山中さん

性別 男性
将来の夢
座右の銘

投稿済みの作品

1

幸福

13/11/15 コンテスト(テーマ):第四十三回 時空モノガタリ文学賞【 スイーツ 】 コメント:2件 山中 閲覧数:1105

この作品を評価する

 わたし達の過ごした時間を思い出してみる。忘れかけた記憶を探すには集中力が必要だ。それはあなたとの関係が希薄なものだったということではないのよ。そうではなくて、何か大きなものに支配されてしまったということ。
 マイルス・デイビスを聴き終えてからペール・ギュントの「朝」を耳にしたときのような、劇団四季を見た後でブロードウェイを鑑賞したような、そういったとても印象深いものに塗りつぶされてしまった感じ。何のことだかあなたにはわからないでしょうね。まあいいわ。
 ところで憶えてますか?自然の丘に建てられた動物園へ行ったときのこと。あなたが連れていってくれたのよ。自家用車で園内を見て回れるところ。わたしは動物に詳しかったから、車の中であなたに実況してあげたわね。そこでわたし達の車に角の生えた動物がやってきて(あなたはシカだって言ってたけど、本当はエランドというウシ科の動物なのよ)、そこであなたは窓を開けてクッキーを放り投げた。最初はわたしも楽しんでたけど、気がつくと車の周りにはたくさんの動物が集まってきた。車を発進させることもできずに、あなたはただパニックになりながら怯えてたけど、わたしは嬉しくて何枚も写真を撮ったわ。その中にあなたが写った写真があります。普段は冷静なあなたがパニックにおちいった貴重な一枚。新しい一面を見ることができた喜びと、取り乱した表情がおかしくて何度もよく眺めていたわ(どこかへ無くしてしまったけど)。

 あなたとの出会いは何だったかしら。そう、映画館よ。ヴィンセント・ギャロとクリスティーナ・リッチが出演してた映画だった。わたしは当時、パリスのようなセレブに憧れてて、カッコイイ女の子を演じてた。あの日も気取った感じで足を組みながら、アイスコーヒーを飲んだりして。だけど映画に夢中になっていたわたしは、隣の人のアイスコーヒーを飲んでいることにしばらく気がつかなかったのよね。それがあなた。そのことに気がついたとき、わたしは思わず立ち上がり必死に謝ってたけど、後ろの座席からはブーイングの嵐だった。出会いは最悪だったけど、わたしは等身大の自分というものを学んだわ。

 そういえば、あなたはいつも高価な時計やアクセサリーを身につけていたわね。気味の悪い彫刻をたくさん部屋に置いてたり、あの車、ええと何ていったかしら、そうBMWを何台も乗り回したりね。売れない小説家だったのに(結局お金のことについては恐くて何も聞けなかったわ)。
 あなたは記念日でもないのに色々な物をプレゼントしてくれた。バックやコート、ソファーにカーペット。そのどれもがピンク色だった。女の子は皆ピンクが好きなわけじゃないのよ。でもあなたに買って貰ったリボンのついたサンダル。あれは今でも履いています。それにわたしをよく海外へ連れていってくれたこともあった。
 モナコを訪れたときのこと。わたし達の泊まったあのホテル、ウィンストン・チャーチルも滞在した一流ホテルなのよ。知らなかったでしょ?英国の歴史ある装飾に彩られた外観やラウンジ。すべてが完璧だったけど、何よりも衝撃的だったのはあの料理。
 アスパラガスのポタージュにズッキーニをグラチネしたミルフィーユ仕立ての前菜、舌平目とスクスクのヴァプールに牛テールの赤ワイン煮込み。その味わいはどれも現実を失いそうになったわ。だけどね、何よりも印象的だったのはデザートよ。リキュールグラスに沈んだ赤ワインとフランボワーズのジュレにバニラアイスとイチゴが添えられていた一品。豊潤なバニラの香りにイチゴの繊細な甘酸っぱさが絡み合い、グラスの底から現れた赤ワインのジュレがすべての基準を満たしてくれた。アイスがゆっくりととけていくたびに、頭の中までとかされそうで不安になったわ。それは印象派によって映し出された風景画や、クリムトの描いた女性達のように幸福そのものだった。

 あの日以来、あなたとの思い出が雲に隠れた太陽のように輝きを失ってしまった。特別な出来事は思い出すことができるけど、普段わたし達がどんなふうに接してきたか、またどのように過ごしてきたのか、そういった日常的な部分が切り離されてしまった。あなたのことを思い出そうとすると、あのとき食べたデザートの味や香りが必然的によみがえる。
 それからわたし達はさよならを告げることなく別れてしまったけど、それはこれまで起きた多くの別れのひとつに過ぎないわ。笑ったり悲しんだり不機嫌になったり、そういった感情の欠片は今でも感じることができる。ただ、わたしにはそれを出来事として記憶に留めておくことはできないの。だけどこれだけは確かだと思えることがある。あのときモナコで出会ったホテルと洗練された料理。そしてデザートから導かれた甘美なひとときと最大の幸福。それだけは永遠に忘れることはないわ。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

14/03/10 リードマン

拝読しました!
永遠って、何処にでもあるもの、なんですよねぇ

14/07/13 山中

その通りでございます。だけどいつまでも続く永遠なんてどこにも存在しないんですよね…

ログイン