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鮎風 遊さん

この世で最も面白い物語を見つけ出したい。 そのために、ひとり脳内で化学反応を起こし、投稿させてもらってます。 テーマに沿った個別物語の他に、いくつかのシリーズものをコツコツと書き続けさせてもらってます。 その主なシリーズものを紹介させてもらいます。  ☆❤☆❤☆ 新シリーズ 『ツイスミ不動産』 __ 2017.07.16よりスタートさせてもらいました。 カサリンとクワガタ野郎があなたが求める終の棲家を紹介いたします。  ☆❤☆❤☆ 『刑事 : 百目鬼 学(どうめき がく)』 __ 2017.05.21 ただ今、27話 __ 1話完結の2000文字推理小説です。この少ない文字数の中で、百目鬼刑事と部下の芹凛(せりりん)がいかに事件を解決していくか、その醍醐味を味わって頂ければ、光栄です。 これからも引き続き難しい事件に挑戦して参りますので、よろしくお願いします。  ☆❤☆❤☆ 『漢字一文字の旅』 __2017.04.04 ただ今、連載41__ 漢字にまつわるエッセイです。  ☆❤☆❤☆  『歴詩』 __歴史上の人物になりかわって、その波瀾万丈の生き様の思いを詩に綴らせてもらってます。 本作品については、フォト音(on)小説という形で、you tubeにもUPさせてもらってます。 詳細はこちらHPです。  ☆❤☆❤☆  http://ayukazeyuu.net/index.html  ☆❤☆❤☆                         よろしくお願いします。              

性別 男性
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女スパイ・村山たか女 (後編)

13/08/20 コンテスト(テーマ):第十五回 【 自由投稿スペース 】 コメント:4件 鮎風 遊 閲覧数:3884

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──激しくも生き、されど終焉は穏やかに── (後編)

 高見沢は、自分勝手な主観で作成した年表、それを見ながら妄想に耽っている。
「1842年か、今から約百七、八十年前に、村山たか女、長野主膳、井伊直弼のそれぞれが異なった道を歩いてきた。そして女一人三十三歳、男二人二十七歳が赤い糸を手繰り寄せるように巡り合った。ホント不思議な縁、何か運命的なものを感じるよなあ。人の出逢いって案外こういうものなのかもなあ」
 高見沢は一人感慨深く呟く。そして飽きずに、さらに妄想に落ち込んで行く。

 時は1843年(天保14年)、村山たか女は三十四歳。めくるめく直弼との愛を育んで、もう四年が過ぎた。
 たか女は一方長野に師事し、和歌を学んでいた。そんなたか女、彦根の町ではセクシ−・ウオマンと噂になったりもし、一番輝いていた時期でもあった。  
 たか女は年下の直弼・二十八歳の寵愛を受け、幸せな日々を送っていた。そしてこんな日々が永遠に続くことを望んでいた。

 しかし、それはたか女の幻だった。
 直弼はすでに正妻を持つ身。村山たか女の蛇のような女のしつこさが鼻についてきていた。
 こんなたか女との愛の営み、それにそろそろ終止符を打つべきかと思い出している。そして、こんな心中を友人の長野に漏らすこともあった。
 しかし、直弼は複雑な心境の中で、長野主膳に業務命令を下す。現代風に言えば、転勤。
 長野はこれを受け、妻の多岐と共に上洛する。
 多分直弼は、長野がたか女に恋をしていることを知っていたのだろう。そうならばいっそ譲ってしまえば良いものを、それも男心に未練が残る。
 複雑に揺れる思いの中で、己の立場として、この夫婦のことを思い、まずは長野をたか女から遠ざけることとした。
 そんな歪んだ男の友情、それがそこにあったのかも知れない。

