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泡沫恋歌さん

泡沫恋歌(うたかた れんか)と申します。

性別 女性
将来の夢 いろいろ有りますが、声優ソムリエになりたいかも。
座右の銘 楽しんで創作をすること。

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すきやきの日

14/01/17 コンテスト(テーマ):第四十八回 時空モノガタリ文学賞【 昭和 】 コメント:24件 泡沫恋歌 閲覧数:5251

時空モノガタリからの選評

昭和のごちそうといえば、やはりすき焼きなのでしょう。月に一度の「すきやきの日」の特別感がいきいきと伝わって来ました。すき焼きの描写力が本当に素晴らしかったです。私はこの時代を知りませんが、これほどまでに肉が貴重な時代が新鮮に映りました。
「すきやき」が特別なのは肉自体の貴重さに加え、家族で食卓をかこんでお父さんの買ってきた高価な肉をワイワイ食べるというイベント性ゆえだったのでしょうか。まるでお祭りのようなにぎやかでエネルギッシュな印象を受けました。そこにはお父さんのありがたみを教える教育的効果もあるようで、家族にとっては「昭和」はやはり幸せな時代だったのかもしれないですね。
昭和の名曲「上を向いて歩こう」のアメリカ版タイトルが「SUKIYAKI」であるのに着目されたのも面白いと思います。確かにどちらも「昭和」を象徴している気がします。おそらく我々はもう昭和の「すきやき」を食べることはできないのでしょう。何かを目指して、上を目指す時代はすでに終わってしまって「寂しいけれども涙をこぼさないように、前をむいて歩いて行こ」くしかないのでしょうね。

時空モノガタリK

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 私が小学校の頃、昭和の日本は貧しい国だったと思う。
 いや、違う! 貧しいのは我が家なのだ。昭和三十年代、冷蔵庫や洗濯機といった便利な家電品が一般庶民にも持てるようになってきたが、貧乏の子たくさん、もう絵に描いたような貧しい一家は小さな住宅に大家族で暮らしていた。
 収入源は父の給料と、朝から晩まで母は内職の電動ミシンで割烹着を縫っていた。
 貧乏な我が家の唯一の楽しみといえば、月に一度の父の給料日にある「すきやきの日」だった。その日は給料を貰った父が市場で牛肉を買って帰る日なのだ。当時は今みたいに銀行振込ではなく、手渡しだったので給料日の父は偉大に見えた。
 家族全員が揃って、切った野菜、豆腐、白滝などを大皿に盛って、ちゃぶ台にはコンロを乗せ、鉄のすき焼き鍋を置いて、牛肉と父の帰りをひたすら待っていた。
 当時は今と違って、物価からみて牛肉は高級品だった。買ってきても、せいぜい200gか300gほどで、家族全員に十分にはいき渡らないが、それでも滅多に食べさせて貰えない牛肉は憧れの食材である。――それを月に一度食べられる日は朝から楽しみだった。

 昭和を代表するギャグ漫画家、赤塚富二夫の作品に「おそ松くん」というのがある。
 六つ子が食べ物の争奪戦で兄弟ケンカをする話だが、当時の我が家も「おそ松くん」をまさに地でいくような一家だった。
 常に動物性たんぱく質に飢えていたので、すき焼きの鍋の前で異常に興奮している。
 少しでも多くの肉をとろうと目をギラギラさせて、わずかな牛肉を巡って骨肉の争いが始まろうとしていたのだ。
 まず、すき焼き鍋をコンロの火で熱する、薄く煙が上ったあたりで肉の脂を炒め、鍋全体に油をいき渡らせてから、ついに牛肉を入れる! 狭い部屋中には肉を炒めた旨そうな匂いが充満している。この段階で条件反射のヨダレが出てきている。牛肉を炒めながら、砂糖、醤油、酒などを加えていく。我が家では関西風のすき焼きの作り方である。
 牛肉に味が浸みたあたりで大量の野菜や豆腐、白滝などを一気に投入する。少ないお肉をサポートするための野菜の数々は、ネギ、白菜、椎茸、そして……なぜか短冊に切った大根まで含まれていた。
 野菜がグツグツしたら、すき焼きの食べ頃である。
 まず、父が牛肉を箸で摘まんでいく、次に長男が牛肉を取ると、病弱で偏食が多い次男がちゃっかり牛肉を多めに掴んでいったら、肉がなくなるとばかりに長女も鍋に箸を入れ、次女も慌てて肉を探し始めて……末っ子の私には、いつも肉なんか回ってこなかった!
 たまに豆腐に隠れた肉片を見つけたら、それこそ《ラッキー!》とばかりに喜んで食べたものだった。
 そして我が家には鍋奉行ではなく、鍋監視人がいた。
「○○ちゃんが肉ばっかり食べてる!」
「また肉食てる。ズルイ!」
「もう肉がなくなるぅ―――!!」
 いちいち肉に関する実況放送を始めるので、その内、ケンカになり大騒ぎになった。そこで晩酌で酔っ払った父が怒り出し、
「お前らはもう喰うな!」
 大声で怒鳴って、誰かが泣き出したら「すきやきの日」は終了となる。

