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そらの珊瑚さん

🌼初めての詩集【うず】を上梓しました。  (土曜美術出版販売・現代詩の新鋭シリーズ30) 🌼小説や詩、短歌などを創作しております。 🌼作品を置いています。よろしかったらお立ち寄りくださいませ。 「珊瑚の櫂」http://sanngo.exblog.jp/14233561/ 🌼ツイッター@sangosorano 時々つぶやきます。 🌼詩の季刊誌(年4回発行)「きらる」(太陽書房)に参加しています。私を含めて10人の詩人によるアンソロジー集です。アマゾンでお買い上げいただけます。      ✿御礼✿「馬」のオーナーコンテストにご参加いただきました皆様、ありがとうございました。

性別 女性
将来の夢 星座になること
座右の銘 珊瑚の夢は夜ひらく

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盤上の風

13/06/29 コンテスト(テーマ):第三十三回 時空モノガタリ文学賞【 迷う人 】 コメント:13件 そらの珊瑚 閲覧数:3250

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 故郷の春を想う時、それは『からっ風』と呼ばれる山々を越えてきた強い風が吹いていくる。あの風に背中を押されるように、俺は小学校に入学する前から近所の将棋センターに通った。
    ◇
 古い木造家屋の硝子戸に顔を寄せてじっと中の様子を見ていると、先生と呼ばれるそこを経営しているおじさんがやってきて、「坊や、また来たんか」と中へ入れてくれる。
 
 ダルマストーブの上にはシュンシュンと湯気を立てている薬缶。壁には大きな振り子時計。隅には茶色い座布団が積まれている。畳敷きの広い室内の所々に将棋の盤が置かれて、そのいくつかには客である男の人が向かい合って座っている。
 時折、先生がその横に座り何やら言って指南をする。二人がじっとみつめているその上には小さな玩具のような駒が並べてあり、かわりばんこにそれを動かしていくのだ。遊んでいるようでもあり、けれどその顔に浮かんでいるのは、もっと真剣な何かであることを子供心に感じ取っていた。
 
 何ヶ月か通い、見ているだけで、俺はすっかり将棋のルールを覚えてしまった。ある日、顔の見知りになった客の一人が、面白半分に
「坊や、対戦しようや」
 と言い出した。もちろんハンディキャップをつけてもらって。二十枚の駒のうち、おそらく十枚ほどを取り除いた相手と対戦した。
──いつか自分も将棋を指してみたい。
 心の中のうずうずしていた願いが実現し、どれほど嬉しかったことか。そして周りの大人の予想を反して五歳の子供が勝ってしまったのだ。初めての対戦で俺は勝負に勝つ悦びを知ってしまった。幸か不幸か。

「おまえ、すごいなあ。盤上に風が起きたぞ」
 いつもは客の前でもにこりともしない、ぶっちょう面の先生が、嬉しそうに笑って、俺の頭をくしゃくしゃに撫でた。先生の着流しの袖からは、煙草の匂いがした。
 俺は母子家庭で育ったので、父親を知らない。そんな俺が先生のことを父親のように慕うようになったのはそれからそう時間はかからなかった。もちろん将棋の師匠でもあった。
 それから小学校を卒業するまで将棋センターに行かなかったのは、インフルエンザに罹った時のわずか一週間だけだった。あとは正月であろうと盆であろうと通い続けた。先生にしてみれば、はた迷惑な話だったろう。正月くらいは休みたかったのではないだろうか。
 寝ても覚めても将棋三昧の日々。俺は柔らかな土だった。先生が巻いた将棋の種は一雨ごとに芽を出し、大きくなっていった。いつしか先生は俺との勝負にハンディキャップをつけなくなっていた。それまで二対戦に一度は勝てていた勝負に全く歯が立たない。俺は悔しくて泣いた。
「強くなるには負けることも大切だ。今日の涙を明日の笑顔にしろ」
 俺は思う存分先生の胸で泣いた。それから一年ほどして、先生に勝てるようになった。
「負けました」
 先生が自分の負けを認め、俺の前でこうべを垂れる時、一抹の寂しさと、それを上回る悦びがあった。
 小学五年生の時には、全国小学生大会で念願の優勝を手に入れた。ほどなくしてプロ棋士機関である『奨励会』に入学を許された。
 しかしそこからは挫折の連続であった。そこは地元では負け知らずの天才だともてはやされた俺の上をいくような超天才の集まりであったのだ。
 高校へは行かなかった。母はもちろん先生にも反対されたが、学歴を捨てることで退路を経ってしまいたかったのだ。
 プロ棋士になることだけを夢見てあっという間にあれから十年近く経ってしまった。奨励会に在籍できるのは二十六歳までという規定があって、それまでに四段が取れなければ、プロにはなれない。まさにこの対局が最後になる。そう思ったら、おのずと指が震える。
──今日の涙は、もはや明日の笑顔にはならない。
 