 1844年(弘化元年)、たか女は三十五歳。
 直弼からたか女への愛の絶頂は過ぎ、直弼の心が日に日に冷めて行くのが感じられる。たか女は寂しい。
 一方長野主善・二十九歳は、直弼からたか女の扱いについて相談を受けていた。
 たか女の寂しい気持ちが愛しく感じられる。またその悔しさもわかる。
 毎年五月三日になれば、琵琶湖畔の筑馬神社で、筑馬祭(鍋かぶり祭)が催される。長野はたか女の気晴らしにならないかと思い、誘った。
 そしてその夜、男と女の成り行きなのか、たか女は長野に抱かれてしまう。
 それはたか女にとって、長野主膳を直弼の愛の肩代りにしたいだけだったのかも知れない。そして長野にとっても、たか女の気持ちを思い、単に直弼の代役を勤めただけのことだったのかも知れない。
 しかし、二人は燃え上がった。
 五月のまだ肌寒い夜に、二人は無言のまま身体を重ねる。
 たか女は長野の若くて熱い体温にとろけ、その違った温もりをしつこく貪る。そして長野はたか女の冷えた肌に吸い付けられ、その心地よさに酔い、猛る身体を癒した。
 二人は一夜を掛けて、身も心も絡み合わせ尽くした。二人にとって、その夜は生涯忘れ得ぬ夜となってしまったのだ。

 高見沢はここまで妄想し、ふーと大きく溜息をついた。きっと軽くはない三人の心模様。それを考え、重く一人呟く。
「直弼は愛と打算の中で揺れ、結局男の打算を選んだ。それとは反対に、友人の長野は、友の愛人・たか女を寝取ってしまった。それは長野が官能の中だけで生きる国学者だったからなのか?」
 高見沢は縁側に座り、ぼーと庭の景色を見ながら思考を巡らせている。
「そして村山たか女、直弼の代役長野に抱かれなければ、もう生きて行けなくなってしまっていた。多分、女の幸せの絶頂から落ちて行く寂しさを感じていたのかも知れないなあ」
 遠くから春を告げる鳥の鳴き声が聞こえる。それに囁き返すように、高見沢は一人声にする。
「う−ん、そういう時の村山たか女が一番綺麗だったのだろうなあ。やっぱり一度でいいから、たか女に逢ってみたいよ」
 その後、再び自分が作成した年表へと目を落とす。

 時は流れた。
 1846年(弘化3年)、井伊直弼は三十一歳。その二月二日の早春に、公務駐在で初めて江戸へと旅立った。
 長野主膳と村山たか女が、その見送りで大垣まで付いてきた。
 直弼は十四男とは言え、公務が確実に増えてきている。そのせいか、たか女をどうしたものかと、その扱いに困っていた。
 そして直弼は、大垣の宿で長野に相談を持ちかける。
「たか女は絶対に別れないと言う。蛇のようなしつこさで困ったものだ。どうしたものかなあ」
 長野はたか女とのめくるめく一夜、その隠逸な出来事のことは隠し、さらっと答える。
「たか女の大蛇のような執念、きっとどこかで役に立つ時がきますよ。将来、我々に敵対する者たちのために使ったら良いと思います。──私にお任せ下さい」
 これを聞いた直弼は、こんな友人の助言に感謝する。そして直弼は、長野に一献を傾けながら申し付ける。
「わかった、長野。そちにたか女のことを全部任せた、頼むぞ」
 翌朝、直弼は宿を後にし、江戸へと出立した。そしてその時に一句の歌を詠む。
『ついに又 逢わんみの路の 別れとて 駒も涙も すすみ行くなり』
 そして直弼は見送りの人たちの中に、たか女が涙を零し、見送ってくれているのを見る。
「たか女、これが……最後ぞ」
 直弼はそっと最後の目配せをする。

 直弼が江戸へと出立する時、たか女は三十七歳になっていた。その美貌に、少し陰りが見えてきている。しかし、怪しさだけはより盛んとなり、男をクラクラと悩殺させる。そんなたか女は直弼がまだ好きだった。 
 しかし、最近とみに情(つれ)なく冷たい。もうかっての直弼はたか女の前にはいない。
 されども、こんな寂しさを、あの長野との狂った一夜以降、いつも長野がそばに居て優しく包み込んでくれる。
 これから直弼は遠く離れた江戸勤務。たか女はどんどんと長野主善へと心が傾いて行ったのだ。

