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とんかつ雲

12/06/02 コンテスト(テーマ):第六回 時空モノガタリ文学賞【 週末に。とんかつ伊勢 新宿NSビル店のモノガタリ 】 コメント:0件 tahtaunwa 閲覧数:2076

時空モノガタリからの選評

最終選考

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 母の葬儀も済んで東京に帰ってきた。今日から職場である「とんかつ伊勢」の厨房で見習いコックとしての生活が再開される。
 会う人のごとに「大丈夫か?」「顔が暗いぞ」と言われるのは何故だろう?自分では精いっぱい笑顔を浮かべているつもりなのに。
 理由は分かった。この雲のせいだ。なぜか田舎からついてきた。俺1人分の小さな雲。頭上50pほどのところにずっと浮かんでいる。おかげで炎天下でも僕の顔だけで翳って見える。追い払おうとしたけど、うるさい蠅のようにしつこく頭上に居座っている。でも、どうやら、この雲、僕にしか見えないらしい。
「なに揚げてんだ!そんなもん、とんかつじゃねえぞ!」
 先輩の怒鳴り声に我に返った。目の前には無残な衣の塊。喪中だろうと仕事に関しては容赦してくれない。
「そのまま田舎に残ってればよかったのにな」
 他人には言われたくなかった。
 目尻に液体がこみ上げてきた。嘘だろ!?涙のわけがない。こんなところで泣いたら恥ずかしすぎる。よせ。止まれ。止まるんだ。
 その時、何かが顔の上に降りてきて、目の前が真っ白になった。あの雲が顔を覆ったんだと気がついた。
 雲の中で僕は小学生の男の子だった。
「男の子が泣いちゃダメでしょ」
 そう言ってハンカチで涙を拭いてくれたのは、まだ若い母だ。その母の目だって真っ赤なのに。
「ほら。お父さんが上から見て笑ってるわよ」
 母の視線を追って見上げると、煙突の上に、そこからいま出てきたかのように、小さな雲がひとつ浮かんでいた。本当に笑っているように見下ろしていた。
 気がつくと僕は大人になって厨房に立っていた。雲は天井のあたりを漂っていた。涙は跡形もなく乾いていた。雲が吸い取ってくれたかのように。
 僕は思い出していた。あの煙突は、幼いころ、父と別れた日に見た火葬場の煙突だ。そして、つい最近、そこで母とも別れた。
 そう思うと、なにやら見覚えのある形に見えてきた。そうだ。あれは、母が作ってくれたとんかつの形。誕生日に、試験の前に、部活の試合の前に、そして、好きな子に初めて告白する前夜に作ってくれたとんかつの形。そんなこと母には一言も言わなかったのに。
 あの形、あの色だ!
 それから僕は一心不乱にカツを揚げ続けた。他のものは目に入らなかった。何時間くらい経ったのかも分からなかった。
 誰かの分厚い手に肩をつかまれた。振り向くと料理長が立っていた。
「やってみるか?」
「はい?」
「伊勢御膳」
 とんかつ伊勢で最も高い看板メニューだった。足が震えた。
「はい!」
 見上げると、あの雲は、もう消えていた。


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