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W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

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涙の古本屋

13/06/10 コンテスト(テーマ): 第十回 【 自由投稿スペース 】  コメント:3件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:1877

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 理恵が棚から一冊の古本を抜きとったとき、「ああっ」という嗚咽にも似た声がきこえた。
 ひろくもない店内には、自分のほか客はいない。あとは入り口横のレジに、店主がひとりいるだけだった。
 気のせいかしらと彼女は、しばらく書物をあらためてから、レジに向った。
「これ、ください」
「いらっしゃいませ」
 なぜか店主の声が湿っぽかった。
 理恵はそれとなく、店主の顔をみた。
 その目から涙が、ぽろりとこぼれ落ちた。
 するとさっきの悲痛そうな声も、やはり彼のものだったのか………。
「どうかなさったんですか?」
 おもわず理恵はたずねた。
 店主は、めがねをはずして、ハンカチで目をぬぐった。
「とんだ失礼を。じぶんの子供ようにかわいがっている本が、お客さまに買われていくとおもうともう、悲しくて、悲しくて………」
 またポロポロと涙が彼の頬をつたいおちた。
「そんなに悲しければ、なにも書棚に置かずに、書庫にでも保管しておけばいいんじゃないですか」
 すると店主は、痛し痒しといった顔つきになって、吐息をついた。
「古本を商いにしているのですから、そういうわけにもまいりませんので。―――ああ、お客さま、どうか気を悪くなさらないでください。本との別れを、しばしのあいだ、悲しんでいるだけですから」
「あのう。いつも本が売れるときは、そんなふうに泣かれるのですか?」
「なにせ、ねっからの本好き人間でして。本がかわいくてかわいくてしようがないのですよ。こういう商売には、不向きな性格かもしれませんね。まあそれでも、本の種類によっては、さほど落胆しないものもありますが」
「おもしろい古本屋さんですね」
 理恵の言葉に店主は、苦笑いをうかべた。
 ビルの二階に店をかまえる古本屋に、みちを歩いているときふと目がとまった。窓から書棚がのぞいている。本好きの彼女にとっては、そのまま通り過ぎることなどとてもできそうになかった。
 さっそく理恵は階段をあがり、『たぬき堂書店』の看板があがるガラス扉をあけて店内に、足をふみいれた。
 はじめての古本屋にはいるときのつねで、しらずしらず、彼女の胸は高鳴った。
 文学書を主にした棚には、質の高い書物が目についた。児童文学や童話、めずらしい映画雑誌や昭和中期の漫画もあって、いい店をみつけたと彼女は素直によろこんだ。男より女性客のほうがだんぜん多いと店主は教えてくれた。どことなく店内に漂う品のいいやわらかな雰囲気のせいにちがいなかった。
 とりもなおさずこれらの書物群は、店主のセンスが反映しているのであって、本当に彼が本を愛していることがよくこちらにもつたわってきた。

