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W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

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ブラックホール航海記

13/11/25 コンテスト(テーマ):第二十二回 【 自由投稿スペース 】 コメント:4件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:1624

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 ぼくは、首に巻いたマフラーを颯爽となびかせながら、歩きだした。
 目の前に、滔々と川が流れていた。
 ぼくがその川の中に頭からどっぷりと入っていったのは、こんな場合だれも川の中にどっぷりと頭からなど入っていかないからだった。
 川の中を歩き続けているうちに、やがて海にたどりついたのが、その塩辛さでわかった。ぼくは、海の中もかまわずに、歩きだした。ぼくがなぜそんなことをするかというと、こんな場合だれも海の中などにのりだしていかないからだった。
 いや、それはまちがいだった。前から、一人の男が、近づいてきた。
「やあ」
「やあ」
 ぼくたちは気さくに挨拶を交わした。
「どちらまで?」
 と相手がたずねたので、
「だれもいかないところに」
 とぼくは答えた。
「残念でしたね。だれもいかないはずのところで、私とであったりして」
「まあ、ひとりぐらい、例外はあってもいいのです」
「自己紹介をしましょうか」
「いいですね。海の底で自己紹介するものなど、ぼくたちのほかには、だれもいないでしょうから」
 ぼくは、相手の顔をみようとして、目をみひらいた。するとそこへ、明々と光をたたえた深海魚がちかづいてきた。その光に照らしだされた男の顔は50代、あるいはもっと上か。
「私は、一遍トオルといいます。私がここにいるのは、あなたをのぞいて、だれもこんなところにいたいとは思わないからです」
「ぼくは月並等。とにかく人のやらないこと、いかないところ、おもわないことを、求めて旅するものです」
「では、いい旅を」
 一遍トオルとぼくは、そういい交わしてお互い、右と左に別れた。
 ぼくは再び、マフラーを後ろになびかせて、海底をどこまでも歩き続けた。
 しばらくすると前方に、赤い光がみえてきた。
 円盤状をしており、ぼんやりとした赤い光がそのまわりをとりまいている。
 円盤の上に、だれかが足を投げ出してすわっているのがみえた。
「ようこそ、地球の人」
 ぼくのことを、地球の人だとよぶからには、その円盤同様、赤味をおびた光に包まれたかれは、おそらく地球外生命体なのだろう。
「なにをしているのですか?」
「人をまっていました」
「だれをです?」
「あなたです」
「ぼくを」
「最初にやってきた人こそ、私がまっていた人です」
「ぼくになにか用ですか?」
「私の星を、助けてもらいたいのです」
「あなたの星は、どこにあるのです」
「話してもわからないぐらい、遠いところです」
「この乗り物で、飛んできたのですか?」
「瞬間移動でね。飛ぶと何百光年の距離も、瞬間移動なら、わずか一秒とかかりません」
「どうして海の底で、まっていたのです」
「私の星を救えるようなひとは、だれもこないような海の底に、マフラーをたなびかせながら、やってくるような人にちがいないと思ったからです」
「もうひとり、いましたよ」
 とぼくは、あの一遍トオルのことをおもいだしていった。だが相手は、それは無視して、
「さ、いそいでください。事は急を要するのです」
 ぼくは、ためらうことなく、赤い光につつまれた人間があけてくれた乗り物の入り口に身をすべりこませた。
「やあ」
 乗り物の中から、一遍トオルが、うれしそうな顔をむけた。
「もう乗ってたのですか」
「うん。こんな得たいの知れない乗り物には、だれも乗らないとおもってね。きみは例外だが」
「つきましたよ」 男はいった。
 ぼくと一遍トオルが短いやりとりをしている間に、光が何百年かかって到着する距離を、どうやら飛び越えたらしかった。
「いったいなにから、星を救うのです」
 一遍トオルの質問に、相手はこたえた。
「それはご自分の目でたしかめてください」
 一遍トオルはぼくと顔をみあわせて、
「それではじぶんの目でたしかめることにしょうか」
 ぼくもそれには賛成した。
 円盤の出入り口は開かれた。ぼくたちがでると背後で扉はしまり、赤い光に包まれた円盤はたちまちどこへともなく消えていった。
 ぼくたちは、なもしらない星の、どこともしれない地上を、歩きはじめた。何百光年離れているといってもあたりには、ふつうの民家がならび、道を行き交う人々も、ごくふつうの人間の姿をしていた。
「あら」