 1850年(嘉永3年)、直弼・三十五歳。この時に事態が動いた。
 十二代藩主の兄・直亮が急死した。
 突然のことではあったが、井伊直弼は十三代藩主となった。さらに公務は増え、公人としてより多忙な日々が始まった。当然、たか女にかまっている暇などはどこにもない。
 そして1851年(嘉永4年)、それは直弼が三十六歳の時だった。江戸より藩主として、彦根に戻る。
 一方長野主膳の方は、妻の多岐(四十歳)が彦根の自宅で病死した。多岐は、長野がたか女と男女の仲であり、夢中になっていることを知っていた。その心の辛さと無念さを、長野にぶつけるように、その死の間際に詠った。
『迷ひ来し 浮世の闇を はなれてぞ 心の月の ひかりみがかん』

 長野はこの時江戸にいた。
 妻の死に目には会えなかった。そして、妻との死別の歌を詠んだ。
『寝ては夢 さめてうつつに 見る影も ありしにかはる 床のうへかな』
 そうは詠ってみたものの、その時すでに、長野の心はたか女の虜になっていた。

 1852年(嘉永5年)、三十七歳の長野主膳は、彦根藩の藩校国学方として二十人の扶持に出世する。そして、より直弼の参謀としての地位を固めて行く。
 忙しくなった翌年の五月三日。長野はたか女を連れて、再び筑馬祭を見に行く。
 その時、たか女は四十四歳。その夜、たか女は長野に抱かれる。
 あの激しい一夜を共にしたのは、たか女が三十五歳の時のことだった。あれからもうすでに九年の歳月が流れてしまった。しかし、祭りのざわめきの余韻の中で、二人は狂おしいほどの行為に溺れる。
 たか女は、その美貌に陰りが生じてきていることを感じていた。しかしその反面、女の性はますます貪欲なものに……。
 幾度も突き上げてくる絶頂の中で、もう絶対に長野を手放したくないし、手放せない。そう確信した。
 そして、長野の愛人として、これからずっと生きて行くことを決心する。
 だが長野は六つ年下の男盛り。いつかたか女を捨てる時がくるかも知れない。心配だ。
 そのためか、村山たか女は──女の決意をする。
「この愛をつなぎ止めて行くためには、長野のためにどんなことでもしよう」と。

 高見沢はここまで妄想を膨らませ、ふーと重い溜息しか出てこない。
「たか女の元彼の直弼、彼は江戸で全国区のメジャ−な男へとどんどん昇進を遂げて行った。たか女はそれを見ながら、毎日何を思い、そしてどう暮らしていたのだろうか?」
 高見沢はたか女の心の内を探ってみる。
「しかし、たか女は直弼との愛の限界を知り、もうそれは実らないと確信した。その時から直弼とのことは、どうでも良くなったのではなかろうか。その代わりに長野との新しい恋を見付け、長野の女になって生きて行くことを決心した」
 高見沢は一人勝手に納得し、コクリと頷く。
「四十半ばのたか女、そこには女の焦りもあっただろうなあ。年下の長野、その愛をどうしても引き止めておきたい、そう思った時、もう何でもあり、どんなことでもして行こうと女の決意をしたのだろう。そしてその果てに──、スパイになってでも、長野の愛を繋ぎ止めようとしたのだったのかも知れないなあ」 
 高見沢は「うーん、なるほど」と一人頷き、その女の一途さに震えながら唸り声を上げる。
「村山たか女の蛇のような生き様、これぞ凄まじい!」
 しかし、これだけではまだ物足りない。高見沢はもっと深く、たか女の激しい心模様を知りたいと思うのだった。

 時は1858年(安政5年)、井伊直弼・四十三歳。その四月二十三日、直弼は幕府権力者の大老に任じられた。
 大老は従来飾りものであったが、直弼は毎日まじめに登城した。そして、老中会議には必ず出席するはで、少しやり過ぎとの批判も出ていた。
 当時、抱える重要問題は二つ。
 一つは、将軍の後継問題。直弼は紀州の慶福(後の家茂)にすることを推していた。
 二つ目は、日米修好通商条約問題。これを締結して開国すること。しかし、水戸藩が朝廷と組んで、幕府に徹底的な反逆を開始させた。
 抵抗勢力は水戸藩主徳川斉昭(なりあき)の一橋派。直弼は、これに対抗するために長野主膳を側近に抜擢する。
 そして村山たか女・四十九歳。長野主膳の女となっていたたか女は、長野の意向に従い、
京都での反対勢力尊壌派の動向を、死にもの狂いでスパイ活動をし始める。そして集めた情報を長野主膳に渡し、井伊直弼に送った。 
 女スパイ‘村山たか女’はとにかく長野のために危険を冒し、精一杯活動した。

