これは人類への貢献だよ」
 黒川の声は冷静だった。黒川仁(くろかわひとし)は脳神経外科専門医の経歴を持つ男だ。以前、といってもだいぶ昔だがロボトミーの研究に専念し最終的には学会から追放処分になった男である。悪名高いロボトミーとは現在では禁止されているものの、以前に精神外科の分野で精神的疾患を抱えた患者に施された原始的な手術の事を指す。
 前頭前野と深部の大脳基底部との繋がりを切断する事で患者の治療を可能とした。が、様々な問題をはらみ、度重なる臨床実験の結果数多くの人格破壊者と死者を出している。 大昔の話であるが、現在では機能的神経外科という分野で個別に研究、展開されている。だが黒川のおこなった実験はロボトミーの範疇を大きく超えていた。廃人同様になった人間の脳を切除し、変わりに生きたままの猿や大型捕食獣の脳を移植して野生人間をつくろうと企てたのである。黒川は実は動物の方が人間よりある意味、優れているという、実に風変わりな理論を唱える男だったのである。
 地下深く秘密裏に行われたそのばかげた実験は、助手達の密告によって明るみに出てしまった。そして即刻中止となり犯罪性が追求された。医道審議会の審査まで受けたのだが、黒川はその膨大な資産力で有能な弁護士を何人も雇い、そのほかの策略の末、辛くも医師免許剥奪までは行われなかった。
 現在はここ東京の多摩にある黒川精神療養院の院長として勤務している。林崎は在学中、何回か黒川の講義を聞いた事があり、その流暢で説得力のある弁舌に魅了され、感銘を受けた一人だった。黒川の著書である『動物たちの秘密』は進化論をテーマに書かれたものだったが、切り口が斬新で林崎の愛読書であり、彼は黒川のその動物敬拝主義とでも呼ぶべきものの賛同者の一人だった。


