W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

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階段

14/02/26 コンテスト(テーマ):第五十一回 時空モノガタリ文学賞【 奇跡 】 コメント:0件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:1216

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 階段を上ってくる足音をきいただけで、詠美は長年の勘でそれが女性だとわかった。
 フォークとナイフを、ナプキンで包みながら彼女は、なおもその足音に耳をすましつづけた。
 40すぎぐらいで、仕事をおえて、この2階のラウンジに軽い食事をとりにきた客だ。顔はたぶん美形だが、あまりそれを鼻にかけていなくて、よく冗談をいっては周囲を明るくするタイプだろう。
 詠美はなおも聞き耳をたてて、階段にいる人物の品定めをはじめた。
 一段一段、確かめるようにゆっくり上ってくる足音には、その人物の慎重な性格がよくあらわれている。おそらく、これまでの人生において、はめをはずしたり、乱れた行いになど走ったためしがないのではなかろうか。
 と、詠美がそこまで考えたとき、また下から上ってくるだれかの足音がきこえた。
―――それは、最初のものとは似ても似つかぬ、荒々しい足音だった。あ、一段ふみはずして、したたか膝を階段の角にぶっつけた。くそ。そんな呪詛が聞こえるようだった。中年すぎの、酒臭い息の男か。さきをゆく婦人の、ゆれうごく衣服がまといつく足に、おそらくみだらな視線をむけているのにちがいない。
 婦人の足音がいま、ふいにとぎれた。下からうかがう男の、下卑た視線に気づいて、無言でさきにいけとうながしているのかもしれない。婦人の次の一歩が、なかなかきこえないところから、そのような場面しか詠美は思い浮かばなかった。
 すると、あとからきこえた足音もまた、なぜかぷっつりきこえなくなった。………二人は、階段の上と下で、にらみあいをしている。
 詠美は、次にきこえる物音を待った。待っているあいだに、男の胸のうちに思いをはせた。さっき、淫乱の権化ででもあるかのような人物像を描いたことに、さすがに行きすぎをおぼえた彼女は、ここでちょっと修正することにした。
 男は、表面的には野人を装ってはいるが、そのじつ内面はシャイで、傷つきやすい心情の持ち主なのかもしれない。若いころ、好意をよせた女から手ひどい扱いをうけ、女性に対し強いトラウマをもつようになった。そのせいで彼は、いまなお独身で、大手会社に勤めるものの、同僚たちの中で肩身のせまいおもいをしている。軽いアル中におちいっていて、じぶんでもいけないとおもいながらつい、深酒をやってしまうのだった。
 おそらく彼は、階段の上をゆく婦人の、蔑みをこめたまなざしに、いままた深く傷ついて、それをごまかすために、わざとふてくされたような顔で、相手をみかえしているのではないだろうか。たまたま階段の上と下になっただけで、どうしてそんな蔑視にさらされなければならないのだ。本来純真なだけに、婦人をみる目には、むしろ一途なまでの訴えがこめられているはずだった。
 婦人の表情が、それまでの険しいものからふっと、ものやわらかなものに変わったのを、詠美は直観した。本来は、おもいやりのある、優しい心根の持ち主の彼女は、はなから彼を蔑んだことに、後悔の気持ちを正直に顔にだしたのでは。
 二人はそのときはじめて、偏見をすてさった目で、お互いをみつめあったのだ。
 それからあとは、どうなるのか………。
 詠美は息を凝らして、階段の上と下にわかれた二人の足音が、再びきこえだすのをまちわびた。
 まもなく彼女の耳に、婦人のほうにむかって一歩、にじりよる男の足音がきこえた。彼女は、むしろ彼を迎え入れるかのように、その場にじっとしている。
 ―――すると二人は、わずかな沈黙のあいだにたがいに、なにか響きあうものを感じあったというのか。人が何十年かかってさえ、かなえられるかどうかわからないものを、この一瞬に、手にいれることができたのだろうか。
 詠美は、はやくこの目で、そんな奇跡に浴することができた男女を、みとどけたいと願った。
 だが、足音はまだきこえない。
 なにしてるのよ、もうちょっとじゃない。
 おもわず詠美は、声にだしていいそうになった。
 窓をみると、雨がふりだしていた。
 あとはもう、階段を上がりきり、ここに入るだけのことじゃない。暖かな室内で、さらに暖かな料理を注文して、それができてくるあいだに、二人して心温まるワインをのみかわすのよ。
 彼女は一心に耳を傾けた。
 そしてようやく、男のものとおもわれる足音が、ドアを通して伝わってきた。
 がそれは、こちらに近づいてこなくて、下に遠ざかっているではないか。まもなく、それを追うようにして、女の足音もまた、階段をおりはじめた。
 詠美が足早に、扉にちかづき、それをあけたときにはもう、だれもいない階段を、雨のにおいのする風が吹き上がってくるばかりだった。
「あがるときは遅いのに、おりるときってどうしてこんなに早いの」
 彼女はそれだけつぶやくと、吐息をひとつついてから、やりのこした仕事にとりかかった。


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