* *

 それにしても、あの店主の涙は、本物なのかしら………。
 家に帰ってから理恵は、古本をあつかっている人間が、それが売れたからといって、あんなにたやすく涙を流したりすることが、いまでもふしぎでならなかった。店名の『たぬき堂』にもひっかかった。
 悪く考えればいちげんの、世間知らずな女の子を、ちょっとからかってやるつもりの、あれは嘘泣きではなかったのか。おれの本への愛情をみろとばかりの、一種のパフォーマンスではないのか。いつも埃くさい古本にかこまれて、じっと客をまっている店主の、わずかばかりの憂さ晴らし………。
 かりにそうだとしても、理恵があの古本屋が気にいったことにはかわりなく、それから一週間もたたないうちに、ふたたび店をおとずれていた。
 ちょうどレジに女性客がひとり立っていた。財布を出しているところから、本を購入するところだろう。
 みると、やっぱり店主は泣いていた。あらためて彼の風貌をみると、そんなに老けた年ではない。涙もろくなるにははやすぎる。
 客の女性は、先週の理恵のように、戸惑いがちに店主をながめていた。理恵とちがうところは、その顔がいくぶん、不機嫌そうにふくれていることだ。この客はもう来店することはないな。理恵は胸のなかでつぶやきながら、奥の書棚にむかった。
 そこにも二人の女性客がいた。その二人の背後で、本をさがしはじめた理恵の耳に、彼女たちの小声のやりとりが聞こえてきた。
「あの店主の泣きぐあいで、その本の価値がわかるのよ。店主の思い入れというのがあって、いい本にかぎって、泣き方もはげしくなるって噂よ。長年古書をあつかっているだけに、目も肥えているでしょうから、あたしたちにはみわけられない値打ちのある逸品をわきまえているのは当然だわね」
「泣きは一種の、バロメーターみたいなものね」
「そうそう。あたしの知り合いのリピーターなんかは、わざとレジまで本をもっていって、買うふりをするんだって。店主の泣きが浅いときは、たいしたことないと判断してもとの棚にもどし、大泣きするときは、値打ちもんとおもって買うことにしているらしいわ」
「へえ。じゃ、店主が号泣するような本なら、チョーいい買い物ってことになるわね」
「いつそんな大泣きがみられるかと、毎日ここに足を運ぶひまな連中も、けっこういるって話よ」
 二人がそんなやりとりをしているとき、入り口が騒がしくなり、数人の客たちがはいってきた。
 みな知り合いらしく、棚から棚をまわっては、数冊ずつ書物を抜き取って、そろってレジまでもっていった。もしかしたらかれらは、いま背後の彼女の話にでた、店主の大泣きを待っているリピーターなのかもしれない。
 理恵はもっとかれらの様子をみようと、レジのほうに近づいていった。
「これ、ほしいんだけど」
 最初のひとりが、店主に本をさしだした。
最初の一冊には、店主はなんの反応もしめさなかった。つぎの本から、涙がこぼれはじめ、三冊目、四冊目がさしだされると、それはもう、とどまることをしらないほどだった。
 客たちは冷静に、そんな店主の反応を観察してから、店主が涙をこぼしたぶんの本だけ買うために選んだ。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
 店主はなんども礼をいってから、ハンカチで涙をぬぐいつづけた。
 本を買った客たちはみな、満足そうな笑みをうかべながら、店から出ていった。
「いい買い物をしたわね。あの人たち」
「なかには、ぜんぜん泣かない本もあるのね」
「つまり、値打ち的には、二束三文ってとこじゃない」
 さっきの二人の女性の会話が、理恵の耳に届いた。
 それからも、来店する客たちが本を買うごとに、店主は涙顔で代金をうけとった。
 すでに有名になっているとみえ、その泣き顔をみて、手を叩いて歓声をあげるものたちもいた。泣いた主人とならんで、写真を撮る客もいる。客にも涙もろいものがいて、店主といっしょになってながいあいだ二人で泣きつづけるという愁嘆場もみられた。
 理恵は、ぼちぼち、欲しい本を探すことにした。
 店主と客たちのやりとりは、いつまでも興味がつきないものがあったものの、やっぱりここにきた本来の目的は、本を買うことだった。
 だいぶまえからさがしている昭和中期の文豪の書物で、これまでなかなかみつからずにきて、もしかしたらこの店にあるかもという期待感にうながされてやってきたのだった。
 いくらもしないあいだに、その本はみつかった。しかも、ページも表紙も損傷がなく、おまけにケースにはいって帯までついていた。値段はそこそこしたが、ほしいという気持をひるがえすまでにはいかない価格だった。
 この本をもっていったら、店主はさぞかし泣くだろうな。
なんだか気の毒な気がしないでもなかったが、それでも理恵の気持がかわることはなかった。
「あのう、これ、おねがいします」
 理恵にしても、じぶんの求めている書物の、真の価値というものを知りたかった。店主に本をさしだしながら、いくぶん上目使いに相手の顔をうかがった。
「毎度ありがとうございます」
 メガネの曇りをぬぐっていた店主は、笑顔で頭をさげた。
 その眼鏡をかけたとき、いったいどれだけの涙がこぼれるのか。本の価値もさることながら、理恵は、店主の頬をつたいおちる涙の量に関心がいくのを禁じ得なかった。
 店主はメガネをかけた。ふとい黒縁の、かけると顔全体にしまりができるめがねだった。
「ああ、これね………」
 そっけないまでのくちぶりだった。
 いつまでたっても、彼の目はノーマルにみひらかれている。
 下まぶたからじわじわと、涙がにじみだしてくるところを想像していた理恵にとって、 彼のこの頓着のなさは、まさに予想外だった。
 さらに意外なことに、その顔にはいま、どこか嘲るような笑いが浮かびあがっているではないか。
 あなたは、本の価値をしらないのか。
 その表情から、これ以外の真意をくみとることは不可能だった。
 この本には、店主を泣かせるだけの値打ちもないのだ。
 あまりのことに、彼女はあぜんとなった。
 二束三文の本に、じぶんは大金を払おうとしていた。
 そのことを店主は、嘲笑でもって教えてくれたのだ。そのおもいはやがて彼女に、無価値な本を買わずにすんだという安堵感をもたらした。
「すみません。気がかわりました。この本はいりません」
 店主は、かわいた目で理恵をみつめた。
「ほんとに、いいんですか?」
「はい。もとの棚に返しておきます」
「いえいえ。わたしが返しておきますので」
 店主はたちあがるとすぐに、本をもとの書棚にもどしにいった。彼のその手つきをみていると、泣かなかったせいもあってか、ぞんざいなまでに無造作なあつかいにおもえてならなかった。
 理恵はそれからも、書棚をみてまわり、ほかに欲しかった本をみつけて店主のところにもっていった。うれしいことに、その本にたいしては、彼は涙をながしてくれた。
 理恵は買った本を手に、店から出た。
 
