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泡沫恋歌さん

泡沫恋歌(うたかた れんか)と申します。

性別 女性
将来の夢 いろいろ有りますが、声優ソムリエになりたいかも。
座右の銘 楽しんで創作をすること。

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東山公園

13/05/24 コンテスト(テーマ):第三十一回 時空モノガタリ文学賞【 名古屋 】 コメント:21件 泡沫恋歌 閲覧数:5092

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 東京から名古屋へ出張で来た。予定していた会議が相手の会社の都合で急遽取り止めになり、明日の早朝に変更された。日帰りのつもりだったが、また明日出直すのもロスなので栄にビジネスホテルを予約して一泊することにした。その旨を会社に報告して、自宅にも電話を入れた。出張が延びたことを妻に告げるとなぜか嬉しそうな声だった。
《亭主達者で留守が良い》ってやつか? たぶん、今からヒマな主婦を誘ってホテルのランチでも行くつもりだろう。

 エアポケットみたいにぽっかりと時間の穴が空いた。
 明日の朝の会議までやることもないので、今日は仕事を忘れて観光しようかと思いついた。地下鉄に乗って、俺はある場所を目指した。
 十数年前、院生だった頃に名古屋で二年ほど暮らしたことがあった。
 関西出身の俺は大学まで地元だったが、院生試験を受けて名古屋の大学へ編入したのだ。大学院で続けたい研究があったわけではなく、単に独り暮らしを体験してみたかったまで――。院生試験にパスした俺は、引っ越しの下見で立ち寄った「東山動植物園」の桜が見事な満開だったので、その美しさにいっぺんでここが気に入った。
 そして市営地下鉄東山線「東山公園駅」周辺で家を探した。
 
 平日ということで「東山動植物園」の入園者はさほど多くはなかった。
 動物園には園児たちの遠足で賑わっていたが、俺はお気に入りだった植物園の大温室へ向かった。ここは現存する温室として日本最古である。
 温室中はある一定の湿度を保っているせいか、ムゥーとした空気が流れていた。「ちょこっと待ってちょう!」後ろを歩いていた若い女が呼び掛けたので、自分のことかと振り向くと、前を歩いていた彼氏に言ったようだ。
《ちょこっと待ってちょう!》懐かしい方言だった。――ふいに、ある女性のことが脳裏をよぎった。

 当時、知らない土地で暮らし始めた俺は関西と名古屋の違いに戸惑うことばかり。まず味噌汁がダメだった。名古屋は八丁味噌の赤だしで口に合わなかった。方言も独特でユーモラスに感じた。一番不思議と感じたのは市内の近代的な高層ビルとちょっと引っ込むと田舎くさい、その落差だった。
 アルバイト先の先輩女性と付き合っていた。三つ年上で生粋の名古屋っ子の彼女は、他所からきた俺に何かと親切にしてくれていた。名古屋の名物の味噌カツや味噌煮込みうどん、ひつまぶしなどの美味しい店を紹介してくれて、彼女の奢りで食べに行った。休日には学生の俺は金がないので、入園料が安い「東山動植物園」でデートをした。
 ある日、ボートに乗らないかと彼女を誘ったことがある。彼女は「ボートに乗ったカップルは別れる」という東山公園の伝説があるから絶対に嫌だと真顔で断った。その時、俺はただ笑っていた。
 その内、親に紹介したいからと岡崎にある彼女の実家に連れていかれた。名古屋の家庭料理を振舞われて居心地は悪くなかったが……何か、ヤバイ方向へ進んでいることは察知していた。

 卒業が近づいて来て、俺は就職や進路について岐路に立っていた。そんなある日、東山公園の芝生の上で彼女の手作り弁当を食べていた。
 二人の将来について、俺が何も話さないので彼女はかなり焦っていたようだ。
「就職どうするの?」
「まだ決まっていない……」
 実は東京の企業の内定を貰っていた。
「私のことどう思ってるの? 名古屋は嫌い?」
「嫌いじゃあないけど……」
 俺は言葉を濁して、青い芝生に目をやった。
「私たちどうなるの?」
「……分かんない」
 煮え切らない返答に彼女は怒ったように立ち上がると俺を残して帰ってしまった。