 12

「説明してください。黒川先生。なぜ東の遺体がここにあるのです? いったいどういう事なのですかこれは」
「これは正確に言うと遺体ではないのだ」
「増々わからない。秘密で僕に是非見せたいものとはこれだったのですか?」
 林崎の口調はかなり感情的だった。語調が強まる。
「この少年は死んでないかもしれん」
 黒川がぼそっと言った。林崎に困惑の表情が湧き上がった。
「飯田洋子を知っとるね」
 黒川が林崎の顔を覗きこんだ。
「飯田洋子。うちの生徒のですか」
「そうとも。彼女は何かと問題のある生徒らしいが、この少年の事を親切に教えてくれた。だいぶ以前だが、ある新聞の三面記事にこの少年の記事が載っていた。瀕死の重傷を負った少年がそのわずか三日後に、その傷を負わしたヤンキー達を完膚なきまで痛めつけた。という記事だ。どうせでっち上げの三面記事かと思った。しかし調べてみるとそうでもないんじゃ」
「その記事なら知っています。新聞社に苦情を申し立てましたよ、僕は……」
「わしは学園にこの斉田を新聞記者を装って行かせた。わしは少年の事が気になって仕方がなかったんじゃ。紹介するよ。助手の斉田君だ」
 黒川が白衣の青年を林崎に紹介した。助手の斉田青年が軽く会釈する。青年は黒川より顔半分位背が高かった。中肉中背でやや髪が長い。表情は暗く、なにか思いつめたようなものを眼の奥に宿し、無言だった。
「そして斉田は少年のことを良く知る飯田洋子に驚くべきことを聞かされたんじゃ。少年が不死身だと言うことだ。そうだな斉田」
 斉田青年が黙って頷いた。
「なんでも飯田洋子の話だと、仲間のヤンキー達に重症を負わされ、スーツケースに詰められて海に投げられたが少年は死ななかったと言うんじゃ。瞬く間に復活してヤンキー達はやられたそうじゃ」
「そんなばかな。飯田がそんなでたらめを言ったのですか」
 林崎がまさかと言う顔をして言った。
「でたらめじゃありませんよ」
 斉田青年が陰気な声を出した。
「彼女の眼は真剣そのものでした。恐怖が眼の奥に貼り付いたんです」
「わしは並々ならぬ興味を少年に持った。わしはそういうことに事のほか興味がある。そして少年に会いたいと思っていた矢先。少年がやくざに殺されたと言う事を知らされた。報道番組でな。だが飯田洋子は少年は死んでなんかいないと言った。時間さえあれば少年が生き返ると言った。だから……」
「だからって。まさか」
 ――林崎の目が細まった。
「ふふふふっ。わしは若いとき乱歩の小説に興味があって随分読んだ。その中の奇談に死体をすり替えて本人に成りすます話がある。わしはそれを真似てみようと思った。そして真似た。ただ乱歩の話だと土葬の死体を掘り返して本人が生き返ったことにしたんだが、あいにく今回の少年は黙っていれば火葬になる。そこでわしは考えた……」
 黒川は秘密裏に手を回し、東道夫の遺体をすり替えてしまったのである。それは少年が死の宣告をされ、司法解剖が行われ遺体が家族のもとに返され後のことだ。それは告別式を経て火葬場に運ばれた時に行われた。黒川は用意した別人の死体を、多額な金で雇い入れた外国人らによって霊柩車ごと交換してしまったのだ。全く違法な手段だった。火葬場の一部の職員まで多額の口止め料が渡っていたのだ。黒川とは自分の望む事なら何でもやってしまう。そういう男だった。
「この少年の死体は今も腐らない。それどころか解剖された痕跡さえないんじゃ。まったく驚いたよ。死体がその体を修復している。防腐剤を使用しているのでもなければ、内臓を取り出してしまった訳でもない」
 黒川は禿げ上がった額の汗をハンカチで拭いながら言った。
「良く調べてみると、この少年の身体の細胞は破壊されていないのだ。生きているようなんじゃ、だから腐敗する兆候さえないのじゃ」
「どういう事です?」
「言っただろ、死んでいないと言う事じゃ」
「まさか、生き返るのですか?」
 林崎が眼を輝かせていった。
「わからない。もうずっとこの状態じゃ。仮死状態じゃよ」
「どうするのです?」
「少し様子を見ようと思っている。林崎君。君にも協力して欲しいんじゃよ」
 黒川が白い用紙を机の引き出しから取り出して林崎に渡した。
「見たまえ。林崎君。それは少年の司法解剖鑑定書だ。わしが警視庁のある人物からコピーを入手したんだが、この少年の身体には全部で6発の銃弾が撃ち込まれたんだよ。2発は両膝に当たり貫通して体内には残っていない。しかし胸部、腹部に計4発の弾が撃ち込まれ体内に残っていたんだよ。357マグナム弾と記されてある。コルトパイソンという銃から発射されたらしい。まあそんな事はどうでもいい事だ。肝心なのはこの少年が今現在無傷だという事だ。弾は解剖のとき摘出してしまったのだろうが、わしは脅威を感じるよ。死体には何の損傷も無い」
 林崎が書類に眼を通した。怪訝(けげん)な顔をして生唾を飲みこんだ。
「訳がわかりません」
 林崎が呟くように言った。
「だから。その訳を調べようじゃないか。人類の為にこの少年の不死性の研究をしようじゃないか。協力して欲しい。今はこれを秘密にして一緒に不死身の研究をしよう。我々は偉大な不死の発見者になる。不死身の創造者になるのだ」
「黒川先生。これは公表すべきだ。あなたのやった事は犯罪行為ですよ。公に発表して、しかるべき筋に研究を依頼すべきだ」
 それを聞いた黒川の様子が変わった。表情がみるみる醜悪になっていく。
「犯罪だって、林崎君ふざけた事を言うな。わしはこの少年の不死身性を調べて、人類を救済しようとしているのだよ。ロボトミーの実験だって人類の未来を思えばこその実験だったんだ。それを無知蒙昧なばか医者どもが、よってたかってわしを非難したのじゃ!」
 林崎は唖然として黒川の顔をただ見つめた。
「とにかく、この少年はわしの物じゃ。誰にも渡さない」
 言い切った黒川の眼差しはなんとも不気味で果てしない狂気が混ざっていた……。