 前からちかづいてきた若い女性が、きゅうにたちどまってぼくたちをみた。頭に、奇妙な形のヘルメットをかぶっている。そのヘルメットをすこしあげて彼女は、ぼくたちに大きな目をむけた。
「もしかしたらあなたたちは、この星を救いにやってきたんじゃないのかしら」
 ぼくはその、どちらかといえば日本風の、スマートに胴長の、かっこいい短足の彼女に、愛情でも友情でもない好意をおぼえた。
「どうしてわかったの?」
「え、私、たったいまおもいついたことを口にしたんだけど、当たっていたのね。じゃ、私、これからあなたたちといっしょに、この星を救うために、命をかけることにします」
「きみはだれ?」
「おざなり定子といいます」
 ぼくは一遍トオルは順番に自己紹介をしてから、
「この星はいったい、どんな危機に直面しているんだい?」
 彼女は首をひねった。
「それが、わからないの。たぶん、みんなそうだとおもうわ」
 そらにはぼくもうなずいた。通行人のだれからも、危機感めいたものは感じられなかった。
「そのヘルメットは?」
 一遍トオルが興味をしめした。
「これは、記憶をすいとられないように、庇護してるの。どこにでもうってるから、あなたたちもかぶったほうがいいわよ」
「記憶は、なににすいとられるんだい?」
「なににすいとられるかの記憶がすでにすいとられているので、わからないの。私これから、ある人を尋ねるところなの。その人は魔女で、だけどその魔法もすいとられてしまったのでいまは、ただの一般人となって、箒をつくって生計をたてているらしいわ」
「箒を買って、それにまたがり、空でも飛ぶつもりかな」
 と一遍トオルがたずねた。
「よくわかったわね。どうかしら、あなたたちも箒を買って、いっしょに飛ばないこと」
 ぼくたちは魔女の家をめざした。
 魔女の家は、小さな木造づくりで、玄関まえに数本の箒がたてかけられていた。
「ごめんください。魔女さん」
 すぐに扉があいて中から、ぽっちゃりした中年女が顔をつきだした。
「もしかして、あたしの過去を知っている人かしら」
 定子は、こくりと大きくうなずいた。
「あたなは魔女の血をひく魔女四世で、あなたの祖母はその昔、このあたり一帯を魔法の力で支配していたのよ。私の祖父が大切にしていた家宝の玉を、魔女がとりあげたまま、そのままになっているときいて、私、それをきょうとりかえしにきたの」
 いまの定子の話は、たったいまおもいついたものではないかとぼくは疑った。
「それは悪かったわね。あなたのいう家宝というのは、このことかしら」
 魔女は、部屋のおくから、一個の玉をもってきた。
「ほんとは二個あったらしいんだけど、ひとつはあそこで燃えてるわ」
 と魔女は、明々と炎をゆらしている暖炉をふりかえった。
「夏に暖炉をたくのは、魔女の風習ですか?」
 と一遍トオルがたずねた。
「『火』の玉の火は、永遠にきえないのよ。何十年の間冬も夏もああやって、燃え続けているわ。おかげで光熱費はたすかってるけど」
「その玉も、やっぱり―――」
 と定子が、魔女が手にしている玉をみていった。
「こちらは『時』の玉。ただし『火』のような持続性はなくて、どちらかといえば一回きりで、15分きりという短命ね」
「『時』というのは、どういうものですの?」
「なにせ使ったことがないので、よくはしらないのだけど、なんでも、15分の間、時間をとめておけるそうよ。さ、もっていきなさい」
「ありがとう」
 ためらいもなく定子は魔女から『時』の玉をうけとった。
「あ、そうそう。箒を三本、買いたいのですけど―――」
「おもてにあるのを、どれでももっていけばいいわ」
 ぼくたちはそれぞれ、自分たちの分の箒代を支払った。
 さっそく定子は、箒の柄にまたがってみせた。
「ほんとならこうすれば、宙にうかびあがるのよね」
 いっているあいだに彼女の体が、ふわりと舞い上がった。
「飛べるじゃないか」
 一遍トオルが彼女をまねて、箒にまたがった。やっぱり彼もまた、箒とともに、空に浮かんだ。
「これはきっと、あなたに魔女としての力が蘇ったからではないでしょうか」
 ぼくはまだ地上にあって、そばにたっている魔女に、そういった。
「あなたはまだ、とんでないわよ」
「ぼくだって―――」
 と、ぼくは、両手にしっかりもった箒に、飛び乗ろうとした。いきおいがつきすぎて、ぼくの体は箒よりはるかな高見に浮かびあがった。おちる! とおもわず目をつぶったぼくだったが、そのまま体は宙を、ふわふわ漂いつづけている。
「これも、あなたの魔法ですか?」
 空の上からぼくはたずねた。
「魔法かどうか、よかったらあなた、たしかめてくれないかしら」
「わかりました。魔法かどうかがわかるまで、しばらく飛んでみることにします」
「とぶって、すてきなことでしょう?」
「だけど、常に落下という恐怖がつきまとうのが、難点ですね」
 しかしもうそのぼくの声も、いまは地上にちいさくみえている魔女には、とどかなかったらしく、彼女は耳に手をあてた顔を、しきりこちらにむけていた。

