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クナリさん

小説が出版されました。 『黒手毬珈琲館に灯はともる 〜優しい雨と、オレンジ・カプチーノ〜』 マイナビ出版ファン文庫より発売中です(表紙:六七質 様)。 http://www.amazon.co.jp/dp/4839958211 twitterアカウント:@sawanokurakunar

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将来の夢 絵本作家
座右の銘 明日の自分がきっとがんばる。

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あなたは壊れたね

14/01/05 コンテスト(テーマ):第四十八回 時空モノガタリ文学賞【 昭和 】 コメント:10件 クナリ 閲覧数:2427

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平成二十六年のLED照明は、闇とは即ち悪だ、と断ずるような酷薄な明るさを無感情に放っていた。
僕は、十二歳になる息子と二人、2LDKの中央に鎮座するテーブルで遅めの夕飯を取っていた。
「お父さんもな、昔苛められていたことがあるんだ」
自分としては勇気を振り絞った告白だったが、息子の返事は「ふうん」とつれない。
「最近のは悪質らしいな。ネットを使ったり、ねちねちと遠まわしだったり。お父さんの頃はもっと分かり易かった」
おどけて拳骨を振ってみても、息子はインスタント味噌汁をまずそうにすするだけだった。
「でもあれは、社会勉強の予習みたいなものだったな。コミュニケイションの一環だった。誰々が持つ力はどんなもので、それにどう立ち回るか、なんてことを学んでたんだな」
息子は貧相な夕食を終えると、食器を流しに置き、自分の部屋へ足を向ける。
「お前は、立派だよ。学校も休まずに行って、そんなおっかないものに立ち向かってる。明日、お父さん、先生の所に行くからな」
パタンと閉められたドアの向こうで、息子が首を吊ったのは、その夜だった。

昭和と平成の苛めは質が違う、というのはよく聞く話だった。だから下手に理解を示すのではなく、息子のプライドを守るように話をしたつもりだった。
息子の死後、教師と話をしたくて小学校を訪問したが、全く話が通じず、たらいまわしにされた挙句、迷惑そうに追い払われた。
息子を苛めていた連中の顔を見てやろうかと思ったが、どこの教室か分からずに諦めた。
息子の遺影を飾り、仏壇を設けても、誰一人拝みにも来ない。
遺品を整理していると、以前息子に贈った僕の気に入りの小説に挟まった、僕宛の手紙が出てきた。
それは、息子の遺書だった。
『お父さんへ。
お父さんの受けた苛めが、コミュニケイションの一環だったの言うのなら、今、それと同じ目に遭ってみろと言いたい。
家の外でどんな目に遭おうと、僕は耐えられる。でも、家の中の肉親に、僕の苛めを、自分の過去を美化して思い出を楽しむための道具にされたなら、僕はどうしたらいいのか。
自分の受けた教育や、生きた社会を、どうにか肯定したいという汚泥のような欲望と、それとは対照的なそら美しいノスタルジをない交ぜにした濁流の前に、子供などいかにも無力じゃないか。
少数派が力任せに踏み潰された事実を見てみぬ振りをして、なかったことにしていた時代の苛めは、無害だったのですか?
昔はよかったですか?
じゃあ、もう死になよ。今は、昔ではないのだから』

攻撃的な文面に、僕は衝撃を受けていた。
しかし、同時に強い違和感も抱いた。
こんな文章を、十二歳の子供が書くだろうか。息子は、そんなに語彙が豊富だったか?
僕が知らないだけで、母親がよく本を読ませていたのだろうか。
はて。
母親はどうしたのだったか?
出て行ったか、別れたのだっけか。
それはいつ頃だったろう。息子がいくつの時だった?
息子。息子。
息子の名前は何だ?
これを度忘れとは、いくらなんでも酷い。
学校の人達だって、まだ息子の名を忘れてはいないだろう。
学校。
小学校では担任が顔すら見せなかった。そんな教師があるだろうか。
そんなことがあっていいのか。あのランドセルを背負って、苛めにも負けず、毎日通った学校だというのに。
そう思って机のフックを見る。ランドセルがかかっていない。もう片付けてしまったのだっけ。
いや、ここは子供部屋じゃない。僕の寝室だ。
うちは二人住めるほど広くない。1LDKなのだから。
部屋の中を見回す。すると仏壇の中の遺影が話しかけてきた。

子供の頃に、酷く苛められたね。
その時、小さな胸には大きすぎるひびが入ったね。
あんなに毎日毎日、繰り返しばらばらになったのに、直さないままここまで来てしまったね。
かわいそうな自分の分身を作り出して、見守ることで心を守ってきたのに、それももう限界に来たので、その分身は死んでしまったよ。
何が起きた訳でもない。昔壊れた所を、壊れていない振りをして、見ないまま歩いてきたから、とうとう壊滅するんだね。
普通の人にはただの舗装路でしかない所を歩くにも、あなたの脳にはカンナをかけられながら這いずるようなものなのだからね。
崩壊は何のきっかけも必要としないよ。
ただ自然に、実にだめになるってだけのことだからね。