 ――まあ、それくらい昭和のすき焼きはご馳走だったのだ。

 時が流れて平成の今、私の誕生日に家ですき焼きをすることになった。旦那と一緒にスーパー行って、割と高い牛肉をたっぷり買ってきました。
 いざ、すき焼きを始めたら夫婦二人では思うほど肉が食べられない。鍋の中に肉ばかりが残っている。年齢的にコレステロールや中性脂肪も気になるところだし……。
 結局、牛肉が余ってしまい冷凍することになってしまった。
 昔、あんなに奪い合って食べた牛肉なのに……なんか違う。――それは私が変ったのか、時代が替わったせいか、すき焼きがそれほど有難い食べ物ではなくなっていた。
 平成のすき焼きは、昭和の「すきやきの日」ほど感動がなかった。

 昭和のすきやきと言えば、昭和三十六年、坂本九の歌う「上を向いて歩こう」は日本国外でも大ヒットをした。
 アメリカで「SUKIYAKI」(すきやき)というタイトルでヒットチャート誌『ビルボード』の Billboard Hot 100 で、三週連続1位を獲得。全世界でのレコード総売上は2000万枚以上を記録した伝説の曲である。

 上を向いて歩こう 涙がこぼれないように〜♪

 Youtubeで聴いてみたら、懐かしい昭和メロディだった。
 思えば、昭和というは上ばかり目指して歩いていた時代だった。あの貧しさが昭和の原動力のように思う。
 私の昭和がどんどん遠くなっていく――。

 寂しいけれど涙をこぼさないように、前を向いて歩いて行こう。


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このストーリーに関するコメント

14/01/17 泡沫恋歌

すき焼きの画像は去年、バスツアーで行った「魚松」で食す 松茸・近江牛暴れ喰い」の時のものです。

「おそ松くん」の画像は『WORLD HAPPINESS 2013』タイムテーブル
http://news.ameba.jp/image/20130726-266/

坂本九の画像はこちらのサイトお借りしました。
http://matome.naver.jp/odai/2126525994805593801


コンテスト【 昭和 】をテーマに書こうとしたら・・・
こんな貧乏話になってしまう、自分の生い立ちが哀しいわ(´ヘ`;)ハァ〜

14/01/17 笹峰霧子

恋歌さんよりもっと前の昭和の思い出が詰まっていますが、飽食の時代はいつごろからだったのでしょうね。

すき焼きのお肉だって今ほど美味しくはなかったように思います。
小学生の時にご飯を作ってくれていたおばちゃんはお弁当に前の日のすきやきの残りを入れてましたが、クラスの子らは日の丸弁当の子らもいたようです。
今でもすき焼きはなんとなく美味しい料理という感じがしますが、大勢の家族がいて突っつき合って食べた経験がないので、恋歌さんご家族の食卓風景を羨ましく思いました。

14/01/17 クナリ

食事シーンで飛び交うエクスクラメーションマークの多さが、
当時の『肉』の魅力をこれでもかと伝えてくるようです…。

ハングリー精神なくば何事もなされますまいッ。
平成の世に生きるわれわれ。精神的な熱量の不足で、先人たちに
「情けない」とため息をつかれないようがんばらなくてはなりませんね。

14/01/17 yoshiki

読ませていただきました。

これは真実の記憶であるなんて、ナレーションを入れたくなるほどでした。
貧しかったけれど、エネルギーに満ちていた時代。素晴らしテレビドラマや流行歌が続々と誕生した時代。人々の心はもしかしたら今より豊かだったかもしれません。今はたしかに牛肉たくさん食べられるけれど感動がないものね。大変すき焼きがおいしそうでした(*^_^*)

14/01/18 朔良

泡沫恋歌さん、こんばんは!
拝読いたしました。
ああ、お腹すいた…こんな時間なのにすごくお腹がすいて、すき焼きが食べたくなってしまいましたよ!
記憶の中の食べ物って、実際に食べるものの数倍美味しかったような気がします。
奪い合うように食べる賑やかな食卓がまた味を引き立てるのでしょうね。
なんだか、懐かしくてお腹のすく楽しい食卓風景、楽しめました、ありがとうございました。

14/01/18 そらの珊瑚

恋歌さん、拝読しました。

あの頃のすき焼きのハレの日感、特別感っていったら
それはもうウキウキしたものです。
牛肉自体普段の食卓にはなかったですから。
うちも3人兄弟だったので生存競争に勝つための肉の争奪戦は凄まじいものがあり、なんだか懐かしく思い出されました。
あの時食べたすき焼きは今より数倍美味しかったと断言できます!