 
 * *

 二階の窓から古本屋店主は、下のみちをかえっていく理恵の姿をどこまでも目で追いかけていた。
 そしてもどってこないのをたしかめると、さっきの本のところまでふたたび歩みよっていった。いま店内にはだれもいなかった。彼は安心して、声にだしてつぶやいた。
「ああ、よかった。おまえだけはなんとしても、売れてほしくなかった。なにせわたしが、一番大切にしている本だからな」
 どの本もみな、愛着はある。売れて手放すのは、本当に悲しい。流す涙に嘘はない。客たちも、そんなわたしの性格をしっているとみえ、こちらの泣き方で本を値踏みしていることもしっている。さすがの客たちも、じぶんが泣かない理由まではしらないようだ。これまで何人もの客が買おうとしたが、そのたびに彼は、泣かずにすませて、売却をまぬがれてきた。客たちにはあいすまないが、この書物だけは、いつまでも棚に置いてながめていたかった。
 いまいちど彼は、いとしげに本に頬をすりよせた。
 書物を胸に抱いた店主の口もとに浮かんだ笑みは、しだいに大きくなりだして、そのうちその笑い声は、店全体に響き渡った。それはこれまで泣いたぶんを全部足したのとほぼおなじ規模の、大笑いだった。


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このストーリーに関するコメント

13/06/11 クナリ

自分にはこれといったコレクタ癖はありませんが、自身が何かの蒐集家だったとしたら、この店主さんのような気持ちになるのではないかと思います。
ラストシーンでは、ちょっと変わった人だと思っていた店主さんの、狂気さえはらんだような人間味を感じました。


13/06/12 W・アーム・スープレックス

クナリさん、コメントありがとうございます。

本当に本の好きな人が古本屋を開いたら、本との決別はさぞ辛いのではと、そんなことを考えているうちにこの作品ができました。

「狂気さえはらんだような人間味」
なにかしら耳障りのいいフレーズですね。

13/06/12 W・アーム・スープレックス

クナリさん

『耳障り』―――『耳触り』に訂正します。失礼しました。

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