そうして彼の精神が自壊したのは、四十歳の時だった。
それでもその心臓は、彼が七十二歳になるまで鼓動し続けた。
近所の徘徊老人の姿が見えなくなったという通報から、孤独死した老人の亡骸が古いアパートで発見された。家具も乏しい部屋の隅の仏壇には、なぜか老人の幼い頃の写真が置かれていた。

隣の老婆は、
「こういうの、平成になってから増えたって言うわよねえ。昭和の頃はなかったのに」
と、散文的に言った。


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このストーリーに関するコメント

14/01/06 メラ

なるほど。いじめをここに持ってくるとは驚きです。そしてさすがの一言。
考えさせられますね。今の世のいじめ。そして老人生活。両者は手を変え品を変え、我々に人間としての根本的な問題を叩きつけているような気がします。

14/01/06 草愛やし美

クナリさん、拝読しました。

昭和時代にも、確かに「いじめ」はありました。苛めると言う行為そのもが、どんな時代であろうと陰湿なので、現代であろうと、苛められる側にとっては、変わらない苦痛でしかないものだと思います。
苛めの理由は様々ですが、立場が弱いものに集中します。一対一でないところに問題があって傷が更に深くなると思っています。場面さえ変わればという甘い考えも立ち消えた、この孤独な老人、昭和を引き摺ったまま平成まで生きる屍のようになって生きてしまったのでしょうか。衝撃的な息子の手紙が、違っていたとう辺りから、驚きのラストへ向かい、老人を通し、昭和も突き抜けて人間そのものを見据えたクナリさんの作品に衝撃を受けました。

読み終わってから、一見あっけらかんとしたタイトルの問いかけ文を用いられたクナリさんの気持ちに思いを馳せました。深くえぐった傷のような想いが込められているのではないかと……。
クナリさんが、表したかったものを私は、ちゃんと見れているでしょうか?この深いお話にいろいろ考えさせていただきました。ありがとうございました。

14/01/06 泡沫恋歌

クナリ 様
あけましておめでとうございます。

新春から、これはツライ話だね。
昭和の時代ももちろん虐めはありました。
無視したり、汚いとか、ヘンなニックネーム付けてからかったり、乱暴な男の子なんかは、
弱い子を殴ったりしてましたよ。
でもね。
あったかも知れないけれど・・・周りで虐めを苦に自殺とかは聴いたことがなかった。

何なんだろう? 昭和と平成の虐めの違いは?
たぶん、昭和の人間の方が打たれ強かったし、周りもやり過ぎないように歯止めが利いたと思う。
平成の虐めは確かに陰湿で執拗だと思うわ。周りも知らん振りだし・・・。

いろいろ考えさせられるお話でした。

今年もよろしくお願いします。

14/01/10 クナリ


OHIMEさん>
年号上の昭和というより、「今昔」みたいな感じに捉えてしまいましたね。
「昔はよかった」という考え方自体は良くも悪くもないと思うのですが(個人の感想なので)、
「昔のいじめはよかった」とテレビのコメンテータさんがおっしゃっているのを見ると、
待たんかい、と思ってしまうんですよね。
自分の過去を可愛がる前に、今苦しんでる子供に「識者」と言われる立場の大人が
向き合わないで何やってんですか、と。
これは、なんかそんな悔しさみたいなものが現れた話だったかもしれませぬ。
お読みいただき、ありがとうございました。

メラさん>
昭和と聞いた時に平成との対比が頭に浮かび、そうなるといじめの問題がずんずん
頭の中に迫って来て、こんな話になりました。
おそらくいじめという問題が消滅することは無いんだろうなとは思うんですけどね。
いじめに対抗しようとする人々が過去のいじめから対処法を構築する様に、
いじめを敢行しようという子供達はそうした人々の「いじめの対処法」から抜け道や
カウンターをあっさりと構築するのでしょうから。
ある程度本能に根ざした楽しさがあるんでしょうね、いじめというものには。大人も
やるくらいですし。
人がどうあるべきか、それは実現可能なのか。
普遍的テーマですね。

草藍さん>
昔のいじめが今と違うというのは確かなのですが、それはいじめの実行者と取り締まる
側との追いかけっこから、いじめる側が学習した結果だとも思うんですよね。
昔はげんこつによる、分かりやすいいじめだった。それは先生によって取り締まられる
ようになった。すると他人には露見しないか、露見しても実行者や首謀者が容易には
見つからないように行われるいじめが流行した。
そして今ではSNSなどのテクノロジの恩恵を子供も受けるようになり、学校内に収まらない
手段も用いることが出来るようになった。
「どうしてもいじめがしたい」という本能的欲求に恐ろしさと来たらありませんが、少なくとも
成年となった人間達には、冷静な良心が常に求められるのではないかと思います。
子供の時に胸に突き刺さった槍が大人になっても刺さったままなら、槍もまた体とともに
大きくなり、いつか抜き放たれてその穂先が他人に向けられることだってあるのですから、
われわれにとっても常に他人事ではないと思うのですが、多くの大人が表面的な一般論で
いじめ問題をまとめたがるような。
自分がこの話に込めたものがあるとすれば、傷と言うよりも、怒りとか悔しさとかですかね。
それはいじめをやっている子供たちと言うより、いじめから離れて達観したようなふりを
している大人に対してかもしれませんが。

