泡沫恋歌さん

泡沫恋歌(うたかた れんか)と申します。

性別 女性
将来の夢 いろいろ有りますが、声優ソムリエになりたいかも。
座右の銘 楽しんで創作をすること。

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6

金魚

13/05/30 コンテスト(テーマ):第八回 【 自由投稿スペース 】 コメント:11件 泡沫恋歌 閲覧数:2746

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 千秋(ちあき)がキッチンのテーブルでコーヒーを飲んでいると、玄関の方でガチャとドアが開く音がした。その後、ガチャガチャと鍵をキーケースにしまう音が……夫の和哉(かずや)が会社から帰って来たようだ。
 今年、三十二歳になる主婦千秋の家族は、夫の和哉と子どもは五歳と三歳のやんちゃ盛りの男の子がふたり。夫は真面目な性格だが全く面白みもない。不幸というほどでもないが、満たされない、物足りない、何となくイライラしちゃう……ありふれた日常だが、こんなものだろうと納得しながら暮らしている。

「なんて早いの」

 壁の時計を見ると、まだ六時にもなっていない。和哉の会社は製造業だが不況で受注が減ったせいで残業がなくなって、給料も大幅ダウンで家計は苦しい。おまけに三年前に新築の分譲住宅を購入したため住宅ローンの返済も厳しいのだ。
 千秋は今年の春から、五歳の長男を保育園に、三歳の次男を自分の実家に預けてパートの仕事に出ている。スーパーのレジ係だが午前十時から午後三時までのシフトである。
 やっと慣れてきたが、仕事が終わってからスーパーで買い物を済ませて、保育園に長男を迎えに行って、実家に居る次男を連れて帰る日常である。それを毎日繰り返す。

 和哉の会社はバイクで片道三十分もかからない。五時に仕事が終わって真っすぐ帰ればこんな時間になる。たまにパチンコ店で時間を潰す日もあるが、負けが込んで軍資金がないのか、ここのところ特に帰りが早い。
 長男はテレビのアニメに釘付けで、次男はソファーで夕寝している。一日の中でわずかな主婦千秋の自分独りだけのひと時……ホッとする間もなく、和哉のご帰還だ。夫が帰ってくれば、主婦である千秋は夕食の準備を始めなければならない。チッと心の中で舌打ちをする。

「さてと……」

 飲みかけのコーヒーをシンクに流して。千秋はキッチンの前に立ちじゃがいもの皮を剥き始めた。そんな千秋を横目でチラッと見ながら……夫は何も言わずにリビングの奥の自分の定位置へと向かう。

 ――金魚の水槽がある。

 リビングのサイドボードの上に小さな水槽が置かれていて、中には三匹の金魚が泳いでいる。まだ、ふたりが新婚時代にお祭りの夜店ですくった金魚たちである。
 言わば『ふたりの愛の思い出』の金魚たちなのだが――かれこれ六、七年は生きている。金魚って小さい割には意外と長生き……それもそのはず、和哉がものすごく金魚を大事にしているのだから――。彼は会社から帰宅すると妻子の顔も見ずに、すぐ水槽の金魚に挨拶する。休日は朝から何時間もボーと水槽の前で金魚を眺めて過ごすこともある。


「パパ遊ぼうよ」
 長男がおもちゃを持って、一緒に遊ぼうとせがんでも……。
「後でな。向うへ行ってなさい」
 と、取り合おうとしない。
 水槽の金魚の何が楽しいのか? ずっと和哉は金魚を眺めている。

 和哉はどちらかというと無口で妻子とあまり会話をしない男だ。
 最近は特にしゃべらなくなってきた。何が不満なのか知らないが……不満なら、千秋にだってあると言ってやりたい。結婚して七年目……倦怠期ってやつかなぁー。
 かつて、この男を愛した記憶さえ曖昧になってきている。自分でもどこが良くて結婚したのかよく分からない。所謂、流れで一緒になったような気がする。

「つまらない男だわ」

 サイドボードの前に椅子を置いてそこに腰掛けて、金魚と会話? している夫の後姿に言いようのない嫌悪感を覚える千秋だった――。

 五歳の長男はわんぱく盛り、一時もじっとしていられない。日曜日のお昼に、家族四人でご飯を食べていると、三歳の次男と兄弟けんかを始めた。千秋が長男を大声で叱りつけていると、横から和哉が「うるさい!」と不機嫌そうに怒鳴った。
その声に千秋は切れた。