☆  ☆  ☆ 

  一遍トオルとおざなり定子は、どこへいったのだろう………。
 ぼくは広い空の上を、あちこち飛び回って、ふたりをさがした。
 ぼくはさらに、上空にむかってとんでいると、
「あら、こんにちは」
 日傘をさした婦人が、挨拶をした。みればあたりには、何十、いや何百という人々が、ぼく同様、箒もなにもなしに飛んでいるではないか。そのなかに一遍たちがいないかとさがしてみたが、やはり二人の姿は見いだせなかった。
「この星のひとは、自在に空をとぶことができるのですか?」
 ぼくは日傘の婦人にたずねてみた。
「あなたはごぞんじないのですか。わたしたちの星は、ブラックホールの引力圏にはいっているのですよ。わたしたちが空をとべるのも、ブラックホールのおかげですわ」
「そんな事情があったのですか」
 それでは、あの赤い光につつまれた人物がいっていた、惑星の危機というのは、このことだったのか。そして魔女がいっていた、記憶をすいとった相手というのは、ブラックホとだったのかと、想像をたくましくした。
「もっと上にいけばあなた、いろいろなバーゲンがたのしめますよ」
 それはきっと婦人一流のジョークとおもいながらぼくは、もういまでは体得していた空の飛び方でひときわ上にむかって体をひるがえした。
 30分も上昇をつづけると、周囲は深い群青色にそまってき、空一面、星が輝きはだしていた。
 前方に、天の川が………いや、ぼくの目の高さにそんなものがあるはずがなかった。横にひらたくのびひろがっているそれは、だんだんと接近するにつれて、大小さまざまな家具や車、オートバイ、テレビや冷蔵庫などの電化製品、IT機器、無数の書物類、それに金銀ダイヤに、ありとあらゆる宝石類、札束や小銭に、印鑑つきの預金通帳、そのほかにも家屋やビル、マンション、トラックに列車、飛行機にロケット、豪華客船といったものが集合して、星雲のように広大な渦をまいていた。
 これらの物も、ブラックホールの引力につかまって、この高さにひきあげられたものにちがいない。おそらくここが、惑星の引力とブラックホールの引力が拮抗する場なのだろう。しかしよくみると、集合体の中央あたりでは、さながら竜巻のように物が、宇宙にむかって上昇しているのがわかる。ブラックホールの力がじわじわとつよまっているのは明らかだった。
 ぼくは、いささか飛びつかれたこともあり、ちょうどみつけたベッドの上に横たわることにした。それは、まるで王侯貴族が使うような豪華なベッドで、あまりの気持ちのよさにうとうとしていると、いきなりピシリという音とともに、顔に熱い痛みをおぼえた。
「目を覚ませ」
 そんなこといわれなくても目をみひらいたぼくのまえに、女がひとり、手にした鞭であたりの物をピシリピシリとひっぱたきながら、凄みをみせてこちらをにらみつけた。
「きみはだれだ?」
「おれは、鬼風だ」
「おれはって―――きみは女だろ」
「やかましい」
 いうなり鬼風は鞭をひとふりするなり、ぼくの体をその鞭でぐるぐる巻きにしたあげく、気合もろともぼくを、どこかにむかって投げ上げた。ぼくのからだは空中を、弧を描いて飛んで行き、あっとおもったときには帆船のうえの、甲板上にもんどりうって落下していた。