 弱気が心の迷いを連れてくる。最初の一手が決まらない。
 頭の中では何十手という先がコマ送りのように再現されていくが、そのどれもが自分の負けを暗示してしまう。
 まだ一手も打っていないというのに、冷や汗が浮かんできた。
 プロ棋士になれなければ、中学卒業しただけの、ただの人じゃないか。かつての強気の決断が、情けないことに今自分の首を絞めてくるようだ。

 その時だった。どこか窓が空いていたのだろうか。かすかに風を感じたのだった。それは俺の頬をなで、盤上の上でピタリと止まる。駒のひとつから懐かしい声が聴こえてきた。
──おまえ、すごいなあ。盤上に風が起きたぞ。

 俺は覚えたての将棋が嬉しくて、はしゃいでいるただの幼子になっていた。雑念が消えていく。
 
 カチリ。
 盤上に小気味良い一手が響いた。
 


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このストーリーに関するコメント

13/06/30 そらの珊瑚

誤りがありましたので、訂正します。

 プロ棋士機関である『奨励会』→プロ棋士を養成する機関『奨励会』

申し訳ありませんでした。

13/06/30 光石七

拝読しました。
主人公はこの対局に勝てそうですね。
「今日の涙を明日の笑顔にしろ」という師匠の言葉にグッときました。

13/06/30 草愛やし美

そらの珊瑚さん、拝読しました。
大阪の新大阪に行くと、ジャンジャン横丁というごちゃごちゃした飲食店などが並んだ細い道沿いに将棋クラブなどの会館があります。ガラス戸の向こうに、未来の坂田三吉がいるかもと思いながら通ったものです。
昔は、相当怖いイメージがあったので、あまり行けなかったんですが、今は新世界も観光地化が進み、全国からやってきた若者達で賑わっています。この下町の将棋を彷彿させる作品で楽しめました。
迷いが消え無になる、難しいことですが、勝利のための基本なのでしょうね。

13/06/30 クナリ

棋士への道は厳しいことで有名ですよね。
後半の主人公の境遇に、こちらも冷や汗が出る心地でした。
「中学卒業しただけの、ただの人」って響き、怖いですよ…。
奨励会を門前払いになった方々よりも、その道へ半ば踏み入れた方々の方が、多大な悩みや困難に直面しているのでしょうね。
この一戦の勝敗は気になるところですが、悔いなく指せればいいと思います。

13/06/30 鮎風 遊

盤上の風、いい言葉ですね。
後戻りできない人生、そこに雑念を払う風が。
きっと一山超えて、新たなレベルに入ったのでしょう。

13/07/01 泡沫恋歌

珊瑚さん、拝読しました。

かっこいいお話です。
「将棋」の世界をテーマに2000文字内で表現するなんて、凄いと感嘆しました。

勝負の世界は厳しいです。
ホンの少しの心の動揺に付け込まれて負けることもあるとか、
まさに真剣勝負、盤上に風が起きたということは風向きが変わったのか!?

これは秀作ですね。

13/07/02 そらの珊瑚

光石七さん、ありがとうございます。

そうですね、是非勝ってほしいです。
けれどそこはゴールではなくてやっとスタートなのです。そこからはもっと厳しいでしょう。

13/07/02 そらの珊瑚

草藍さん、ありがとうございます。

大阪に住んでいたとき、一度だけ行ったことがあります。独得の雰囲気でしたっけ。(特におじさんが)
勝ちたいという思いにとらわれすぎていると、無になるのは難しいのでは、と思います。大変な世界です。

13/07/02 そらの珊瑚

クナリさん、ありがとうございます。

奨励会でプロになれる人は五人にひとりの確率だとか。
なれなかったあとの人生を考えると、人ごとですが、心配になります。
もしかしたら主人公が出会った先生もそんな一人だったのかもしれません。

13/07/02 そらの珊瑚

鮎風 遊さん ありがとうございます。

もしかしたら主人公を育ててくれた故郷の風が、見方してくれたんだと思います。一山越えたら、さらに大きな山があることでしょう。厳しい世界です。

13/07/02 そらの珊瑚

恋歌さん、ありがとうございます。

小学生の頃、夏休みになると一ヶ月ほど遊びに行っていた祖父母の家の近所に将棋さしが集まる家があって、そこに入り浸っているうち、将棋を覚えました。
勝負の世界で生きていける人は、きっと勝負の神様に選ばれた特別な才能を持った人という気がします。

13/07/22 yoshiki

遅ればせながら読ませていただきました。

盤上の風というタイトルがまずいいです。勝負の道は勝つか負けるかの厳しい世界。自分の好きな格闘技の世界も一緒でそれだけに胸のときめくものがありますね。長編にもなりえる魅力的なお話だと思います。主人公の俺がどうか勝てますように(*^_^*)

13/07/26 ハズキ

おめでとうございます。

すごくすがすがしい勝負だと思います。
盤上に風。。この子は勝つかな。
でも
勝っても負けても、本当に「すがすがしい」
そういうものを物語の続きに感じます。

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