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光石七さん

光石七(みついしなな)です。 子供の頃から空想(妄想?)が好きでした。 2013年から文章化を始めました。 自分では気付かないことも多いので、ダメ出しを頂けるとありがたいです。

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ある別離

14/03/22 コンテスト(テーマ):第五十二回 時空モノガタリ文学賞【 勇気 】  コメント:13件 光石七 閲覧数:1396

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 とうとうこの日が来てしまった。翔吾はお出かけと知って朝からご機嫌だ。私がのろのろと食器を下げている間に、自分で帽子を引っ張り出して後ろ前に被っている。
「おそと、おそと」
うれしそうに走り回る翔吾。だんだん帽子がずり落ちていく。
「翔ちゃん、転ぶよ。帽子が反対」
捕まえて帽子を被せ直してやった。
「ママ、おそと」
「うん、ママがお洋服着替えてからね。アンパンジャーのお靴で行こうね」
泣きそうになるのをこらえて懸命に笑顔を作る。
「アンパンジャー!」
翔吾の顔がぱっと輝く。大好きなキャラクターだ。今日の為に買ってあげた靴。
「そう。だから、もうちょっと待っててね」
「うん!」
にこにこしている翔吾を見ると、胸が締めつけられる。だけど、ずっと見ていたいとも思う。本当は手放したくない。できることなら永遠に手元に置いておきたい。今日のお出かけがどんな意味を持っているのか、翔吾はまだ知らない。
 夫と何度も話し合って決めたこと。経済的に苦しい我が家ではやむを得ない選択だった。これ以外道はない、そう納得したつもりでも、翔吾のちょっとした仕草が、声が、私の決意をぐらつかせる。
 夫は朝食を済ませるとさっさと仕事に行ってしまった。私一人に任せて、ズルい人。いつも通りに振る舞おうと言ったのは私だけど、つい責める気持ちが湧いてくる。
 沈んだ気持ちで服を着替えた。化粧をしたら行かなければならない。そして翔吾を……。紅筆を持つ手が震える。
 “苦しみに耐えることは、死ぬよりも勇気がいる”。確かナポレオンの言葉だった。その通りだと思う。かわいいわが子と別れるのは本当に辛い。
「アンパンジャーのくっく! しょうちゃんのくっく!」
翔吾が玄関で靴を探している。翔吾に涙を見せるわけにはいかない。覚悟を決めなくては。私は唇をティッシュで軽く押さえ、ポーチをしまった。そして押し入れから新しい翔吾の靴を出した。



 まだ翔吾の声が耳にこびりついている。翔吾の温もりがこの手に残っている。
「ママ! ママー!」
あの悲痛な叫び。私は勇気を振り絞って、すがる翔吾の手を振り払った。あの悲しそうな目。ごめんね、ごめんね。本当はママも翔ちゃんとずっと一緒にいたいの。翔ちゃんの成長をいつもそばで見守りたいの。ぎゅっと抱きしめて、離したくないの。翔吾の前では見せないと誓った涙がボロボロこぼれ落ちる。
 今朝までは翔吾と過ごしていた部屋。こんなに殺風景だった? あの子がいないだけで、こんなに寒々しく感じるなんて……。
 ひとしきり泣いて、翔吾を引き渡したことを夫にメールで伝えた。
『ご苦労さん』
返ってきたのはたった一言。彼らしい。私の気持ちをわかっているからこそ簡潔な言葉を選んだのだ。その優しさがありがたくもあり、恨めしくもある。
 翔ちゃん、もう泣き止んだ? ママに置いてけぼりにされて、怒ってる? 大丈夫、みんな優しい人たちだから。きっと翔ちゃんを大事にしてくれるよ。ママがいなくても、元気に遊んで、いっぱい食べて、笑って……。