「月並くん、だいじょうぶか」
 一遍トオルとおざなり定子が、やはり縄にぐるぐる巻きにされて、帆柱にくくりつけられていた。
「まあ。ひどい目にあって」
 定子がじぶんの立場もわすれて、ぼくのことを気遣った。
「あの女はいったい、なんなんです?」
「自分で海賊だといっていた」
「海賊? いったいなにを略奪するんだ。ほしいものなら、船の下にいくらでもあるじゃないか」
「無駄口をたたくんじゃない!」
 いきなり鬼風が、船の下からとびあがってきて、甲板に降り立ったとおもったとたん、
手にしたナイフをこちらにむかって投げつけた。ナイフはまず一遍トオルをしばりつ
けていたロープを断ち切り、いったんとびすぎていって途中でブーメランのようにもど
ってき、こんどはおざなり定子のロープを切断し、さらにまたブーメランのようにユータ
ーンしてこんどはぼくの、スニーカーの紐を縦にぶちきり、最後はそれを投げた主の手にもどっていった。
「おれをなめるんじゃない」
 そのとき船倉から、足音もあらくだれかがあがってきた。
「鬼風、そいつらは」
 鬼風同様、そいつもまた女だったが、がに股で、肩をいからせながら、ぼくたちのほう
にちかづいてきた。
「吠え鴉か。こいつら、下にいたので、捉えたんだ。荷物を略奪しようとしていたのかもしれない」
 それにたいして定子が、
「私たちは魔女からもらった箒にのって、ここまでやってきました。なにもいただくつもりなんかありません」
 そのあとをぼくがつづけた。
「あなたも鬼風も、女性だというのに、どうしてそんな、男のようないでたちをしているのです?」
「おれたちは女なのか。それではこいつは?」
 鬼風に吠え鴉とよばれた者は、じぶんの背後にたつ、スカートの下から毛むくじゃらの足をつきだす、顎ヒゲも真っ黒な人物をゆびさした。
「彼は男です。まちがいありません」
 それをきいた吠え鴉は、困惑げに頭をかかえた。
「おれたちは、おれたちがなにかもわからなくなってしまっんだ。おれたちがなんであるかという意識を、あのなんでも吸収してしまうブラックホールにすいとられてしまったんだ。おれたちがこんな海賊姿で航海するのも、下に密集する荷物のなかに、うばわれた時がないかを探すためなんだ。おまえたち、われわれの力になってくれないか」
「それはかまわないですよ」
 ぼくがいうと、鬼風がきゅうに怒りだした。
「こんなやつらにどうして頼むんだ。おれがこの手で、おれやおまえの、うばわれた時をうばいかえしてやるさ」
 するとそのとき、なにをおもったのか一遍トオルが、ぐいと鬼風に肉薄して、
「じぶんを女とも男ともきめかねているきみに、なにがみつかるというのかね。わるいことはいわない。わたしたちにまかせなさい。きみたちの失った意識は必ずとりもどしてやるから」
 それを聞いた鬼風の顔がまさに鬼のような形相にかわった。
 いきなり、問答無用とばかり一遍トオルをつかむと、かるがると頭上に抱えあげて、
えいと船の下に投げ捨てた。
「なにをするんだ」
 おもわずかけよるぼくにたいしても、鬼風は容赦しなかった。気がついたらぼくもまた、甲板から船の下にほうり投げられていた。