泡沫恋歌さん>
フフフ、お正月だろうと誕生日だろうと、クナリにおめでたい話など書けませぬ!(大威張り)
いじめを苦にした自殺は、昔はあっても、隠されていたのかもしれませんよ。
新聞とテレビに載っていないことは起こっていないのだ、と思わせるかのようなメディアによる
情報の扱い方の恐ろしさは、特筆ものです。
時代の閉塞感なんかも関係しているのかもしれませんが。生きてさえいればいずれ
何もかもうまくいく、とは思えない平成の現代ですからね。「じゃあもうここらでBYE」と
考えても不思議ではないのかも。
昭和のいじめを踏まえて、いじめっ子も、止める側も、学習してしまったというのもあるかも
しれません。
いじめは、よりばれないように、より目には見えない、よりダメージのあるやり方を、より楽しい方法を。
止める側は、進化するいじめに対抗することの大変さと、止める側に降りかかってくる攻撃の
理不尽さとすさまじさを。そして二の足を踏むようになる。モンスターペアレントというのも
増えたようですしね。自分の生活や健康を守るためには、先生も生徒も知らんぷりにもなると。
昭和と平成でいじめを分類するのはあまり好きではありませんが、単純に「いじめる側に
与えられた先人(…)の歩みと、テクノロジ」の差なのかもしれないなあとも思います。
昭和のいじめっ子達に、今の文明利器と手管を教えれば大喜びでそれをやるんじゃないかなあ。
実際に自殺に追い込まれた平成のいじめられっ子が、自殺しなかった昭和のいじめられっ子
と比較して我慢強かったかどうかなんて、比べようがありませんし。
われわれが知るよりもはるかに狡猾に、残忍に進化したいじめ(という表現にも吐き気が
しますが)に対抗し切れずに力尽きた人々がいるなら、それを「最近の子供は〜」という
論調で語ることは解決から一番効率よく遠ざかる方法かもしれません。
我慢強いからこそ、いじめる側も相手が自殺するまでエスカレイトしたのかもしれませんしね。
大人が、時代とか地域性とかで分かりやすくいじめをカテゴライスしようなどと小賢しいことを
して、自分の過去の経験ばかりをよりどころにいじめを捉えようといる限り、今現在の
いじめの現場から響く生の声を聞き取ることからは遠ざかるような気もします。
ああッ、なんなのかこの重苦しいレスはー!
こちらこそ、今年もよろしくお願いします!


猫春雨さん>
そう、たぶんいじめというものは人間の生活の場からは無くならないと思っています。
いじめをしたいという欲求は、人間の本能に根ざしているのかもしれないということを、
ある程度認めざるを得ないのかなあと。
でも防ぎたい。無くしたい。だって悲しいから。それも本能であり、人間の本質だと
信じたいですね。
お読みいただき、ありがとうございました。


14/01/22 光石七

昭和というと『三丁目の夕日』のようなほのぼのした良い時代というイメージが先行しがちですが、このような切り取り方はさすがです。
いじめは時代の流れとともに変わったように見えて、本質は変わっていないのかもしれません。
考えさせられるお話でした。

14/01/23 クナリ

光石さん>
たぶん、自分は昭和というものに対し、前向きで好意的なノスタルジの材料が心にないのでしょうね。
いいことも悪いこともあった、長い時代。人々の、自分の歴史を肯定したいというごく当たり前の欲求の前に、なかったことにされた暗闇にこそ注目したくなります。
いじめの本質はねー、変わっていないと思いますー。
優位性への欲求とか、優越感の誘惑とか、そうしたものは、大人でさえ取り付かれて振り払えないのですから。
子供は純粋な天使だ、だから子供のいうことは間違えない、という人も以前いましたが、子供は自分の欲望にも純粋な分、容易に過ちを犯すものだと思います。

14/02/06 都然草

いじめをも懐古主義的に捉える風潮を巧みに風刺した作品だと感じました。
遺書の内容は、そういった世の中に対するクナリさんの疑問や怒りを表したものでしょうか。。
今は、昔は、
昭和は、平成は、
とむやみに対比するのは気分の良いものではありませんよね。。
しかしながら嫌味もなく説教くさくもないミステリ調に書かれていて、内容もさながら文章表現も素晴らしく、読んでいてとても面白かったです。

最後の老婆のセリフをたった一言で滑稽にしてしまう表現力に脱帽です!

14/02/08 クナリ

徒然草さん>
「現代を憂うふりをして自分の過去をかわいがっているだけ」という態度の大人に対するわたくしめのもやもやがこうした話になったのかもしれませんで、ちゃんとお話になっていればいいのですが。
現代の子供の苦しみは、あなたのノスタルジを満足させるために使われるもんじゃないんですよ、といいたくなることがままありまして。
そうした個人的感情のこもった話でしたが、説教くさくなっていなければなによりです。

子供や老人の言葉を、必要以上に意味を持たせようとする風潮も好きじゃなくて…って、そんなのばかりが結実した作品だったかもしれません(^^;)。

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