《温かいけど、溶け込めない。好きだけど、執着するほどでもない》
 ――彼女も名古屋も俺にとってはそんな存在だった。
 結局、東山公園での事がわだかまりとなって、二人の関係は自然消滅してしまった。自分を選んで、名古屋に残ってくれるとばかり思っていた彼女は、俺の態度に深く傷ついたようだった。
 名古屋という土地には強い地元意識があって、よそ者の俺には馴染めなかったのだ。

 東山公園の伝説「ボートに乗ったカップルは別れる」と言ったが、あの時、彼女は嫌がってボートに乗らなかったけど、結局、別れる羽目になってしまった。
 もし名古屋に残って彼女と結婚していたら、俺はどんな人生を送っていたのだろうか?
 たぶん、彼女だって亭主の出張を喜ぶような妻になっていたに違いない。俺の人生なんて、どう転んでも大差はなかったことだろう。
 もう彼女の顔も声も忘れてしまったけど、東山公園の桜の風景だけが、俺の心に焼きついて離れない。
 明日になれば、旅人の顔に戻ってビジネスの話をしたら俺は名古屋を去っていく。お土産に妻の嫌いなういろでも買って帰るとするか――。


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このストーリーに関するコメント

13/05/24 泡沫恋歌

「東山動植園」の写真はネット検索のものを使わせて頂きました。


大昔に2年ほど名古屋で暮らしたことがあります。
千種区東山通り、「東山動植園」へ歩いて10分くらいで行ける距離でした。
名古屋は個人的には好きな町です。
人は温かくて、街に活気があり、都会と田舎がバランス良く共存している、
そういうイメージが名古屋にはあります。

今年の秋に名古屋方面へ旅行する予定ですσ(´∀` )ァタシ

13/05/24 そらの珊瑚

恋歌さん、拝読しました。

誰にも思い出の地ってあるもので、あのとき、違う選択をしていたら自分の人生はどうなっていただろう、って想像すること、あると思います。
主人公にとって名古屋は少し苦い思い出だったのかな?
結婚するまでの縁がなかったということだったのでしょうね。

13/05/24 光石七

拝読しました。
東山公園、懐かしいです。
人によりさまざまな思い出があるのですね…
《温かいけど、溶け込めない。好きだけど、執着するほどでもない》
妙に共感できますね。印象的なお話でした。

13/05/24 草愛やし美

泡沫恋歌さん、拝読しました。
奥さまは、ういろう嫌いで、苦笑いしました。それでも、名古屋を主張するお土産を買いたかった気持ちが少しわかるような気がします。
私の思い込みかもしれませんが、名古屋というか愛知の風土は、独特と思います。西にも東にも属さず、織田の尾張をいまだに引き継いでいるかのような……、だけど、天下取りまでには至っていない。たぶん、それは、農工産業中心の町なので、仕方のないことかと思います。そんな名古屋らしさがよく伝わる作品だと思いました。

13/05/25 泡沫恋歌

珊瑚さん、コメントありがとうございます。

私なんかよく引っ越ししたんで、あっちこっちに思い出あります(笑)

この主人公は名古屋で人生の選択(結婚)を迫られて逃げてきた男です。
まだ学生の身では社会に出る前に結婚までは決められないでしょう?

男としてズルイと思う反面、致し方ないとも思う。

13/05/25 泡沫恋歌

光石七さま、コメントありがとうございます。

確か、光石七さまも名古屋に住んだ経験があるんでしたよね?

あそこはなんというか、独特の雰囲気あります。
関西ほど分かりやすくはないのだけど、地元意識がすごく強い土地だと
私は感じました。

でも、名古屋は住みやすい町でしたよ。

13/05/25 泡沫恋歌

草藍さん、コメントありがとうございます。

この最後の妻の嫌いなういろ・・・
というくだりは、亭主の出張が延びて喜んで羽根を伸ばしていると思われる妻に対する
イヤミというか当てつけなんですよ(笑)

わざと嫌いなものをお土産に選んだ男は、ちょっと嫌な男だけどね。

名古屋に関する草藍さんの考えには、私も同感です。
まだ、あの地では戦国時代が終わっていないかも・・・(笑)