14/01/18 草愛やし美

泡沫恋歌さん、拝読しました。

すき焼きで争い、長期に渡って「すき焼き」はおおご馳走でしたね。私の学生時代、コンパといえば「すき焼き」でした。京都四条の鴨川沿いにある有名店でなく、寺町の二流店が主に会場でした。腹いっぱい食べるのなら、安い店で良かったからです。
今でも、昭和時代の者にとって、すき焼きが来客時のもてなしと考えられているようですね。きっと、それは、あの時代の感動を思い出すからでしょうねえ。
美味しいものなんてめったに食べられず、たまに食べるご馳走は幸せの味そのものでした、思い出をありがとうございました。

14/01/19 ドーナツ

拝読しました。

家庭の風景が、自分の家とダブるところも多くて、すごく親近感感じる作品です。

九ちゃんのすき焼きソングも 懐かしい、おそまつくんも毎回 見てましたよ。

昭和時代は、必死で頑張るってパワーを人からも物からも感じることができた時代だったように思います。

今は、そういうパワー、感じないのがさみしいなと 昭和生まれの私は思うわけです。前向いて歩きたい!

14/01/20 鮎風 遊

すき焼き、牛肉なら超裕福ですよ。
小さい頃は放し飼いにしてあったニワトリを、おばあちゃんが首はねて、毛焼きして、解体。
痩せたニワトリのすき焼き、骨ばっかりでした。

それから勤めだして、独身寮コンパですき焼き店へ。
決められた量の牛肉を入れたら、みんな取り合いして、3分で終了。
昭和40年代でも、まだみんなひもじかった。

今、同じですね、牛肉は冷凍庫へ。

それでも昭和、面白かったです。

14/01/20 泡沫恋歌

笹峰霧子 様。
コメントありがとうございます。

すきやきの残りをあくる日に食べるのも美味しかったですよね。
私はご飯にすきやきの汁をかけて食べてました。

昭和のあの頃の牛肉は庶民の憧れでした。
兄弟でケンカしながら突っつき合って食べたすきやきは格別の味でした。

14/01/20 泡沫恋歌

猫春雨 様。
コメントありがとうございます。

すきやきの描写は敢えて綿密に書いて、読者の皆さんにリアル体験して貰おう
と企みました。

お腹が鳴りそうと言って貰えて嬉しいですo(〃^▽^〃)o

去年、暴れ食いにバスツアーで娘と行って来ました。
「もう、勘弁して!!」
と叫びたくなるほどの牛肉と松茸でした。
すきやきは美味しいけれど、思うほどは食べられないね。

14/01/20 泡沫恋歌

クナリ 様。
コメントありがとうございます。

もう我が家の「すきやきの日」はまさに戦場でした。
わずかな牛肉を巡って、阿鼻叫喚の地獄図(見苦しい)
弱肉無し強肉食うの下剋上でした!(こんな家族はもう嫌だ!)

エクスクラメーションマーク?
そう。ビックリマークが飛び交ってまして、凄まじい戦いだった。

お陰で、こんな逞しい人間に育ちました(笑)

14/01/20 泡沫恋歌

yoshiki 様。
コメントありがとうございます。

この物語はノンフィクションです 壁]ω・)ニャ

ホントはこんな格好悪い生い立ちを書きたくなかったんですが、
昭和となると、こんな貧乏話しか考え付きませんでした。

だけど、昭和はバイタリティーが溢れてましたね。
頑張れば、明日はもっと良くなると信じることができた時代でした。
何だかんだ言っても、昭和は良い時代だったと思いますよ。

14/01/20 泡沫恋歌

朔良 様。
コメントありがとうございます。

読んだだけで食欲増進の「すきやきの日」で御座います(○^o^○)ニコッ♪

ホントに今は奪い合ってまで、食べるという経験は無くなりましたね。
と、いうことは「食い物の恨みは怖ろしい」ということわざも
当然、死語になるんでしょうか?

