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鮎風 遊さん

この世で最も面白い物語を見つけ出したい。 そのために、ひとり脳内で化学反応を起こし、投稿させてもらってます。 テーマに沿った個別物語の他に、いくつかのシリーズものをコツコツと書き続けさせてもらってます。 その主なシリーズものを紹介させてもらいます。  ☆❤☆❤☆ 新シリーズ 『ツイスミ不動産』 __ 2017.07.16よりスタートさせてもらいました。 カサリンとクワガタ野郎があなたが求める終の棲家を紹介いたします。  ☆❤☆❤☆ 『刑事 : 百目鬼 学(どうめき がく)』 __ 2017.05.21 ただ今、27話 __ 1話完結の2000文字推理小説です。この少ない文字数の中で、百目鬼刑事と部下の芹凛(せりりん)がいかに事件を解決していくか、その醍醐味を味わって頂ければ、光栄です。 これからも引き続き難しい事件に挑戦して参りますので、よろしくお願いします。  ☆❤☆❤☆ 『漢字一文字の旅』 __2017.04.04 ただ今、連載41__ 漢字にまつわるエッセイです。  ☆❤☆❤☆  『歴詩』 __歴史上の人物になりかわって、その波瀾万丈の生き様の思いを詩に綴らせてもらってます。 本作品については、フォト音(on)小説という形で、you tubeにもUPさせてもらってます。 詳細はこちらHPです。  ☆❤☆❤☆  http://ayukazeyuu.net/index.html  ☆❤☆❤☆                         よろしくお願いします。              

性別 男性
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淡墨桜よ、朱となり舞い上がれ!

13/06/26 コンテスト(テーマ): 第十一回 【 自由投稿スペース 】  コメント:10件 鮎風 遊 閲覧数:1877

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 湖が遠くに望める高台に、一本の大きな桜の木がある。
 その桜は淡墨桜(うすずみざくら)と呼ばれている。
 蕾の時はピンク色。満開となれば、仄(ほの)かな朱を残すが、白の強さが際立ってくる。 
 そして花びらを、徐々に淡い墨色へと変化させ散って行く。
 そんな淡墨桜、毎年この時節ともなれば桜花爛漫と花を咲かせ、人たちを魅了してきた。そして、今年も咲き誇り、目もあやなの白の絢爛(けんらん)さで、その姿を目にした者たちを圧倒させている。
 しかし、この桜もあと一週間もすれば、一つ一つの花びらを白から淡墨色(うすずみいろ)へと変化させて行くことだろう。 
 それはまるで、今見る煌(きら)びやかな世界とは違うグレーな世界へと、問答無用で人たちを誘(いざな)うかのようにである。そしてその幕引きは、すべてが淡墨の花吹雪となり、一炊(いっすい)の夢かのように儚くも舞い散って行くのだ。

 花木大輔(はなきだいすけ)は、今を盛りに咲き誇る淡墨桜を目の前にして、一人っきりでベンチに座っている。そして、その艶やかさに見惚れながらも、やがてやって来るであろう淡墨の散り様を漠然と思い浮かべている。
 そのせいか心が晴れない。なぜなら、その最後の色が気に食わないのだ。
「あ〜あ……、なぜ?」
 大輔がぽつりと呟く。そして春爛漫の輝きの中をそよ吹く風を感じながら、大きく息を吸い込んだ。
「今年もまた、淡墨となって散って行くのだろうなあ。紗智子(さちこ)、ゴメンなさい」
 大輔はふーと息を吐くと同時に、そんな言葉を口にした。そして潤む目から、涙が一筋頬を伝い落ちる。
 そんな精気の抜けてしまった大輔の肩に、一片(ひとひら)の花びらがひらひらと舞い落ちてくる。
 大輔はそれをそっと摘み取る。そして、老いた手の平の中に、それを大事そうに包み込んだ。
 そう、あれは四〇年前のことだった。大輔は京都での学生時代に終止符を打とうとしていた。
 すなわち大学を卒業し、製造会社への入社が決まっていた。
 その初出勤を控えた三月三〇日のことだった。大輔は二歳年下の高瀬紗智子と、この淡墨桜を見に来たのだ。

 振り返ってみれば、大輔の学生生活、それは学生運動に明け暮れる日々だった。 
 しかし、一九六九年一月一九日に東大安田講堂が陥落した。
 あれほどまでに若い血を滾(たぎ)らした闘争も、その封鎖解除によって、憑き物が落ちたように大輔は情熱を失った。そしてその後、大輔に待っていたもの、それはどうしようもない虚脱感。そんな抜け殻のような状況の中で、大輔は紗智子と出逢った。