☆  ☆  ☆

 浮遊する大小さまざまな物のあいだをぼくは、どこまでも沈んでいった。無意識にぼくは、両腕を水をかくようにしきりに、うごかしていた。
 やがて、なにやら巨大なドームのようなものにつきあたった。その中には簡単にはいりこむことができた。
 白々とした光に、おもわずぼくは目をほそめた。そこはおおきな屋敷のような室内で、真新しいテーブルクロスにおおわれたテーブルの両側には、美しく着飾った女性たちがむかいあい、お茶をのみながら品のいい会話に熱中している。なかでもひときわ華やかなひとりの女性の上に、ぼくの目はとまった。ほくはいままで、こんな清楚で、可憐な女性はみたことがなかった。
 こちらのまなざしに、彼女も気づいたとみえ、ちらちらとぼくのほうに、そのまなざしをなげかけるようになった。
 どうも、どこかでみたような気がした。しかし、ぼくの記憶をどんなにひっくりかえしたところで、こんな美麗な女性との接触は皆無といえた。………いや、ひとり、いた。しかし、そんなばかな………。
 信じられないことだが、それはまぎれもなくあの、鬼風だった。頭にまきつけた汚れた布きれの下の、日に焼けて真っ黒な顔から輪郭だけをとりだすと、まぎれもなくいまあそこで燦然と輝いている婦人は、鬼風その人だった。
 ―――するとここは、あの吠え鴉がいった、ブラックホールにひきぬかれた、彼女たちの意識の世界なのか。そうおもってみると、いま鬼風のむかいの席で、上品な微笑をうかべている美女が、『吠え鴉』本人だということがわかった。
 それがわかるとぼくは、もはやためらうことなく、鬼風のいる席にむかってかけよった。
「鬼風さん、ぼくといっしょにきてください」
 彼女の手をぐいとにぎって、ぼくは彼女をひっぱった。
「むりですわ」
 彼女は一言、そういった。
「なにがむりなんですか。さあ、どうぞ、お立ちになってください」
 彼女はたちあがろうとした。がすぐ、力がぬけたようになって、椅子にすわってしまった。
「どうしたというのです」
 ぼくはもう一度、彼女を席からおこそうとした。が、またしても彼女は、途中まで身をおこしかけたところで、椅子にすいよせられるようにすわりこんだ。なんどくりかえしても、結果は同じだった。
「あなた、むだなことはやめなさい」
 むかいの席から、『吠え鴉』だった婦人が、優しくたしなめるようにいった。
「ここからぬけだすことは、不可能ですのよ」
 それをきいてもぼくは、あきらめる気にはなれなかった。鬼風を、あの海賊船につれもどすというより、彼女をつれて、ブラックホールの引力のおよばないところまで逃げたか
った。
「さあ、鬼風さん」
 執拗に彼女の腕をつかもうとするぼくの腕を、背後からだれかか押さえた。
「月並くん、むだだ。もうやめなさい」
 一遍トオルだった。
「どうしてだ、一遍さん。彼女をここからつれだすことが、どうしてむだなんだ」
「これは、ブラックホールによって吸い取られた過去なんだ。過去をかえることは、だれにもできやしない」
「ぼくは絶対に、彼女をつれてゆくぞ」
 ぼくは渾身の力をこめて、鬼風だった婦人をひっぱった。それは、絶対にかえられないものを、むりやりかえようとすることにひとしかった。それによって、これまでたもたれていた宇宙の均衡が、くつがえされることもかまわずに、ぼくはなおも彼女をひっぱった。
  石臼が音をたてて回転しはじめるように、室内のなにもかもがしずかに、ゆっくりと回転しはじめた。人が、家具が、壁が、いびつにゆがんでかさなりあい、なおも回転するうち、もはやなにがなにとも知れないまま、中心から次第に浮かび上がりはじめた。
「月並くん、まずいぞ。ブラックホールが力をつよめたもようだ」
 一遍トオルのいうとおりだった。
  あたりに浮遊していたあらゆるものもまた、はげしい勢いで上昇をはじめていた。それらの物にもまれてぼくと一遍トオルはたちまちはなれてしまった。物と物の中でもみくちゃにされながらぼくは、目にみえない強烈な引力がぼくをがっちりつかむのを意識した。このままブラックホールの真っ暗な穴の底に落ちてゆくのだろうか………。絶望のためかそれとも、すでにブラックホールにおちこんだのか、とにかく目の前が真っ暗になったそのとき、だれかがぼくを呼んだ。
「月並さん」
「―――おざなりさんか。きみにもわかるだろう、世界が、ブラックホールにすいこまれようとしている。もうだれにもとめることはできない」
「これでもできないかしら」
 そういう彼女の手には、あの『時』の玉がにぎられていた。
「すくなくとも15分間はとめられるわよ」
「15分間でなにができる?」
「すいこんでいたのが急にとまったら、その反動は、半端じゃないとおもうんだけど」
 試みてみるだけの価値はありそうだった。ぼくはさっそく彼女から『時』の玉をもらうと、大きくモーションをつけてそれを投げた。
 一瞬後、あたりはきゅうに明るくなって、ぼくといっしょにすいこまれたあらゆるものが姿をあらわした。もたもたしているひまはなかった。ぼくはとにかく眼前に横たわる列車にとびのった。ガクンと反動がきたかとおもうと列車は、たちまちおそろしい速度で走りはじめた。