「翔吾は無事に行ったんだな」
夜、仕事から帰ってきた夫が頷くように言った。
「私と離れる時は泣いたけど、後は大丈夫だったみたい」
「そりゃ泣くだろ。今までずっと一緒だった母親にいきなり置き去りにされたんだから」
なじりとも受け取れる言い方に、少し心が傷つく。
「私だって辛かったんだから。翔吾と別れたくなかった。できるなら、そのままそばについていたかった……」
「それじゃ意味無いだろ」
夫は苦笑いを浮かべた。
「お前も働くってことで、保育園に預けようって決めたんだから」
そうなのだ。夫の転職で収入が減り、共働きをしなくてはやっていけなくなった。
「だけど、あんなに身を裂かれるような思いをするなんて……」
「あのな、これから毎日だぞ? 嫌でも慣れないと。お前より翔吾のほうが先に保育園に馴染みそうだな」
おそらくそうだろう。迎えに行った時、少し泣いた後は元気に遊んでいたと先生から聞いた。
「私の翔ちゃんがどんどん私の知らない世界に……」
考えただけで寂しくなる。
「お前なあ……。そんなんで仕事できるのか? 今日はまだお試しだろ? 保育園で翔吾も友達ができるし、世界が広がるんだ。ちょっとは子離れしろよ」
夫は呆れたように言う。そんなことわかってる。それでも、私の葛藤はしばらく続くだろう。


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このストーリーに関するコメント

14/03/23 泡沫恋歌

光石七 様、拝読しました。

私も娘を2歳半から保育園に預けて、働いてましたが、いつも別れる時には大泣きされて、
とても辛かったですよ。私も泣きながら会社に行ったもんです。
まあ、最初の一週間が正念場でしょうね。
子供も、親も・・・。

こういう別れは子供を預けて働いたことのある人ならよーく分かります。
とても感情移入できる作品でした。

14/03/23 クナリ

最終段落まで読んで
「うおおおおおおおーーーーーーーーい保育園かーーい」
となりました。
一作品丸々使っての仕掛けですね、してやられました!

14/03/23 gokui

 読ませていただきました。
 子を思う親の気持ちを考えると、オチで素直に笑えないのが残念なところですが、母親の子離れという要素はなかなか考えさせられる箇所でした。たぶん、子離れ出来ない母親が、将来モンスターペアレンスとかになるのです。

14/03/23 四島トイ

拝読しました。
なるほど確かにそうかもしれない、と納得してしまいました。主人公にと翔吾少年の関係が、あるいは一人暮しを始める息子と見送る母でも、老人ホームに入る己とその付添い人でも、きっと勇気が求められるのでしょう。とても臨場感あふれる葛藤に思わず苦しくなりました。夫の淡白さも素晴らしい。作者様の技量を感じられました。

一読者としての要望になりますが、中段で主人公の泣く様子の描写や部屋の空虚さをもっと織り込んでもらえればと感じました。また、この日に至るまでの夫婦のやり取りで、どうしようもなかった、というインパクトを与える一文を、冒頭か結末にあれば「勇気」がさらに際立ったのではないかと思いました。

14/03/24 光石七

>泡沫恋歌さん
コメントありがとうございます。
「この気持ち、わかるかも。でもこの主人公はちょっと大げさだね、ハハハ」くらいに感じていただければ、と書いてみました。
私自身は経験がありませんが、初めてわが子を預ける時は少なからず心配とか葛藤とかあると思います。
恋歌さんも通過された心情なのですね。
「わが子に泣かれると辛い」と保育士をしている妹も言ってました。

>クナリさん
「途中でオチがわかる人も多いのでは」とビクビクする思いもありましたので、クナリさんのツッコミはとてもうれしいです。
今回のテーマでは“これくらいのことで大げさだろ”的な話しか思いつかず……
他の案はひどすぎて、引き伸ばして書けたのがこの話だけだったという……
クナリさんのコメントに元気づけられました。ありがとうございます。

>gokuiさん
コメントありがとうございます。
「笑えるけど、なんかわかるかも」と思っていただけるものにしたかったのですが、中途半端な出来になってしまいました。
子離れって意外に勇気がいるものだと思います。だけど、本当に子供のためを思うなら、手を放すことも必要ですよね。

>四島トイさん
丁寧なコメントをありがとうございます。
葛藤に臨場感がありましたか。数時間保育園に預けるだけにしてはオーバーに、オチは隠しながらも嘘にはならないように、を意識したのですが、難しかったです。
夫の性格は特に決めてなかったのですが、話の流れでこうなりました。
描写はもっと工夫したほうが良かったですね。四島さんのご意見になるほどと思いました。
具体的なご指摘はとてもありがたいです。

