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堀田実さん

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浅尾ジョゼファの空腹

13/08/04 コンテスト(テーマ):第三十六回 時空モノガタリ文学賞【 無口な人 】 コメント:1件 堀田実 閲覧数:1668

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 浅尾ジョゼファは普段から何も言うことがなかった。幼少期にブラジルから日本にやって来たものの平均よりも知恵遅れだった彼は結局30歳になっても日本語を上手くしゃべれるようにはならなかった。家ではいつもポルトガル語を話していたしいつか帰国を夢見ていた両親も大した問題だとは思っていなかった。
 日本では彼に友達ができたことはなかった。好奇心をもって彼に話しかけてくる人はいたが、簡単な日本語と相槌しか打てないことを知るとすぐに興味を失いどこかに行ってしまった。それでも彼は孤独を感じることはなかったが、自然と外に出ることは少なくなっていった。面白みもない義務教育にも終わりを告げると日のほとんどの時間をテレビゲームに費やすようになった。その合間だけは寂しさを紛らわすことができたし、永遠のように長い一日も暇をもてあますこともなく過ごせた。テレビゲームにも飽きるとあとは両親の帰宅を待つだけだった。
 33歳になったある日、すぐさま両親を失うはめになった。勤めていた大使館に火の手があがり煙につつまれて死んだ。テロかもしくは放火かと噂されたが真相はわからず終いだった。人生の不慮は突然にやってくる。誰も帰らなくなった家の番をしながらも数週間すると備蓄してあった食料は底をつき、家賃は支払われず滞納していった。はじめのうちは彼の身に起こった不幸に同情していた大家も、彼に働く能力がないとわかると態度を変え怒鳴り散らし、困窮した彼は宛てもなく家を追い出される羽目になった。
 かろうじて持ち出した毛布や衣類、調理器具、大家から貰った数日間分の食料を自転車の荷台に乗せたがバランスが悪く何度も転びそうになった。すぐ脇を行き交う車に何度もクラクションを鳴らされながらどこに行けばいいかもわからずさ迷った。しばらくして辿り着いた吉祥寺の駅のホテルに宿泊を頼み込んだがポルトガル語は通じず、そこがラブホテルであることも気づかなかった彼はセダンから降りてきた男女に白い目で疎まれるだけだった。
 行く当てもわからず途方に暮れた浅尾ジョゼファは都内を歩き回りできるだけ誰の人目もつかない橋梁を見つけ出し一夜を明かすことにした。孤独には慣れていたが知らない街の路上で眠ることには心細さがあった。寝そべったコンクリートの隣には名前も知らない粘性のある虫が這っていた。疲れていたためすぐに眠りについたが、目を覚ますとまだ3時間しか経過していなかった。血行が滞ったためか肩と腕部がじんじんと痛みしばらく動くことができなかった。落ち着きを取り戻してから再び眠りについたが、これからどうすればよいのかわからず不安でいっぱいだった。
 空腹に目が覚めると日は高く昇っていた。軽い頭痛と眩暈がして何が起こったのかわからなかったが、自分が今日本の見知らぬ地の路上で寝ているのだと知ると不思議な気分になった。かつて見たブラジルの景色、背の高いヤシの木、祖母のオレンジ色の服、無彩色の家並みがフラッシュバックのように沸き上がり自然と涙が溢れた。
 午後からは食料探しに性を出した。地に生えた雑草を食んでみたが苦さと排気ガス臭さのあまりすぐに吐き出した。ゴミ箱を見つけ手当たり次第漁ってはみたものの、すでに腐り始めたバナナの皮や蟻の這った空き缶しか見つからず苦労した。コンビニの近くを漁りかろうじて見つけた残飯を食べただけでその日の食事は終わってしまった。なぜこんなにも空腹が苦痛でならないのか不思議でならなかったが、数日もするとその状態にも慣れていった。次第に衣服は汗と垢と土を吸収して鼻をつく臭いに変わっていった。風呂にも入ることができず日中わずかに公園の蛇口で水浴びをするだけで済ませた。
 一ヶ月経つと眩暈と吐き気が恒常的に起こるようになった。70kgあった体重は60kg台前半まで減少し頬はやつれたように影を落とすようになった。彼の一日中歩き回ることで得られる報酬はわずかしかなく、いったいどうやったら腹いっぱい食べられるようになるのかわからなかった。それでも不意に沸き起こるように起こる幸福感、飢えているにも関わらずまるで胃と神経が離れてしまい手足の先の感覚もなくなりふわふわと宙に浮いているような状態が訪れると辛苦を忘れることができた。そんな時には体は一グラムもないほど軽く感じ、脚の力を込めればどこまでも走っていける気がした。なぜそんなことが起こるのか彼にはわからなかったが、目を瞑ると目の前に母がいた。
「マァイ」彼は呟いた。「俺は今ひとりでこの地上にいるけど、ママがこの地上に生み落としたから俺は今ここにいるけど、それでもいつかはこの土に帰るんだ。そうしたらママ、次はいったいどこに生み落とされるんだ?」


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このストーリーに関するコメント

13/08/10 堀田実

>凪沙薫さん
コメントありがとうございます。
この話の元ネタはJ・M・クッツェーの『マイケル・K』です。
一番好きな小説のひとつなので、前々から日本を舞台にした『マイケル・K』を書いてみたいなぁと思ってました。文体も真似てます(笑)
たぶん元ネタを読んでみたら胸の引っかかりの理由もわかると思います。
評価して頂けて、原作をある程度は表現できたのかなぁととても嬉しく思います。
ありがとうございます。

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