 紗智子はノンポリの部類だった。
 真っ白なブラウスに、濃紺のデニムが似合う女子学生。そしていつも笑顔が絶えず、真っ直ぐ前を見つめ、溌剌(はつらつ)と学生時代を謳歌していた。
 挫折の中にあった大輔。そんな紗智子がキラキラと目映(まばゆ)く、新鮮だった。
 大輔は清純で清楚な紗智子に憧れを持った。そして不思議にも、なんとなく気が合い付き合い出したのだ。

 初めてのキスの時、紗智子は花の妖精のようにふうっと目を閉じた。
 その速さは遅くもなく、また速くもなかった。まさにふうっとだ。
 大輔は、その神懸かり的なまぶたの動きに、この世のものとは思えないような感動を覚えた。そして、そっと唇を合わせた時に、大輔はひやりとした冷たさを感じた。 
 その冷感な温度が大輔の捩(よじ)れた心をはっと目覚めさせてくれた。その上に、淡い甘さがそこにはあった。
 紗智子の唇。それは端麗ではあるが艶(つや)っぽい、そして、エレガントだけれどもセクシー。大輔は、そんなもの自体が、この世の中に存在することが信じられなかった。

 殺伐とした学生時代を過ごしてきた大輔。しかし幸運にも、最後に見付けたのだ、女神を。
 いや、それは少し違うのかも知れない。無理矢理にそれを表現すれば、紗智子は魔性の妖精だったのだろう。
 大輔は魔法にかかったように紗智子の虜となった。
 しかし、それは心を吸い取られてしまったということではなく、大輔の魂をもう一度蘇生させてくれたのだ。
 そんな学生時代の終わりに、若者の間では『フランシーヌの場合』という歌が流行っていた。

 フランシーヌの場合は あまりにもおばかさん
 フランシーヌの場合は あまりにもさびしい
 三月三〇日の日曜日
 パリの朝に燃えた命ひとつ
 フランシーヌ
 ……

 フランシーヌ・ルコント 三〇歳 が、一九六九年三月三〇日、政治的抗議のためパリで焼身自殺をした。それを題材にした反戦歌だ。
 しかし大輔の魂を燃やすものは、学生運動から紗智子へと変わってしまっていた。そのせいか、卒業する頃には、この歌がなんとなく古臭いものに感じられていた。
 しかし紗智子は違っていた。この歌をよく口ずさんでいた。
 そんなある日、大輔が紗智子を思い切り抱いたことがあった。
 その後に紗智子が耳元で、なぜか大輔をからかうように替え歌にしてこの歌を唄ったのだ。

 ハナキダイスケの場合は あまりにもおばかさん
 ハナキダイスケの場合は あまりにもさびしい
 三月三〇日の日曜日
 京都の朝に燃えた命ひとつ
 ハナキダイスケ
 ……

 大輔は今もって、紗智子がなぜそんな替え歌を唄ったのかがわからない。多分、紗智子は抱かれても寂しく、大輔に八つ当たりをしてきたのだろう。
 しかし、大輔はまだ若かった。
 ムカッときて、「タカセサチコの場合はあまりにもおばかさん」と唄い直してみた。すると紗智子は、ポロポロと大きな涙を流しながら、大輔に歯向かうように言い放ったのだ。
「好きと、生きるということとは別物よ。好きは永遠、生きるは有限なの、だから私は、けじめを付けて生きたいの。おばかさんなんかじゃないわよ」
 大輔は、紗智子がこの言葉で、本当のところ何を言いたいのかがわからなかった。しかし、その場をおさめるために「そうだね」と返した。
 こんなケンカもあったが、大輔はとにかく四月一日からサラリーマンとして、新たな世界へ踏み出して行くことになっていた。
 大輔は過去の学生気分を捨て、新たなスタートを切るための気分一新で、三月三〇日、紗智子を連れて淡墨桜(うすずみざくら)の花見に行った。