そんな貧しいけれど、バイタリティー溢れる昭和があっての
今の日本、そして平成なんですよ。

14/01/20 泡沫恋歌

そらの珊瑚 様。
コメントありがとうございます。

私らの子どもの頃は食卓にはだいたい野菜の煮付けでたまに焼き魚でした。
お父さんは晩酌をするので、一品多くて、よく傍に付いて刺身なんか
一切れ貰って食べてました。

今と違って、貧しいだけに食べることに直向きだったんですね。

珊瑚さんも肉の争奪戦やったんですか?
なんか想像できないけれど、そういう生存競争が昭和人間の底力に
なってることは確かだと思うんですよ。

そんな上等の牛肉ではなかったけれど、あの頃食べたすきやきは最高だった!!

14/01/20 泡沫恋歌

草藍 様。
コメントありがとうございます。

すきやきは父親が好きだったので、私が記憶にするようになって月一で
食卓に上がってました、でも牛肉はわずかで野菜ばかりだったような、
肉の出汁が出てるので、その汁も凄く美味しいと思ってました。

もう、今時はすきやきなんかご馳走でもなくなったけれど・・・
私らの世代には、やっぱりご馳走だと言う想いが消せませんね。

こないだ、やよい軒の「鍋フェア」で牛肉増量キャンペーンで、
すき焼き定食890円だもん・・・けど、美味しかったわ。

これじゃあ、すきやきの有難味も無くなったね!

14/01/20 泡沫恋歌

ドーナツ 様
コメントありがとうございます。

昭和の私たちの世代はだいたい三人くらい兄弟がいるのが当たり前だったので、
よく兄弟げんかした話とか聞きましたよね。
それもたいていオヤツや食べ物のことでケンカしてた、さもしい言うか(笑)

だけど、そのハングリーさが必死で頑張るという精神力に繋がっていった
ことは確かだと思うんです(`・ω・´)ハイ!

昭和は躍動感が溢れてた、戦争には負けたけれど心は敗北者ではなかった!

14/01/20 泡沫恋歌

OHIME 様。
コメントありがとうございます。

若い世代の人には、こんな食い物ひとつで一喜一憂してる様は滑稽に見えるかも
知れませんが、そんな時代もあったんですよ。

今は雑誌やネットではダイエットの話題ばかりでしたが、昔はキャラメルなんかも
栄養価が高い、一粒でどれだけ走れるなんてことが売りでした。
みんな肥りたがってたし、肥ってる人は金持ちだと思ってたくらいですから(笑)
今はむしろ逆ですよね?

小さくて貧弱な日本人だけど、昭和の底力は凄かったと今も思います。

14/01/20 泡沫恋歌

鮎風 遊 様。
コメントありがとうございます。

うちの家でも鶏飼ってました。
もちろん玉子と食肉用でしたが、鶏は父親が絞めてましたね。
当時は玉子も牛乳もバナナも高かったのに・・・今では全部安くなってる。

子どもの時はすきやきがお腹一杯食べたいとか、シュークリームをイヤという
ほど食べてみたいとか、そういうのが夢だったわ(笑)

私たちにとって、昭和が一番輝いていた時代でしたね。

14/01/22 光石七

拝読しました。
ご自身の経験から書かれたのですね。リアリティがすごいです。
肉の奪い合いに微笑ましい家族の姿が浮かびます。
今は思う存分に食べられるのに、昔のほうが見えない調味料が効いてたのでしょうか。
SUKIYAKI SONG の通り、上を向いて歩きたいものです。

14/02/24 泡沫恋歌

光石七 様
コメントありがとうございます。

昭和の私が幼かった頃は本当に肉が高くて食べられませんでした。
今は安い食品の代表のバナナ・玉子・そして肉は高かったのです。
それだけに食べらる時の幸せ感はハンパなかったですよ(笑)

たぶん「昭和」というスパイスが効いていたのでしょうね。

14/02/24 泡沫恋歌

時空モノガタリK 様へ

この度は名誉な時空モノガタリ賞をいただきましてありがとうございます。

このように作品を発表させていただける場を提供してくださる時空モノガタリ運営様には
心から御礼申しあげます。

いつもテーマをいただけるお陰で、こうやって書き続けていけることを感謝して折ります。

この「すきやきの日」は、そのまんま自分自身の子どもの頃の体験でした。
貧しいけれど生き生きしていた、この時代の子どもは逞しいです。
それが私たちの世代のパワーの源かも知れません。

昭和生まれの私が「昭和」で入賞できたことを何よりも嬉しく思っています。

時空モノガタリ運営様、ありがとうございましたO┓ペコリ

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