☆  ☆  ☆


 それからさきは、なにがどうなったのやら、はなにもわからなかった。 
 いきなり眼前にまばゆい光がさした。失いかける意識の中でぼくは、それがどこか
の砂浜で、すぐむこうに青々とした水がながめられるのが辛うじて認識できた。
 ―――耳が痛かった。気がつくと、耳たぶに蟹がぶらさがっている。
 砂浜のむこうに波がおだやかにうちよせているのがみえた。電車はいったいどこにいったのかまた一篇トオルやおざなり定子がどうなってしまったのか、ぼくには知るすべはなかった。
 ただひとつ、ぼくにたしかなことは、あのとき鬼風の手をとり、ブラックホールにとらわれた過去からなんとか彼女をひきぬこうとしていた、そのひたすらなおもいだった。
 あのときの鬼風の、訴えるようにみつめる目には、ぼくとともに過去からぬけだしたいという気持ちが、強く感じられた。それが不可能であればあるほど、ぼくたちの気持ちはなおいっそう激しく燃えた。
 その気持ちを愛とよぶならそれでもいい。この物語のたとえ99パーセントが嘘っぱちで
あったとしても、残り1パーセントの真実だけは、鬼風、きみならきっと理解してくれるにちがいない。









 


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このストーリーに関するコメント

13/11/25 草愛やし美

W・アーム・スープレックスさん、拝読しました。

なんという不思議なお話、まるで、星の王子さまの世界のように思えて、でも、全く違う。SFでもないし、ファンタジーでもない。凄い、凄いね、この世界観って一気に読み終えました。

力作ですね、残り1%の真実に私も賭けることにします。面白かったです、魔女の箒のくだりが私は特にお気に入りです。映像にしたい作品ですね。楽しませていただきました、ありがとうございました。

13/11/25 W・アーム・スープレックス

草藍さん、こんばんは。コメントありがとうございます。

凄いといっていただいて、本当にうれしいです。いつものようにあまり、深く考えずに書いていって、書き終わったらこんな物語ができていたというのが正直なところです。草藍さんのコメントではじめて、ああ、そういう作品だったのかと教えられました。
読んでくださって、本当にありがたいです。私もまた、残り1パーセントの真実を追い求め続けたいと思っています。

14/03/12 リードマン

拝読しました!
ディズニー映画も真っ青の名作だと思います!

14/03/12 W・アーム・スープレックス

リードマンさん、コメントありがとうございます。

モノガタリの後半は、ブラックホールの影響か、それとも作者の力不足からか、くんずほぐれつの文体になってしまいました。最後まで読んでいたたぎ、感謝します。

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