「わあ、綺麗だわ」
 紗智子が淡墨桜の白の華厳さに感動の声を上げた。そして独り言のように呟く。
「この桜の散り際って、淡墨色になるのでしょ、ホント悲しくって、切ないわ」
 大輔はそんな紗智子の嘆きに似た言葉を聞いて、聞きかじりの説明をしてみる。
「ああ紗智子、そうだよ。昔、平安時代にね、上野峯雄(かんつけのみねお)っていう歌人が、太政大臣だった藤原基経(ふじわらのもとつね)公の死を悼んで、一首詠んだのだよ」
「ふーん、それってどんな歌なの?」
 紗智子が興味を持ったのか、聞き返してきた。

『深草の野辺の桜し 心あらば 今年ばかりは 墨染めに咲け』

 大輔はその歌をしどろもどろとなりながら口にして、さらに補足する。
「そう詠まれた桜はね、その死の悲しみを感じ入ったのか、華やかに咲かずに、ホントに淡墨色に色を変えたんだよ」
「へえ、そうなの」
 紗智子はそう聞いて考え込んでいる。そしてしばらくして、大輔を真正面に見据え、胸の内を絞り出すようにぽつりぽつりと話し出す。
「私、嫌だわ、そんなの……。私の人生は、桜のように艶(あで)やかで潔(きよ)いものであって欲しいの。最後が淡墨色(うすずみいろ)じゃねえ、あまりにも寂し過ぎるわ」
 大輔は紗智子の心の呻きに似たような言葉を聞き、「ああ、そうだね」と答えた。
 しかし紗智子はさらに真剣な眼差しとなり、大輔を見つめてくる。そして重く言う。
「大輔さん、私の一生、墨染めでなく……、朱染めにして。その朱染めの花吹雪で、大空へと舞い上がらせて欲しいの」

 大輔は紗智子と知り合い、紗智子を好きになった。そして、同棲のようなままごとで、この六ヶ月間を過ごしてきた。
 四月一日からは勤め人となり、競争社会へと飛び立って行くことになっている。
 このまま紗智子とずるずると、若い恋愛関係を引きずって行くわけにはいかない。紗智子への男の責任、それも充分わきまえている。
 社会人として、生活して行くことに自信が持てるようになれば、紗智子と結婚しようと思っていた。しかし、未だそこまでは口にしていない。
 だが紗智子は、満開に咲き誇る淡墨桜を前にして、「私の一生、墨染めでなく……、朱染めにして。その朱染めの花吹雪で、大空へと舞い上がらせて欲しいの」と大輔に迫ってきた。

 四〇年前の三月三〇日、それは大輔と紗智子にとって、一つのけじめを付ける日だったのかも知れない。
 大輔はしばらく沈黙していたが、神妙に口を開いた。
「紗智子、俺、頑張って、紗智子の人生を……、華やかな桜の花のようにするよ」
 それを聞いた紗智子はそっと大輔に寄り添ってきて囁いた。
「ありがとう、大輔さん。これできっと、私たちは人生を生き抜いて行くための……、同志になれたのだわ」
「同志?」
 大輔は紗智子から飛び出してきた意外な言葉、同志に驚き、思わず聞き返した。しかし紗智子はさらりと返す。
「そうよ、同志よ。学生運動より、もっと波瀾万丈な世界を生き抜いて行くための同志よ」
 大輔は知らなかった。ノンポリで初(うぶ)なお嬢さんのはずの紗智子が、恋愛などの甘い感情以上に過激なことを考えていたことを。
 そして、生き抜いた人生の闘争の果てに、朱染めの花吹雪となり大空へと舞い上がって行きたいと言う。
 学生運動に没頭していた大輔。しかし、そんな紗智子の言葉の前では、自分がまだまだ子供のように感じられた。
「紗智子、わかった、我々は戦う同志だね。俺たち二人の人生、今は蕾だけど、艶やかに花を咲かせ、朱染めの花吹雪となって、二人で舞い上がって行こう」
「大輔さん、お願いね、淡墨で散って行くことだけは、絶対に嫌よ」
 紗智子がそう念を押してきた。大輔はそんな紗智子を強くぎゅっと抱き寄せた。そしてもう覚悟を決めたのか、言い切った。
「紗智子のためだけに、一生戦い抜いて……。満開の桜を咲かせ、美しく青空へと、朱となり舞い上がって行けるよう頑張るよ。それを約束する。だから、紗智子さん、……、僕と結婚して下さい」