 1859年(安政6年)。大老・井伊直弼、その参謀・長野主膳、そして女スパイの村山たか女、直弼は三人の連携で尊壌派弾圧の行使を徹底的に開始する。
 これが世に言う安政の大獄。これを推し進めたのだ。
 九月七日、抵抗勢力の首謀者・越前小浜の梅田雲浜(うんぴん)を捕まえる。他に約二百人を検挙。その中には吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎等が含まれていた。そして八名を死罪に処した。
 その結果、井伊直弼は強引にも家茂を将軍に据えることができた。また無勅許で、その通商条約の締結を成立させたのだ。
 直弼の仕事に油が乗ってきた。世の中ために身を挺して、大仕事を推し進める。まさに男冥利に尽きる。
 それはあの暗い埋木舎で、『世の中を よそに見つつ 埋もれ木の 埋もれておらむ 心なき身は』と詠んだ日々。その鬱々と暮らした青年期への男の反動だったのかも知れない。

 高見沢は安政の大獄のことを思い、今度は「うっうー」と唸らざるを得なかった。
「安政の大獄か、不幸な出来事だったよなあ。しかし、直弼はそうせざるを得なかったのだろう。大きな幕末の渦の中で、男二人とたか女、女一人が揺れ動きながら突き進んだ」
 高見沢は「うんうん」と一人頷き、さらに思う。
「男は動乱が好き、直弼と長野、この男二人は多分心地良いエキサイティングを感じていたのかも知れないなあ。そしてたか女は、好きな男、長野のために、スパイとして身を張った。だけどその反面、たか女はもう来るところまで来てしまった、将来もっと大変なことがきっと起こるだろうと、女の勘で感じていたのではなかろうか?」

 時は1860年(安政7年/万延元年)。
 その三月三日の桃の節句。村山たか女の女の勘が当たってしまったのだ。
 井伊直弼・四十五歳は、桜田門外で水戸藩の十数人の刺客に襲われた。そして暗殺されてしまった。いわゆる桜田門外の変が起こった。
 長野主膳はこの桜田門外の変を知り、覚悟を決めた。
 それ以降、直弼の遺志を継いだが、尊壌派の天誅の名での佐幕派要人の暗殺が増えた。そして危険を感じ、京都から彦根へと身を引いた。
 しかし、その八月八日、家老・岡本半介により投獄されてしまう。
 そして1861年(文久元年)、二月七日。長野主膳・四十六歳。主君を惑わせたと、彦根で斬刑に処せられた。
 その辞世の句がある。
『飛鳥川 昨日の淵は 今日の瀬と 変わる習を 我身にぞ見る』

 桜田門外の変が起こり、村山たか女・五十一歳は身を隠した。
 そして、その変から二年の歳月が流れた。もうこの世には直弼も長野もいない。
 1862年(文久2年)、たか女・五十三歳。息子・帯刀(たくわき)と洛西一貫町の隠れ家に潜み、暮らしていた。それが長州・土佐激徒に見つかり、捕まえられてしまう。
 そしてその時、たか女にとって最大の不幸が起こった。息子・帯刀が、たか女の目の前で、一刀両断にばっさりと斬られてしまう。
 その後、村山たか女は引っ張られ、三条河原で‘生き晒しの刑’。三日三晩晒されてしまう。
 しかし、これが──本来なら死罪。女の身により刑が減ぜられ、命拾いをすることになった。
 制令にはこう残っている。
『この女、長野主膳妾にして、主膳奸計を助けたる者、女子の身なれば死罪一等を減ず』

 村山たか女は女スパイらしく毅然と‘生き晒しの刑’に耐えた。そして三日目に助けられたのだ。
 その後、金福寺(こんぷくじ)に入り、妙寿(みょうじゅ)と名乗った。そして、ここで十四年の歳月を過ごした。
 1876年(明治9年)、村山たか女・六十七歳。
 その激しくも生きた波瀾万丈な生涯。されど終焉は穏やかに、女の一生を終えたのだった。
 金福寺にて死亡。墓は圓光寺(えんこうじ)にある。法名は「清光素省禅尼」と言う。