14/03/25 草愛やし美

光石七様、拝読しました。

次男のことを思い出しています。長男は全くそういうのなかったのですが、次男は、1か月近く泣き続けました。朝のお別れタイムの折です。先生に聞くと、母親の姿が消えてしまうと、きょとんとして平気になるそうだ。「お母さま見えなくなったとたんに、玩具や友達と遊びだすのに、どうして毎朝ああも泣き叫ぶのでしょうね」嬉しいような複雑な気持ちだった。自転車の後部座席に乗せ、走り出すとあれこれ聞き出す。「ねぇねえ、今日の給食なんだろうなあ。俺、焼きそばがいいなあ」とか「今日はおやつ何かな」と食べることばかりだったように記憶している。苦笑 今日は平気そうだなと思い、自転車を保育園前に止め降ろすと泣き出すのだ。ほんと困ったけど、ある意味おかしかった。いなくなったとたんに、平気になるってどんな子だと。迎えに行くと、「今日は泥団子作ってん」とかお水で洗ったとか、いろいろ教えてくれた。たった半年しか通えなかった保育園だったけれど(私が、保育園の運動会でアキレス腱を切りやめさせることになった)楽しい思い出になっています。そういうシーンを懐かしく思い出しました。あの時の息子は、今は地球の裏側、アルゼンチンに住んでいます。楽器演奏家として泣き虫だったのに活躍しているなあとか、作品読みながら、しみじみ懐かしくなりました。
母親はみなこういう場面経験していますよね、こうして子供も親も育っていくのでしょうね。楽しい作品をありがとうございました。

14/03/25 朔良

光石七さん、こんにちは^^
拝読いたしました。

途中まで、やむを得ない理由で子どもを施設に? と考えながら読んでいたので、最後でやられました!
今は共働きの家庭も多いですが、子どもと離れるのはやっぱりさみしいですよね…。
案外子どもの方がけろりとしているというのもなんだかわかります。
面白かったです!

14/03/25 光石七

>草藍さん
コメントありがとうございます。
草藍さんの思い出にこちらも心が温かくなりました。
やはりお母さんは皆さん似たような経験がおありなのですね。
ぐずられたり泣かれたりも大変だけど、早く行けと言わんばかりに「バイバイ」と元気よく手を振られるのもちょっとさびしいかも……
甥っ子が保育園に慣れた頃、妹がぼやいてました(苦笑)
楽しんでいただけてうれしいです。

>朱音さん
コメントありがとうございます。
はい、保育園に数時間預けただけでした(笑)
「親の方が子離れする勇気がいるのかも」とのご意見、同感です。
子供は順応性が高いと思います。

>朔良さん
コメントありがとうございます。
前半のオーバー気味な悲しみや痛みの表現は、まさにおっしゃるとおりのミスリードを狙ったものでした。やられたとのお言葉を頂けて、うれしいです。
甥っ子姪っ子の相手をする機会が多いのですが、疲れるけど面白いですね。
親はこの何倍も苦労して、何倍も喜びを味わうのでしょうね。

14/03/30 光石七

>OHIMEさん
いつもありがとうございます。
最後にどっかーん(笑)となってくださったようで、うれしいです。
こちらこそ、コメントに元気を頂きました。

P.S. 眠そうなちーちゃんを掛布団でサンドしてみました(笑)

14/04/07 そらの珊瑚

光石七さん、拝読しました。

保育園でしたか(ほっ)
二度と会えないところへでも連れていってしまったのかと思いました〜。
父親の冷たい行動も最後まで読めば納得でした。

でも子供にとってはこれは初めての別離ですよね。
おおげさでもなんでもなくて。
でもきっと時間が解決してくれるし、それによって成長することもたくさんあるでしょう。

父親にはわからないかもしれないけれど、母親にとっても辛いことですよね。
微笑ましいお話でした。

14/04/07 光石七

>そらの珊瑚さん
コメントありがとうございます。
はい、保育園に初めて預けた日を書いたのでした(笑)
ハラハラさせて申し訳ありません。
子供よりも親のほうが辛いかもしれませんね。子供は順応性がありますし。
でも、保育園2年目の甥っ子は進級して朝泣き虫に逆戻り。担任の先生も部屋も変わったからのようです。またすぐ慣れるでしょうけど。

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