 紗智子はしばらく沈黙していたが、ぽつりと返事を返してきた。
「謹んでお受けします」
 その後、続けて言う。「だけど、もう一つお願いがあるの」と。
「どんな?」と、大輔は聞き返した。
「私たちの初心を忘れないように、一〇年毎の三月三〇日に、この淡墨桜を見に来ない?」
 大輔は紗智子のこんな提案を聞いて、なるほどと思った。
「ああその通りだね、そうしよう」
 大輔はそう返事をしながら、同志の紗智子とともに、新たな人生へ大きな第一歩を踏み出したことを感じるのだった。

 大輔が紗智子にプロポーズしてから、早いもので四〇年の歳月が流れてしまった。
 今日も同じく三月三〇日。今、桜花爛漫と咲き誇る淡墨桜を目の前にして、その白の絢爛さに圧倒されている。
 しかし、ベンチに座る大輔の横には紗智子がいない。ひとりぼっちなのだ。
 大輔と紗智子は確かにあの後結婚をした。そして大輔は、紗智子との約束通り、紗智子の幸せを実現させるために、企業戦士としてこの現代社会で戦ってきた。
 しかし、それは戦い過ぎたのかも知れない。紗智子を放ったらかしにして、ただがむしゃらに走ってきただけだった。
 多分紗智子は、いつも戦場の戦士と共に暮らしているようなもので、辛かったのだろう。いやむしろ、人生の同志として、戦うことをもっと共感したかったのかも知れない。

 二年前に大輔は定年となった。そしてそれを機に、人生の同志、紗智子と袂を分かつことになってしまったのだ。
 紗智子が同棲時代に言い放った言葉、「好きは永遠、生きるは有限なのよ」をやっぱり言い残し、家から出て行ってしまった。
 それは……つまり有限がゆえに、「生きる」を最優先させたかのように。
 しかし、どうのこうのと理屈付けをしてみたところで、世間風に言い換えれば、熟年離婚ということなのだろう。
「紗智子のためだけに、一生戦い抜いて……。満開の桜を咲かせ、美しく青空へと、朱となり舞い上がって行けるよう頑張るよ」
 四〇年前の三月三〇日、大輔は紗智子にこう約束した。しかし、それは努力はしたが、果たせそうではない。
 大輔は、いつの間にか多忙の中で紗智子を忘れ、仕事の場で戦うこと自体が人生の目的となってしまっていたのだ。
 多分紗智子にとって、そんな大輔との恋と結婚生活は、いつまで経っても蕾のようなものだったのかも知れない。 
 そして紗智子は、そのままで終わってしまいそうな予感がしたのだろう。
 大輔は、自分が駆け抜けてきた時の流れと、その結果を思えば、やるせなさ感と忸怩(じくじ)たる思いがこみ上げてくる。

 思い起こせば、この場でプロポーズしてから一〇年後の三月三〇日。紗智子と小学生の娘、沙織(さおり)との家族三人で、この淡墨桜を眺めた。
 そしてその一〇年後の二回目、一人娘の沙織が大学生となり、きゃっきゃと騒ぐ娘を中心に、三人で春の宴を催した。
 また家族三回目の三月三〇日の花見は、初孫の瑠奈(るな)が舞い散る桜の花びらをよちよちと追い掛けていた。そしてそれは女三代が集い、一番賑やかで楽しい花見だったのかも知れない。