 高見沢は‘村山たか女’の年表を一通り読み終えて、その妄想の名残の中でじっと目を閉じる。
「ほんと、激しい恋であったよなあ。たか女が愛を絡めた二人の男、その直弼も長野ももうこの世にはいない。そして挙げ句の果てに、‘生き晒しの刑’か、たか女は死ぬ覚悟で受刑したのだろうなあ」  
 高見沢は目を見開き、さらに思考を巡らす。
「しかし幸運にも、たか女は助けられた。そしてこの金福寺で、妙寿と名乗って十四年間の尼生活、世俗を離れての寺での生活、もう刺激も面白さもない」
 高見沢は頬をぽんと叩いてみる。
「しかし、それでも再び生への執着を持って生き長らえて行く。たか女にそれができたのは、きっと二人の男との激しい日々の一杯の想い出があったからだろうなあ」
 高見沢は自分勝手に納得し、一人頷く。

「もう一つ、たか女には、心の奥底に深く傷付いていることがあった。それは自分が愛する男と好き勝手に生きて行くために、息子帯刀がいることを世間に、そして直弼にも長野にも隠し通して生きてきた。そして桜田門外の変の後、息子・帯刀が母・たか女を匿(かくま)ってくれた。そんな優しさを持つ息子」
 高見沢は自分の思考が核心に入ってきたような気がする。
「しかし残忍にも、たか女の目の前で一刀両断で殺されてしまった。こんな息子へ、過去、母として何もしてやれなかった。そんな自分がしてきた行動を、悔いたことだろう」
 高見沢の思考は止まらない。
「母としてもっと生きるべきだったのに、あまりにも女として自由奔放に生き過ぎてしまった。その結果、息子という一番大事な者を犠牲にしてしまった。もう悔やんでも悔やみ切れない、そう思ったのと違うかなあ」
 高見沢はたか女の苦悩に思いを馳せる。

「しかし、それでもまだ生きたい。二人の男との壮絶な愛の名残と息子への懺悔で、残り十四年間、六十七歳まで一つ一つの絆を死守し、生涯を全うしてしまう」
 高見沢は勝手な推察ではあるが、たか女のしぶとさに感心せざるを得ない。
「う−ん、あの幕末の時代にね。──女スパイ・村山たか女──、やっぱり蛇のような執念を持つ女性だったのかもなあ」
 ここまで考えを巡らせた。そして高見沢はもう一度ふーと深くて重い溜息を吐かざるを得なかった。

 金福寺の庭にも、春はもうそこまで来ている。高見沢は縁側に座って、二月の僅かな日溜まりの中でボ−としている。
 多分、村山たか女も、こんな春を待つ日に、この縁側に座って、直弼と長野との燃える日々の想い出に浸っていたのかも知れない。
 金福寺に吹きくる風が梅の香を一杯運んでくる。そして、村山たか女の心は……穏やかに。
「さあて、これからどうするかなあ」
 高見沢はやっと気持ちを一区切りさせ、腰を上げた。
「村山たか女を追っかけて、ここまでやって来てしまったか、俺もバカだなあ。だけど、もうちょっと追っかけてみるか」
 こんな懲りない結論を出し、金福寺を後にした。
「ここまでオッカケしてきた愛すべき女スパイのたか女、その生き様に──ビ−ルで乾杯でもするか」

 高見沢は妄想の余韻の中で、ふらりと祇園へと出て行った。
 八坂神社へ通じる四条通りは、休日なのか人で溢れている。流行を追った若い女性たちの賑わいがある。高見沢はそんな中をぶらぶらと歩く。そしてふと感じる。
「おっとちょっと変だなあ、これ一体どういうことなんだろうか? どの女性を見ても、全部村山たか女に見えてくる。たか女、たか女とここ三ヶ月オッカケに没頭してきたからかなあ。俺の精神状態はちょっとヤバイ?」

 高見沢とすれ違って行く女性。そして追い越して行く女性。彼女たちはいろいろだ。
 街角で誰かを待っている女性。スマホ画面を人差し指でスリスリしながら歩いて行く女性。カッコ良く気取って足早に歩いて行く女性。いろんな女性がいる。
 そしてよく眺めてみると、若い女性の他に、中年の女性も老いた女性も一杯いる。
 しかし、奇妙なことに……、どの女性を見ても、それぞれの年代の‘村山たか女’がそこにいるのだ。

