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トビウオさん

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名古屋・ゾンビー・ガスマスク・ロンリーウェイ

13/05/31 コンテスト(テーマ):第三十一回 時空モノガタリ文学賞【 名古屋 】 コメント:1件 トビウオ 閲覧数:2232

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 薄暗い部屋の片隅。金属製の本棚の上には、ガスマスクが五つ飾ってある。僕は角の擦り切れた漫画本を本棚に戻してから、ガスマスクの一つを手に取り、自分の顔にあてた。頭の後ろでベルトを締める。それから、濾過された空気を深く吸い、そして吐く。僕が呼吸する音は、ガスマスクに内蔵された機械を介して電気的に増幅され、六畳間の中で静かに響く。その音は、ガスマスクの耳の部分に取り付けられた補聴器によって、更に電気的に変換され、ようやく僕の耳に届く。
 シュゥゥゥーッ、コォォォ。
 ガスマスクは重いし、息苦しいけれど、僕にとっては不可欠なものだ。
 ガスマスクを被った僕は、薄暗いアパートの一室から、霧深い名古屋の街へ足を踏み出す。
 ひんやりとした空気の中で、低い唸り声を上げながら亡者たちが行進しているのが目に入る。すっかり見慣れてしまった、朝の名古屋の光景だ。僕は亡者の列に加わり、ズボンのポケットに手を突っ込んで歩き始める。
 僕のすぐ隣を歩くのは、ボロ布を纏った痩身長駆の男だ。男の顔には血の気がない。眼窩の中に眼球はなく、頭の左半分は破損し、脳がはみ出ている。ご覧のとおり、彼は生きていない。所謂生ける屍――ゾンビというやつだ。男のゾンビのすぐ後ろには、首があらぬ方向に曲がった女のゾンビが続いている。男と女のゾンビは二人とも、左手の薬指に銀色のリングをつけている。
 ゾンビたちは、生き血を求めて僕に襲い掛かってくる、なんてことはしない。ただ唸り声を上げながら、僕の隣や後ろをのろのろ歩くばかりだ。現実のゾンビは、ホラー映画で繰り返し描かれたような凶暴なクリーチャーじゃない。たしかに不気味ではあるが、僕のような生者に危害を加えることはない。彼らは死んでもなお街を徘徊するというだけの、なんてことのない存在なのだ。

 なぜ名古屋の街にゾンビが溢れかえってしまったか。それはこの霧のせいだ。
 四ヶ月ほど前、突然白くて分厚い霧が名古屋を覆い尽くした。
 甘い匂いを帯びた、魔性の霧。
 この霧を一定量以上吸い込んでしまった人間は、わずか数時間で死に至る。とても穏やかな顔をしながら、あの世に行ってしまうのだ。人間としての生を終えた肉体は、死亡から二十四時間後に再び動き始め、ゾンビとして新たな生を受ける。そして、夢遊病患者みたいに、ふらふらと名古屋の街を彷徨い歩く。
 なぜ霧を吸ったらゾンビになってしまうのか。この霧の出処が一体どこなのか。そんなことは科学者でもなければ神学者でもない僕には、皆目見当もつかない。他の誰かに訊ねようと思っても、僕以外の人間はみんなゾンビになってしまっているから、どうしようもない。
 名古屋以外の街がどんな状況なのか、それもわからない。果たしてこの異常事態は名古屋に限った話なのだろうか。それとも名古屋以外の街にも、同じように霧が発生していて、日本中――あるいは世界中がゾンビの巣になってしまったのだろうか。どちらも考えられる話だ。
 ただひとつ言えるのは、外の世界の住人は誰一人として僕を助けに来てくれないという、それだけのことだけだ。

 僕が人間のままでいられるのは、ガスマスクのおかげだ。どうやら、霧の中に含まれる毒素は、ガスマスクさえつけていれば防げるようだった。
 僕は名古屋在住の漫画家で、例の名古屋市出身の、世界的に有名な漫画家にあやかって、霧が発生する前から、ガスマスクを付けて日常生活を送っていた。編集さんやアシさんからは変人扱いされていたけど、おかげで今でもゾンビになることなく、人間のまま五体満足でいられるのだから、世の中何が吉と出るかわからない。現在の僕の状態が、吉なのかどうかもわからないけれど。

 生き残った僕は、今日もガスマスクを被り、名古屋の街を一人ぼっちでうろつき回る。僕の他にも生き延びた人間がいないかどうか探すために。だけど、僕の前に現れるのはゾンビばかりで、生者の影は全く見つからない。
 まあ、それは仕方ないことかもしれない。
 あの平和だった日本で、ガスマスクを付けて生活していた人間が僕の他にも存在したとはちょっと考えにくい。仮にいたとしても、こんな風になってしまった世界に絶望して、とっくに命を絶ってしまっているかもしれない。
 ガスマスクを脱ぎ、ゾンビになってしまったほうが楽なんじゃないか。僕だって何度もそう考えた。だけど、なんでだろう、僕はこうしてガスマスクを被ったまま、諦めることなく街を彷徨っている。足を棒にして、ゾンビたちの声をぼんやりと聞きながら。
「お前がかつて憧れた漫画のヒーローたちは、みんな諦めることを知らなかっただろう」と、そんなことを自分に言い聞かせながら、今日も僕は名古屋の街を彷徨っている。
 ゾンビたちに混じって、ゾンビみたいに街を彷徨っている。
 一人ぼっちで、彷徨っている。


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このストーリーに関するコメント

13/05/31 平塚ライジングバード

トビウオさま、拝読しました。

大量のゾンビに混じって、ガスマスクを着けた男が街を放浪するのはなかなかの光景ですね。変人と呼ばれた主人公だけ生き残るのも皮肉的でした。

個人的には、エヴァンゲリオンの人類補完計画やマトリックスの設定を思い出しました。
現実を捨てて偽りの夢の世界に生きることは幸福なのか。
人類全てが偽りの夢に逃げ込んだ世界でただ一人現実を生きるのは正しいことか。
そんなことを考えながら、読ませていただきました。
ありがとうございます♪

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