 だが、今日の四回目は大輔一人の花見となった。ベンチに腰掛け、桜が艶やかなだけに、大輔の自責の念が余計に深まってくる。
 紗智子も沙織も、そして瑠奈もそこにはいない。
 寂しい。
 四〇年前、紗智子はこの咲き誇る淡墨桜を前にして大輔に迫ってきた。 
「私の一生、墨染めでなく……、朱染めにして。その朱染めの花吹雪で、大空へと舞い上がらせて欲しいの」と。
 そして大輔は「紗智子のためだけに、一生戦い抜いて……。満開の桜を咲かせ、美しく青空へと、朱となり舞い上がって行けるよう頑張るよ。それを約束する、だから、紗智子さん……、僕と結婚して下さい」とプロポーズした。
 大輔の頬に、一筋の男の涙が伝い落ちて行く。
 そんな鬱々(うつうつ)とした気分の時に、背後から肩を指でツンと突っつかれる。
 大輔はそっと後ろを振り返ってみる。しかし、誰もいない。
 そしてまた、ツンと突っつかれる。大輔は大きく振り返る。
「グランパ、どうしたの?」
 そこには少女に成長した孫の瑠奈が立っていた。
「あっ瑠奈だったのか、グランパ、びっくりしたよ。さっ、こっちへおいで、一緒にお花見しよう」
 大輔はいきなり可愛い孫の瑠奈が現れて、嬉しくてたまらない。
「うん」
 瑠奈は素直に返事をし、大輔の横にちょこんと座った。
「ママは、どこにいるの?」
 大輔は訊いてみた。
「ママはね、グランマと一緒にあっちにいるよ」
「ふーん、そうなの」
 大輔は紗智子も一緒にいるのかと思い、少し緊張してきた。
 大輔は、別れた妻がどこにいるのか、辺りに目を走らせる。そんな時に、瑠奈はたどたどしく話してくる。
「ねえグランパ、この桜って、墨の色になって散るんでしょ。だけど、幸せな人は赤く見えるんだって……。私も赤くお空へ散って行くのを見てみたいなあ」
 大輔は、唐突に瑠奈が言い出したことに驚いた。
「瑠奈、そんなこと、誰に聞いたの?」と問い返した。
 すると瑠奈は、何のわだかまりもなく、まるで大輔に内緒話しをするように話す。
「グランマよ、これ秘密ね。グランマは、いっつも赤く見えるんだって。それに今年もだって。そう言ってたよ」
 大輔は瑠奈が明かす言葉にもう何も返せない。瑠奈が愛おしい。思わずぎゅっと抱き締めた。
「きゃっ、グランパ、痛いよ!」
「グランパは、瑠奈が世界で一番好きだよ。瑠奈もきっと赤く見えるよ」
 大輔は瑠奈にそう囁いた。
 そんな様子を桜の木の奥の方から紗智子が見ている。そして小さく手を振ってきた。
 大輔は「ちょっと、グランマの所へ行ってくるからね」と瑠奈に告げ、紗智子のもとへと歩いて行った。

「来てたの?」
 大輔は紗智子に軽く訊いた。
「もちろんよ。この三月三〇日は、あなたとの約束だもの」
 紗智子が意外にも微笑み返してきた。
 大輔と紗智子は桜の木の下へと入り、並んで見上げてみる。桜の花がすっぽりと二人を包み込んでいる。そして花々が空の青さに映え、見事に煌びやかだ。
 しばらく大輔と紗智子は押し黙ったまま、そんな世界に埋没していた。そして紗智子がぽつりと呟く。
「まだ白いけど、随分と朱が混じってきているわ」
「えっ!」
 大輔は驚いた。それもそのはず、この桜は淡墨桜(うすずみざくら)。
 蕾の時はピンク色。満開となれば、仄かな朱を残すが、白の強さが際立ってくる。そして花びらを、徐々に淡い墨色へと変化させ散って行く。
 したがって、今は見ての通りの白。そして、これから混じってくる色は墨色のはず。
 紗智子はそれを朱が混じってきていると言う。
 紗智子はそんな大輔の訝(いぶかし)げな表情を見て取ったのか呟き続ける。
「私、四〇年前に、あなたと一緒にこの桜を見たでしょ、それからずっとこの桜は、朱に見えていたのよ」 
 紗智子はそこまで言って、大輔にそっと寄り添ってきた。そしてさらに話すのだ。
「大輔さん、同志として充分戦ってくれたわ、感謝してるわよ。お陰で約束通りだよ。私の散り際は墨染めでなく、朱染めの花吹雪で大空へと舞い上がって行けそうだわ」
 大輔は紗智子からのこんな言葉を聞いて、とてつもなく嬉しい。
「こちらこそ……、紗智子がいてくれたから、ここまでやって来れたのだよ」

 しかし二人はすでに熟年離婚をしてしまっている。もう別々の世界を生きている。もう、どうしようもない。
 だが大輔は紗智子に一つのオファーをする。
「なあ紗智子、我々、あの出逢った頃に戻らないか?」
 これを聞いた紗智子がじっと考え込んでいる。そして突然、ふふふと笑いながら言うのだ。
「そう言えば、あなた、あの頃のあなたと一緒だわ。学生運動の闘争が終わってしまって、落ち込んでいた頃のあなたよ。戦いが終わると、いっつも弱気になるんだから」
 紗智子が今度はぷーと笑ってしまっている。
「あなたいいわよ、同棲をし始めた頃に戻りましょ。だって、あなたは、私がいなければ淡墨色になって散って行きそうですもの」
「その通りかもな」
 大輔は大きく頷いた。すると紗智子は、大輔に再確認をするように語る。
「ねえ、大輔さん、今から一〇年後の三月三〇日、今度は、あの時から数えて五〇年後になるのだけど、私たちまた一緒に……、この桜を見に来れるわよね」 
 大輔はしばらく黙っていたが、ぼそぼそと返す。
「ああきっとね。好きは永遠、生きるは有限だけど……。どういうことになろうが、心の中で朱染めの花吹雪が舞ってくれるよ。これ、紗智子との約束だったよね」
 そんな大輔の言葉を、紗智子は聞いているのか聞いていないのかわからない。そして紗智子は、花の香を嗅ぎながら、突然小さな声で口ずさみ始める。

