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こぐまじゅんこさん

詩を書いたり童話を書いたりしている主婦です。 みなさん、よろしくお願いします。 MyISBN−デザインエッグ社さんから、絵本「おしえて!ねこばあちゃん」を出版しました。 アマゾンでも取り扱っていますので、よかったら みてくださいね。 ブログ「こぐまのノート」も書いています。

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そろばん塾

14/01/05 コンテスト(テーマ):第四十八回 時空モノガタリ文学賞【 昭和 】 コメント:2件 こぐまじゅんこ 閲覧数:1389

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 私は、昭和四十年生まれだ。小学二年生の頃から、そろばん塾に通い始めた。
 昭和の時代の、子どもの習い事といえば、ピアノ・書道・そろばんが主流だったと思う。

 そろばん塾の先生は、いわゆるスパルタ方式で、生徒は頭にハチマキを巻いて、先生は竹刀をもって指導していた。

 私は、そこへ、週四日、通っていた。何が目的でそんなにがんばっていたのか、今思い返すとよくわからないのだが、まじめな私は、休まず通った。

 パチパチパチパチ、そろばんをはじく音が響き渡る教室で、私も、ハチマキを巻いて必死にそろばんをはじいていた。

 小学五年生の時、給食の時間に流れる校内放送があった。「私の得意なこと」というテーマのとき、私は、そろばんの腕前を披露することになった。
 私は、やっと三級になったばかりだった。
 放送部の子が、あらかじめ答えを書いた紙を渡してくれて、
「答えを間違ったら、これを見て言えばいいから・・・」
と言った。

 本番が始まった。紙に書き出された数字を計算していく。そろばんがパチパチパチパチ軽やかな音をたてる。さぁ、答えがでた。念のため、渡された紙をみる。
「あれっ! 答えがちがう。」

 私は、内心、焦りまくっていた。でも、顔は平静を装って、紙に書いてある数字を答えた。
「ごめいさん。さすがですね。」

 アナウンサー役の子が言う。私は、真っ赤な顔をして、うつむいていた。

 教室に帰ると、先生が満面の笑みを浮かべて声をかけてきた。
「すごいねぇ。」

 私は、思わず、
「答えがあったから・・・。」
と正直に言ってしまった。

 クラスメートが、いっせいに、
「なぁんだ。いんちきじゃんか。」
と、はやしたてた。
 気まずい雰囲気の中、私は残って給食を食べた。

 そろばん塾に行っても、放送をみた同じ学校の子が、指をさして笑う。
 (たいしたことないくせに・・・。)

 なんだか、そろばんが楽しくなくなってきた。
 私は、三級までとったところで、そろばん塾をやめた。

 (校内放送なんかにでるんじゃなかった・・・)と後悔した。

 でも、そろばんを習ったことは、その後の私の生活で無駄ではなかった。
 一日、三時間も、そろばんを集中して習っていたことから、勉強も集中してできるようになっていた。買い物で、スーパーに行っても、おつりの計算が、頭の中でできてしまう。頭の中に、そろばんが浮かんで、パチパチパチパチ動き出すのだ。
 苦手な数学も、計算は早いと、ほめられた。

 苦い思い出はあるけれど、私にとって、そろばんを習ったことは決して無駄ではなかったと、五十歳目前にした今、しみじみ思うのである。


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このストーリーに関するコメント

14/01/06 泡沫恋歌

こぐまじゅんこ 様

そろばんは昭和の子どもたちがよく習ってましたね。
放課後はそろばん塾か書道教室で、ちょっとお金持ちの女の子はピアノを
習うと言うのが、昭和のキッズライフでした。

懐かしい昭和の香りがしました。

14/01/06 こぐまじゅんこ

泡沫恋歌さま。

コメントありがとうございます。
私は、ピアノは習えませんでしたが、オルガンを習っていました。
今は、そろばんははやらないのでしょうかね。

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