「うるさいってなによ!」
「食事の時くらい静かにできないのか?」
「躾で叱っているんでしょう」
「おまえのはギャーギャーうるさいばかりで躾になってない」
「なによ! 父親なんだから、あなたも子どもの世話みたらどうなの!」
「躾っていうのは……」
「金魚ばかり可愛がらないで、たまには子どもたちとも遊んでよっ!」
「…………」
「あたしにばっかり育児を押しつけて、自分は何にもしないくせに……」
 その言葉に和哉は黙り込んで、ふいに立ち上がって外へ出て行った。


 口げんかの後、和哉は煙草を買うと出て行ったが……シンクでお茶わんを洗いながら千秋の腹の虫が収まらない。いつも都合が悪くなると逃げるんだから、あの人は……。
 金魚ばっかり可愛がって、自分の子どもには無関心だし、あんなの父親失格だわ! 何よりも気に入らないのは――自分ひとり現実逃避しようとしている、あの態度よ。いつも水槽の金魚を眺めて自分の世界に浸っている夫の姿を思い出して、千秋は余計に腹が立ってきた。

《あんな金魚なんか死んじゃえばいいんだ!》

 つい千秋は手に持った食器用洗剤を水槽の中へ。
 数滴零したら、エアーポンプのせいで瞬く間に水槽の中は泡だらけになった。思いがけない事態に……その時になって千秋はえらいことをやってしまったと茫然とした。まずい! これは夫に怒られる。

 泡だらけの水槽の前で千秋が右往左往していると……。
 直後に帰宅した和哉が水槽を見て面食らっていたが、すごい速さで金魚を網ですくい、水槽の水を入れ替えた。そして金魚たちを無事に水槽の中に戻した。

 すっかり片付いてから、和哉が千秋に訊いた。
「誰がやったんだ?」
「……こ、子どものイタズラよ」

 あまりに凄い怒りの形相に、とっさに千秋は子供のイタズラだと嘘をついてしまった――。聞いた途端、和哉は隣の部屋でアニメを見ていた長男の首根っこを掴んだ。なぜ長男かと言うと、三歳の次男ではサイドボードの上の水槽には手が届かないからだ。――そうゆう訳で犯人は五歳の長男と決め付けられて、有無を言わせず長男はお尻をおもいっきり叩かれた。
 訳も分からず、無実の罪で父親に叱られた長男はいじけて、いつまでも泣いていたが……その肩を抱いて頭を撫でて母親が優しく慰めていた。
 翌日には、おもちゃを買って貰い大喜びの長男だったが、しかし、それが……せめてもの千秋の罪滅ぼしの品だとも知らず……。

 金魚のことくらいで長男のお尻を叩いた夫を許せないと千秋は思っていた。金魚に八つ当たりした自分の罪も忘れて……憎らしい金魚め! いよいよ千秋の金魚への憎悪が増してきた。


 そんなある日、思わぬチャンスが到来――。
 日曜日の午後、和哉は鼻歌まじりに金魚の世話に余念がない。今日は水槽を洗うので、バケツの中入れられ金魚たちは、一階の駐車場の外に置かれている。二階のベランダで布団を干していた千秋の目に、野良猫の姿が見えた。
 あきらかに金魚を狙って忍び足で近づいて来るではないか、もちろん千秋は夫に教える気などさらさらない。成り行きを目を凝らし、じっと見ていた。

 バチャーン!
 猫が金魚の入ったバケツをひっくり返した。駐車場の中で水槽を洗っていた和哉が、異変に気づいて慌てて飛び出して来たが、時すでに遅く……二匹の金魚が猫の餌食になっていた。

「ちくしょう!」
 和哉が大声で叫んだ。

 一匹残った金魚を未練たらしく電信柱の陰から、まだチャンスを窺っていた猫に、和哉は手に持ったスポンジを投げつけた。飛び散った水に驚いて猫は飛び上がり、そのまま慌てて逃げ去ったが、その後ろ姿に罵声を浴びせる夫だった。
 二階のベランダから一部始終を見ていた千秋は可笑しくてプッと噴きそうになった。《ふん! いい気味だわ》と内心ほくそ笑んだ。

 ――その晩、夫はすっかりしょげ返って……元気がない。目も虚ろだった。
 いつもなら三膳はお代わりする夕餉のご飯も一膳しか食べず、フーと深いため息をついていた。まさか、こんなにショックを受けるとは想像していなかった千秋だが……さすがにちょっと可哀相になってきた。
 食後、たった一匹だけ生き残った金魚を愛しそうに眺めている。《あなたは、そんなに金魚が大事なの?》そう和哉に訊いてみたかった。