 高見沢は、不思議な感覚で、視界の中の女性一人一人を観察してみる。そして高見沢は、それがどういうことなのか、なんとなくわかってきた。
「あそこで微笑んでいる若い女性は、直弼の、少年の心を揺さぶった頃の侍女、たか女。あのキラキラと輝いて澄ましている女性は、鬱々とした直弼を射止めた頃のたか女かな。そして恋人にぶら下がるように歩いて行く女性は、長野主膳と狂おしく絶頂を貪った頃の、いかにも危険な色気があるたか女か」
 高見沢は辺りをさらに注意深く眺めてみる。
「それに疑い深そうに商品を見入っている中年の女性は──、女スパイとして暗躍していた頃のたか女。そして道路向こうで、遠くの空を懐かしむように見つめている老いた女性は──妙寿、たか女」

 高見沢は何か新しい発見をしたかのようにキョロキョロとしている。
「そうなのか、その時々の村山たか女、そこにもあそこにもいる。世の中にはたか女ばっかり、これはどういうことなのだろうか? えっ、ということは……」
 高見沢は閃いた。
「こんな重大なことを、俺は今まで気が付かなかったのか」
 高見沢はまるで大きな謎が解けたように、独り言を呟く。
「そう、世の中の女性は、みんな──村山たか女──だったのだ! いつも愛を絡ませ、幸せになったり不幸になったり、中には生き晒しの刑にあったりで大変だけど……、激しくも生きる女性たち、村山たか女は初めから古今東西そこらじゅうに一杯いたのだ」
 高見沢の呟きが止まらない。
「それぞれの生き様を見てみると、お姉さんもお母さんもおばあちゃんも、みんな男に激しい愛を絡ませ生き、また生きてきた」
 高見沢はもう自分の思考に酔ってしまっているのだろうか。
「実る愛もあれば、実らぬ愛もある。泣いたり笑ったり、確かに苦労だけど……、どっちにしろ男は、いつも直弼や長野のように、あっという間に生涯を終えて行く」

 高見沢は少し自虐的、されど自信たっぷりに、さらに独り言を続ける。
「一方、女、村山たか女は波乱の中にあっても、しっかりと生に執着し、最後の最後まで生き抜く」
 高見沢はここに至り大きく息を吸った。そして、男の心の奥底から絞り出したかのような声で、吸い込んだ息とともに言葉を吐き出す。
「男性諸氏へ告ぐ! 貴男は井伊直弼タイプ、それとも長野主膳タイプ? どちらのタイプでも同じこと。貴男のそばにも愛する女性がいるだろう。その女性こそが貴男と共に粒々辛苦を重ね、波乱万丈に生きる村山たか女なのだ」

 高見沢は目をカッと見開く。そして今回のオッカケの結論付けを自分勝手にするのだった。
「男はタイミング良く、美しく花と散って行く。そして女は男と紡いだ愛の名残に抱擁されながら、まさに──激しくも生き、されど終焉は穏やかに──その生涯を終える。これを実現させてやるのが、貴男が愛する村山たか女への……愛であり、男の責務なのだ!」


                          おわり


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このストーリーに関するコメント

13/08/21 泡沫恋歌

鮎風さん、拝読しました。

男なしでは生きて行けない、村山たか女は業の深い女性です。
結局、多くの男性に愛されても、最後は独りぼっち、
なんか切ないですね。

13/08/24 草愛やし美

鮎風遊さん、拝読しました。

高見沢さんって、歴男だったんですね。村山たか女、スパイとして愛に生きた人、凄まじい生き様ですね。

えっ! 現代も、女スパイばかりの世界なんですか。それほど情熱的な女性、今は減っている気がします。汗 男の人からは、そう見えるのかもですね。とぼけ顔(´ェ`)ボー.

13/11/30 鮎風 遊

泡沫恋歌さん

そうですね、切ないですね。
しかし、強く生き抜いた女性です。

一度会ってみたいものです。

13/11/30 鮎風 遊

草藍さん

歴男です。
それも女性の生き様が好みです。

これからも新たな発見をしたいかなと。

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