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八子 棗さん

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泡沫の重み

12/05/28 コンテスト(テーマ):第七回【 結婚 】 コメント:2件 八子 棗 閲覧数:2131

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 六月に入るのを待っていたかのように、蒸し暑さは日を追い増していった。毎日のように通っている駅前の喫茶店は、冷えた飲み物を求めて立ち寄る客が以前より増えた気がした。少なくとも、私がいる時間帯の空席は、ほとんど見られなくなった。
 すっかり私の中で定位置と化したカウンター席の隅で、今日も私は九月の院試に向けて勉強をしていた。大学受験の勉強をしていた頃の癖で、ついこの喫茶店に来てしまう。一杯の飲み物代だってばかにならないのにーーとは思うが、何事も喫茶店でした方が捗るような気がする。
 ペラペラと古典の参考書を捲るが、頭に入ってこない。大学受験で散々苦労させられた古典に、またしても院試で苦しめられるとは思わなかった。
 つい先ほど、追加で買ってきたホットカフェラテを一口飲む。ーーぬるい。冷房の吹き出し口の真下の席だからだろうか。アイスコーヒーが残っているうちに買ってきたのに。

 窓の向こうに見える駅前のロータリーを眺めて、ひとつ溜め息をつく。そうすると溜め込んでいた悩み事が雪崩れるように溢れて来た。
 将来のこと。恋人のこと。家族のことーー。

 ……私は、このまま大学の院に進んで考古学の研究者になりたいと思っている。小学生の頃からの夢だった。まだ見ぬ遺跡の発掘に携わりたいと、思い続けてきた。
 けれど、考古学者になるにはいくつも問題がある。勉強面も勿論だが、何よりも恋人のことが一番の心配事だった。

 私の彼氏は、八歳年上の三十歳。三十、となれば、会社の中でもそれなりに仕事を任せて貰ったりする年齢になるのだろう。けれど、彼は今、仕事と言えるような仕事をしていない。
 というのは、彼は専門学校生の頃から、趣味で作った音楽をネット上に公開し、収入を得ている。どの作品もそれなりのクオリティのものばかりで、ファンも少なくない。
 私も、そんなファンの中の一人として彼と出会った。応援のメッセージを送ったり、即売会で差し入れたりと紆余曲折あって、彼と付き合うことになり。
 彼は責任感もあり、才能もあり、何より相性が良かったのか、私のことを真剣に、大切にしてくれる人だった。けれど、才能を見込んでどこかの会社から声がかかったりまではしないただのクリエイター。
 クリエイターといっても、履歴書の専門学校以降は空欄。世間から見れば彼はフリーターだった。

 隣のサラリーマンが席を立ったので、閉じた参考書を横に置いた。私が来た時にはもう居たから、一杯で二時間以上ねばっていたのだろう。
 マグカップを口に運ぶ。冷めたカフェラテの泡が唇に触れる。ぼんやりと、前回のデートの帰り際を、彼の言葉を思い出す。
「母親のお見舞いに行ったら、『早く結婚して父さんに楽させてあげて』って、また言われちゃったよ」
 彼が引け目を感じていることは、痛いほど分かっていた。
 職業のことを別にすれば、一応彼が一人で暮らしていくくらいの収入はあるらしい。けれど、とても二人で暮らしていくほどの収入はないのだろう。
 彼は今の生活に生き甲斐を感じていて、実際、上手く行っているとはいえ。音楽の業界に就職したら、と彼に勧めたりもしたが、なかなかクリエイターの募集は見当たらないらしい。そして、音楽と関係なく就活するには、履歴書の空白期間が厳しいのだとか。
 私だって、そうだ。研究だけでは食べていけない。例え、どうにか大学の非常勤講師か何かになれたとしても、まだまだ学生の私には先の話だ。

(結婚するのは、無謀だ)

 それくらい、分かっていた。

 時間は待ってくれない。悩んでいるうちに、私の両親も彼の両親も老いていく。特に、彼のお母さんは病気で身体が弱い。早く安心させたいのは、私も一緒だ。
 けれど、どのタイミングで打ち明ければいい? 私の両親は、彼氏がフリーターだなんて言って、結婚を許してくれる……?
 私は彼以上に「結婚」したい人には出会えないと思っている。彼となら、生涯を連れ添いたい。けれどーー。


『わたしは、大きくなったらこう古学しゃになりたいです。けっこんしたら、家ぞくでピラミッドに行きたいですーー』
 ふと、以前クローゼットの奥から見つけた文集に載っていた、私の作文を思い出した。小学二年生の頃、私が将来の夢を書き、優秀作に選ばれたものだったが……。

 大きくなった私は、「夢」の重みを知ってしまった。


 今の子ども達も、将来の夢について作文を書いているのだろうか。ほとんどの子は、夢を諦めたり、忘れたり、叶わなかったりしてーー仄甘い、暗さを孕んだ思い出に蓋をするのだろう。

 諦めるなら、私はどちらの夢を選ぶべきなのだろう……。

 ……だいぶ、身体が冷えてきた。残っていたカフェラテを飲み干して立ち上がる。手にしたカップを見れば、ほろ苦い色の泡だけが底に張り付いていた。


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このストーリーに関するコメント

12/05/29 ゆうか♪

初めまして、、
拝読させていただきました。

なかなか答えを出しにくい悩みですね。
人生には岐路がいっぱいあって、その都度どちらかを選択しなくてはなりません。彼女がいずれの道を選ぶのか・・それがとても気になるラストでした。

12/05/30 八子 棗

>ゆうか♪さん
初めまして。コメント有り難うございました。

今回は「結婚」というテーマの中で、恋愛感情ではなく現実的なジレンマを書きたいと思っておりました。
主人公がこの先どんな決断をするのか、少しでも読んで下さった方の心に引っかかるようなものを書けたら、と考えておりましたので、そのことに触れて頂けて、とても嬉しいです。

どうぞ、これからもよろしくお願い致します。

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