 なぜか? その夜、夫は千秋を抱いた。
 セックスレスではないけれど――最近では夫は何か切欠がないと妻を抱かなくなっていた。パチンコで大勝した。好きなサッカーチームが勝った。昇給した。子どもたちが早く寝た。エロなDVDを観た……そんな理由で夫婦はセックスをする。
 もう子どもは要らないし、本当は女の子がもうひとり欲しいんだけど……今の経済状態ではとても無理だと分かっているし、愛情を確かめ合うというよりも『存在』を確認し合うような、そんなセックスだった。

「ねぇー」
 久しぶりに夫に抱かれて、心が和んだ千秋。
「……ん?」
 和哉の腕枕でちょっと甘えたい気分だった。
「金魚さぁー、一匹じゃあ寂しいからペットショップで買おうよ」
「要らない」
「えっ?」
「あの金魚でないとダメなんだ」
「……どうして?」
「おまえは忘れたのか?」
「なぁに?」

 結婚して間もない頃だった。近くの神社で夏祭りがあると聞いて、ふたりは浴衣に着替えて出掛けて行った。たくさんの夜店の屋台が立ち並び賑やかなお祭りに、新婚のふたりは手を繋いではぐれないように人波の中を歩いた。
 綿あめ、たこ焼き、ヨーヨー釣り、お面屋さんをひやかしたりして、楽しいお祭り見物だった。
 そこに夜店の金魚すくいがあった。
さっそく、千秋がやりたい、やりたい! と金魚すくいの紙のアミを買ってチャレンジするが、一匹もすくえず……あっという間に紙のアミが破れた。

「あぁー、悔しい一匹もすくえないなんて……」
「あははっ」
 悔しがる千秋を見て和哉が笑った。
「もう! 笑うんだったら、和哉さんもやってみてよ」 
プッとホッぺを膨らませ千秋が拗ねた。「分かった、分かった……」と和哉もアミを買って金魚すくいを始めたが……一匹もすくえない内に、紙のアミが半分ほど破れてしまっている。
「和哉さんだって、金魚一匹もすくえないかも……」
「待て待て! ここから本気を出すからー」
「あたしのために頑張ってね!」
「よっしゃー! 俺に任せろ」
 そう言うと和哉は慎重にアミを使って、夜店の水槽の金魚をすくい始めた。――そこから奇跡の逆転劇。なんと、半分破れたアミで金魚を見事に三匹すくってみせた。

「和哉さん、すごい、すごい!」
 水の入ったビニール袋の中で泳ぐ三匹の金魚を手に提げて千秋が歓喜の声をあげた。
「えへへ……」
 褒められて和哉も嬉しそうに照れていた。
「半分破れたアミでも諦めたらダメなのね。これから長い人生、お互いに嫌になることもあるかも知れないけど、絶対に諦めないで和哉さんについていく。諦めたらお終いだって教えてくれたから――この金魚はふたりの愛の記念品だわ! ずっと大事に金魚飼おうねぇー」


「――あんとき、おまえがそう言ったんだ」
「…………」
「だから俺は金魚を大事にしてきた。なのに……今日二匹も死なせてしまった」
 和哉は悲しげにため息をついた。
 千秋はすっかり忘れていた――。あの時、ふたりは同じものを見ていたはずなのに……同じ記憶が残っていない。忘れ去られたモノはなぁに?

 恋人同士が結婚して夫婦になった。子どもが生まれてお父さんとお母さんになった。やがて、孫が出来れば、おじいちゃんとおばあちゃんと呼ばれる。男女の愛はその形態を変えながら持続していくものなのだ。
 ――あの金魚はあと何年生きるんだろうか? 金魚の命より自分たち夫婦の方が危ういとさえ千秋は思った。

「金魚がいなくなっても、わたしたちには子どもがいるじゃないの」
「うん」
「金魚より子どもたちを可愛がってください」
「そうだなぁー」
 千秋は久しぶりに和哉の手をギュッと握ってみた。ゴツゴツした男の手だ。この手をずっと離さずにやっていけるのかな? 男女の愛に終わりがあっても、夫婦の生活に終わりはない。
 夫婦ってなんだろう? 愛情がなくなっても暮らし続けなければならない男女?

