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山中さん

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贈り物

13/09/05 コンテスト(テーマ):第三十九回 時空モノガタリ文学賞【 待つ人 】 コメント:2件 山中 閲覧数:1746

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 彼は静かな海を泳いでやってきた。黄金色の体毛に海水を湿らせながら、力のない声で「フォン」と吠える、悲しい姿のレトリバー。
 首輪にはかすれて読めなくなった文字があり、それが彼の名前なのだろうと思った。だからわたしは、本当の名前がわかるまでフォンフォンと呼ぶことにした。


 誰もいない夕暮れの海岸。響き渡る波の音が、取り残された観客に終わりのない旋律を聴かせてくれる。わたし達は耳を澄ませながらいつも海をながめている。
 日が沈み、藍色の夜空へと変わり始めるまで、フォンフォンはその場を動こうとはしない。
 フォンフォンはとても臆病な犬だ。わたし以外の人間には寄り付こうとせず、心配そうに視線を反らす。わたしが今こうして一緒にいられるのは、出会ってから数ヶ月も経ってからのこと。砂浜に佇む彼の傍にそっと腰かけるだけの日々が続いたものだ。いつしか、わたし達は行動を共にするようになった。


 ある日、砂浜にワインボトルの空き瓶が流れ着いているのを見つけた。フォンフォンはそれをくわえてわたしの元へとやってきた。中には手紙が入っていた。
 「もうすぐ会いにいきます」手紙に記された、たったそれだけの文章。その手紙が誰に宛てて書かれたものなのかはわからなかったが、わたしの気持ちは高揚した。心が躍るというのはこういうことなのだと思う。日常に現れたふたつの贈り物は、忘れかけていた喜びを思い出させてくれた。
 わたしには友達と呼べる人間がいない。だからその手紙はわたしに書かれたものではないはずだが、そんなことはどうでもよかった。
 誰かを待つっていうのは素敵なことなんだと思う。誰かが誰かに会いにいく、わたしはそれを待っているだけでいい。


 この島には何人ものツーリストが訪れる。
心身の疲れを癒しにやってくる都会人、思い出を繰り返す詩人、心をなくしたセラピスト、ライフルの引き金を引けなくなった海兵隊、彼らは決まって、砂浜に腰を下ろしているわたし達に声をかけてくる。
 人を待っているんです、そういってわたしが返事をすると、誰もが黙ってうなずいた。その言葉は自分自身への喜びと確認を得るためでもあった。

 わたしは海をながめながら、奥底に眠る感情を表したかのような潮の流れに意識を置いて、この手紙がどこからやってきたのかを想像する。それはとても長い間、わたしに物語の断片を注ぎ込む。物語はどこまでも続く雲のように果てしなく続いていく。
 姿の見えない差出人を想像しながら、ふとフォンフォンの真剣な眼差しに気が付いた。そこでわたしの中でひとつの線がつながった。フォンフォンは主人の帰りを待っているのだ。
 「もうすぐ会いにいきます」その言葉は同時に、わたしにとってフォンフォンとの別れを示唆するものでもあった。

 フォンフォンとの別れを想像して、わたしは胸が痛むのがわかった。わたしは時折悲しみを紛らわすため、ひとり月明かりに照らされた砂浜で『フライ・トゥ・ザ・ムーン』を口ずさむ。
 歌声に合わせ、夜光虫とともに押し寄せる波が、暗闇とのコントラストを浮き立たせる。わたしはひとりになることを恐れているのだろうか。やがて訪れるであろう現実からは、焦りと期待が込み上げてくる。それでもわたしは待とうと思う。フォンフォンと一緒に、そのときが来るのを待ち続けるだろう。


 今日もまた、夕暮れの海岸でわたし達は海をながめる。
 海岸を走り回る子供達や、遠くからやってくるカモメの鳴き声。彼方まで続く足跡を、砂浜と一緒に波が削り取っていく。
 もう帰ろうか、わたしがそういうとフォンフォンは耳をはためかせ、砂浜に頭を落ち着かせる。それは彼からの「もう少し」というメッセージだ。

 ふと、視界の隅に人の姿が映り込んだ。その姿はまっすぐこっちへと向かってくる。
その瞬間、わたしの中に掻き乱された感情が反発し合い、自然とフォンフォンの身体に手を添えた。小さな不安がそれをつなぎとめておこうとするかのように。
 すると突然フォンフォンは立ち上がり、その姿の元へと駆け出した。声をかける間もなく走り去る姿を見送りながら、不思議と不安はどこかへと消えていた。それはきっと、フォンフォンの幸せを願うことができたからだ。わたしはうれしかった。その想いは、友人と呼べる者に対してのひそかな願いなのだから。
 身体についた砂を振り払い、わたしはゆっくりと立ち上がる。そして再開を果たした友人に心の中で別れを告げた。

 夕陽に照らし出された海岸に、わたしを取り巻くすべてのものが橙色へと染まっていく。大きく伸びたふたつの影が、わたしの元へと届こうとしていた。


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このストーリーに関するコメント

13/09/06 そらの珊瑚

オレンジさん、拝読しました。

フォンフォンが待っている人が来たら、お別れで、それでもフォンフォンの幸せを願って一緒に待ってあげるなんて切ないですね。
けれど最後の一行で新たな出会いの予感を感じ、良かったなあと思います。
もしかしたら島を一緒に出ていって、さみしい人ではなくなるのでしょうか?詩的な表現がちりばめられていて、美しい物余韻が残りました。

13/09/07 山中

そらの珊瑚さん、コメントありがとうございました。
待つということはどこか切ないイメージがあったので、それをそのまま表現してみました。
意図したことを感じとってもらえてよかったです。
その後の続きは、いろいろと期待を込めて想像していただけるとうれしいです。

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