 フランシーヌの場合は あまりにもおばかさん
 フランシーヌの場合は あまりにもさびしい
 三月三〇日の日曜日
 パリの朝に燃えたいのちひとつ
 フランシーヌ
 ……

 大輔は紗智子の歌に引きずられて、替え歌を唄ってみる。

 タカセサチコの場合は あまりにもおばかさん
 ハナキダイスケの場合は あまりにもさびしい
 三月三〇日の日曜日
 京の朝に燃えたいのち ふたつ
 サチコダイスケー
 ……

「ぷっ、あなたそれ何よ。ふざけないでよ」
 紗智子は怒っているが、顔は笑っている。
 大輔と紗智子はこんなやりとりをしながら、学生運動でキャンパスが揺れていた年代へとワープしてしまったようだ。そして、そんなノスタルジックな自分たちだけの世界に陥ってしまっている。
 そんな時に、瑠奈が二人だけの世界を打ち破るように、大輔の所へ飛び込んできた。
「グランパ、見てっ!  見付けたよ!」
 大輔はしゃがみ込んで、走って来る可愛い瑠奈をしっかりと受け止めた。
「瑠奈、何を見付けたの?」
 すると瑠奈は、こぶしに握った小さな手を大輔の目の前に差し出してきた。
「グランパ、ねっねっね、ひらいてみて」
 瑠菜は何かを力一杯に握りしめているようだ。大輔は「ヨーシ!」と言いながら、瑠菜の一つ一つ細い指を優しく開いて行く。
「わあ、ダメだよー」
 瑠奈がじゃれてくる。その後、今度はいきなり、小さなこぶしを大輔の目の前まで持ってくる。そして、ぱっと手の平を開けた。
 その開かれた小さな手の平には……。
 なんと!
 二枚の美しい桜の花びらが乗っていた。
 しかもそれらは見事に……、朱に染まっていたのだ。
 これを目にした大輔は、それらを紗智子に示しながら、可愛い瑠奈をぎゅっと抱き締めた。そして、思わず叫んでしまうのだった。

「淡墨桜よ! 大空へ、花吹雪となり、朱となり……舞い上がれ!」


                                  おわり


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このストーリーに関するコメント

13/06/27 笹峰霧子

淡墨桜の名前の所以を初めて知り、興味津々読み進めていくうちに、
読者の自分も幸せな気持になったり、その逆転にがっかりしたり……、
でも最後の結末にほっとしました。
とても充実した物語でした。

13/06/29 泡沫恋歌

鮎風さん、拝読しました。

淡墨桜が綾なす美しい物語ですね。
タイトルも素敵です!

13/06/30 鮎風 遊

笹峰霧子さん

ありがとうございます。

世の中にこういうことってあるのではと思いまして。
それでも最後はホッで良かったです。

13/06/30 鮎風 遊

泡沫恋歌さん

ありがとうございます。

少しほんわかで、郷愁ある話しにさせてもらったつもりです。

13/07/01 草愛やし美

鮎風遊さん、拝読しました。

薄墨桜になぞらえた人生。一人の人間が、有限に生きていくさま。厳しい終末にならず、朱に染まる桜。いい終わり方ですね。

13/07/02 そらの珊瑚

鮎風さん、拝読しました。

激しい時代をともに生き抜いてきて、すれ違ってしまった夫婦が、また寄り添うことが出来て、良かったです。
薄墨桜という不思議な桜がキューピッドになったのですね!

13/07/02 鮎風 遊

草藍さん

ありがとうございます。

大輔は新たな人生のページを開けたのでしょうね。

13/07/02 鮎風 遊

そらの珊瑚さん

二人はもう一度やり直しです。
こういうのに憧れてますが……、大輔は良かったです。

13/07/05 かめかめ

漢字にフリガナがふってありますが、十分読める範囲だからいらないと思います……

13/07/07 鮎風 遊

かめかめさん

Thnks, but itchy a little.

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