「もう寝ようか」
「うん……」
 和哉が寝返りを打って背中を向けて眠り始めた。夫の寝息を聴きながら千秋も静かに目を閉じる。

 プカリと水槽の中で金魚が泡(あぶく)を吐いた――。

                                                     
                        ― おわり ―


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このストーリーに関するコメント

13/05/30 こぐまじゅんこ

泡沫恋歌さま。

拝読しました。
男の方が、案外ロマンチストなのかもしれませんね。
でも、子どもより、金魚をかわいがられて怒る妻の気持ちも、よくわかります。女は現実を生きるんでしょうかね。

13/05/30 笹峰霧子

日常生活の中のひとこまが丁寧に描写されていて、
ドラマを見ているような感じで心地よく読み進めました。

途中から妻の、いたづらにしてはひどすぎる異常な行動にひやっとしましたが、大事にも至らずほっとしました。
でもこういうことは罪の意識としてずっと悔やまれるかな……と。

13/05/31 草愛やし美

泡沫恋歌さん、拝読しました。
この妻の嘆きや怒りは、決して特別なものではないと思います。世間一般のどの夫婦も、持ちうる気持ちなのではないでしょうか。夫婦って何なのでしょうね。夫婦は男と女の決意のもとに成り立っているものだから、一言で片づけられるような単純な関係ではないと、思います。
一番身近なのに、一番わからない相手が、一緒に暮らしているのかもです。そんな二人ですから、いろいろあって当然なのかもしれません。
でも、しんどい時は、家事、特に子育ては手伝って欲しいものです。躾などは父親のほうが効くと思いますから。

13/05/31 鮎風 遊

男にも女にもそれぞれの意味があり、言い分もある。
それを金魚を通しての日常の物語。
面白かったです。

次は何を飼うのかな?

13/05/31 泡沫恋歌

こぐまじゅんこ様、コメントありがとうございます。

男の人の方が本来ロマンティストだと思います。
女は結婚したら現実主義ですからね(笑)

金魚で現実逃避して、家事や育児を手伝わないのはいけません。

13/05/31 泡沫恋歌

笹峰霧子様、コメントありがとうございます。

この話は元々、以前に勤めていた会社のパートさんが
「うちの旦那は金魚ばかり可愛がって、家族には無関心で腹が立つ」
という愚痴を聞いて、浮かんだアイデアです。

多少、脚色してますが水槽に洗剤を入れたことは事実で、それは子どもさんの
いたづらだったそうです(笑)

そういう意味で割とリアルな話なんですよ。

13/05/31 泡沫恋歌

草藍さん、コメントありがとうございます。

そうなんですよ。
一番身近に居るのに、案外分からないのが夫婦の関係というものだと思います。

一緒に暮らして何年も経つと・・・かつて、愛していた記憶さえ曖昧になってしまいますものね。
しかし、子育ては夫婦で共同してやっていくことなので、子供が小さい内は
夫に自分の世界に閉じこもられて困ります。

まあ、有りがちな夫婦の日常でした。

13/05/31 泡沫恋歌

鮎風 遊さん、コメントありがとうございます。

それぞれの言い分はあると思います。

これはあくまで主婦である主人公千秋サイドの話なので、夫の和哉が
なにを思っているかはよく分かりません。
あそこまで金魚に執着する理由がもっと知りたい。

是非、男性サイドから反論の作品を書いて頂けると嬉しいですね。

13/06/02 そらの珊瑚

恋歌さん、拝読しました。

恋人が結婚して夫婦になる。生活というものが二人の立ち位置というか心を変えてしまう。それを「金魚」というモチーフでさらりと表現されていると思います。時に敵のように小さな憎悪を燃やしてみたり、また同志に戻ってみたり。

最後の一行で、素晴らしい余韻の残る作品となっていると思いました。

13/06/04 泡沫恋歌

珊瑚さん、コメントありがとうございます。

金魚と夫婦の日常を絡めながら、生活を考えるテーマでした。
夫婦の機微に触れる話になったでしょうか?

この話の元は友人に聞いたことですが、それに面白可笑しく脚色しました。

17/06/15 のあみっと二等兵

拝読させていただきました。

私事ですが、あと少しで自分も入籍するんですが、そのせいか、とてもリアルな描写と流れなので、なんだか背筋がピシッとさせられたと言いますか、大切な事を忘れてはいけないんだ!と、読み終えてから強く思いました。
上手くコメント出来ず、スミマセン。有り難う御座いました!

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