 13

 ――外はすっかり夜の帳がおりていた。怪しい月光が世界を蒼白く染めあげていた。黒川精神療養院がその蒼い世界に古城のようにシルエットで浮かび上がっていた。この世から幽閉されたような地下室は依然として異空間の様相を呈していた。
「とにかく黒川先生。東の死体はここに置くべきでない」
 林崎の中で黒川に対する信頼・尊敬そういったものが脆く壊れ始めていた。林崎の前に立っているのは、あのかつて憧れた黒川仁ではない。少年の死体を異様な眼で観察するマッドサイエンティストだ。
「黒川先生。すべてを警察に話しましょう。少年の不死性の事を話せば警察だって、なまじあなたの罪を問わないかもしれない。この事象は個人レベルで研究することじゃない。世界に公表して世界の頭脳、研究者達と併せて研究すべきだ」
 息もつかないで林崎が言った。
「林崎君。君は耳が悪いのかね。この少年は私の物だと言ったはずだ。私が研究する。いずれは世間に公表する日が来るだろうが、その時はわしが世間に認められるときじゃ。偉大なる研究者としてな」
「許されない。黒川先生。あなたのやろうとしている事は犯罪に等しい」
 林崎の言葉に黒川が苦虫を噛み潰したような顔をした。
「残念だよ林崎君。どうやら君にこの事を話したこと事態わしの間違いだったかも知れん。わしと君とでは話がかみ合わんらしい。残念だ。わしの本の殆どを読破してくれた君だから協力してくれると思った。それに君はこの少年の担任じゃないか。詳しくこの少年について聞きたかった。仕方がない。君には強制的にわしの協力者になってもらうよ」
「強制的にって。先生僕は協力する気なんてありませんよ!」
 黒川の眼の奥に得体の知れぬ炎が燃え上がった。まるで何かに取り憑かれたような鬼気迫る黒川の表情だ。黒川は黙ったまま数歩後ろに後退した。部屋の奥の暗闇にもう一つ扉があった。頑丈そうな鉄の扉だ。部屋に似合わないまるで銀行の金庫室のような扉だ。重そうに黒川が体重をかけて扉を開くと、更に下に続く狭い階段が見える。下は暗闇で地底の国への入り口のようであった。
「元治(げんじ)出てきてくれ。元治! お前に用がある」
 黒川が険悪な表情のまま張り詰めた声を出した。林崎はただ呆然として地底の暗闇を見つめていた……。

 地底から何かが聞こえた。黒川の呼び掛けに反応し答える声だ。
「オウゥゥゥゥ」
 という低い喘ぎ声のようだった。
 地の底に通じる階段の板が軋んで、ぎしっ、ぎしっという音がした。その音が段々大きくなる。何者かが階段を上がってくるのだ。
「オウゥゥゥ〜ウ」
 その声は獣の発作的な叫び声に聞こえた。その声は更に大きくなり、一瞬耳を塞ぎたくなるほどの怪異な呻き声になった。かび臭い異臭が辺りに充満した。
 まるで魔法陣の五角形の中に地獄から魔物が復活したようだった。プロレスラー並みの岩のような巨体をしていた。その巨体に異様に肥大した筋肉が隆々として撓(しな)っていた。怪物の片眼は半分潰れていた。鼻が異様に拉げていた。呼吸の度にスウスウと奇怪な呼吸音が響いていた。擦り切れた半袖のTシャツと薄汚れた灰色の作業ズボンを履いていた。辺りを見回す眼つきは不気味であったが、一抹の哀れさの様なものが身体全体に纏わり付いていた。黒川の眼に不吉な笑いが貼りついていた。林崎は悪霊に憑依されたように動けなくなった。脚が竦んだのだ。
「元治。この人が私達を警察に訴えるというのだよ。どうしよう。この人は悪い人だ。意地悪な人だ」
 黒川が猫撫で声でジェスチャーまで交えて元治に言った。元治の身体が小刻みに痙攣した。途端に元治が激昂の表情をあらわにした。大きすぎる片目が林崎を睨みつけた。
「オウゥゥ〜ゥ」
 人間の声ではない。牛でもゴリラでも虎でもない。悲鳴のような嫌忌で胸が悪くなるような声だ。歯が抜け落ちて、なかば開いたままの口から涎が滴(よだれがしたた)る。
「黒川先生。一体何ですか! これは何者なんですか」
 戦慄と悪寒が林崎の全身に走った。恐怖のあまり林崎は後ずさりした。元治の太い腕が意外な速さで林崎を拘束した。林崎を後ろから抱きかかえる格好だ。
「おい、そこの君! 見ていないでなんとかしたらどうだ」
 林崎が斉田青年にむけて大声を出した。しかし青年は殆ど表情もなく黙って蝋人形のようにそこに立っていた。中年の看護師は何とも得体のしれない笑みを浮かべていた。

                          つづく


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