13/05/25 泡沫恋歌

凪沙薫さま、コメントありがとうございます。

名古屋は一見地味ですが、住んでみるとなかなかユニークな街だと
分かります。

モーニングなんて・・・どんだけ! というくらい料理がいっぱい出てきます。

全般的に食べ物も美味しいですよ。

13/05/25 クナリ

ラストのところで、主人公が彼女の顔も声も忘れてしまったというのがリアルで心に残りました。
もんのすごい大好きというわけではなかったとしても、でも忘れられないんでしょうね、その人がいたということや、その人と過ごした時間というのは。
そして思い返しては、現在と何度も比べてしまったりして。
繰り返す日常の中、ふと特別な過去に思いを馳せる主人公が、自分に重なりました。

13/05/26 メラ

切ないですね。若く身勝手で甘ったれな男心が絶妙です。
「妻の嫌いなういろ」これがまた味を出しています。良作。

13/05/26 ハズキ

門にかいたコアラが可愛い。

ボートに乗っても乗らなくても、結局は別れたかなとも思います、なにか、運命というものを考えさせてもらいました。

もしも あの時 って思うこと 人生の中に度々ありますね。
嫌いな外郎を買って帰るというのも、二人の関係を垣間見るようで、面白い表現です。

13/05/26 光石七

すみません、ちょっと誤解を招く書き方でした。
《温かいけど、溶け込めない。好きだけど、執着するほどでもない》に共感できる、というのは、名古屋がそうだというわけではなく、物事に対する一つの距離感としてわかる、という意味です。
失礼しました。

13/05/26 泡沫恋歌

クナリ様、コメントありがとうございます。

若さゆえの傲慢さから、自分に尽くしてくれた女性を裏切った男ですが、
それでも甘く痛い思い出として彼は一生引きずるのだと思います。

どっちの人生を選んだ方が幸せになれたかは分かりませんが、
彼曰く、俺の人生なんて、どう転んでも大差はなかったことだろう。
案外これは正解かも知れない(笑)

13/05/26 泡沫恋歌

メラさん、コメントありがとうございます。

若く身勝手で甘ったれな男心が絶妙と褒めて頂いて嬉しいです。
作者は女ですが、割と男性サイドから描くのが好きです。

たぶん、今まで書いた小説の半分は男性主人公だったと思います。
まあ、それだけ男性心理を知るために人生勉強もしてきたつもりです(笑)

13/05/26 泡沫恋歌

ハズキ様、読んでいただきコメントまでありがとうございます。

東山動物園はコアラが有名みたいですよ。
私も名古屋に住んでいた頃にコアラ見に行きました。

人生のいろんな選択肢で、ああすれば良かった、こうすれば良かったと
後で後悔して思うことが多々ありますが、結局、人生なんて・・・
自分自身が決めていくことなので、結果として大差はないと思います。

妻の嫌いなういろをわざわざお土産に選ぶ当たりが、この主人公の
屈折した人間性でしょうか(笑)

13/05/26 泡沫恋歌

光石七様、わざわざコメントありがとうございます。

《温かいけど、溶け込めない。好きだけど、執着するほどでもない》
こういう距離感は誰もがあると思います。

これは名古屋に限ったことではなく、全ての物の見方だと理解しています。

13/05/28 鮎風 遊

名古屋を一気にグルメ観光させてもらったような、わかりました名古屋が。

さらりと流れ行く男の心情が良かったですよ。

13/05/28 泡沫恋歌

鮎風さん、コメントありがとうございます。

名古屋で食べたことがある料理をできるだけ、作中の織りこんで
書いてみました。
名古屋は美味しいものいっぱいです!

実は私はういろ大好きなんですよ。

13/05/28 平塚ライジングバード

泡沫恋歌さん、拝読しました。

他の方のコメントにもありましたが、(温かいけど、溶け込めない、好きだけど、執着するほどでもない)という言葉が印象的でした。

主人公は名古屋を去ったあと、「溶け込める環境」や「執着できる存在」に巡り会えたのでしょうか。もしそれが今の妻だったのなら、意地をはらずに妻の好きなお土産を買って帰ってほしいな…とそんなことを勝手に考えてしまいました( ̄▽ ̄;)

淡々としていながら、深く、かつ読みやすい。そんな物語でした。
ありがとうございます♪

13/05/31 泡沫恋歌

平塚ライジングバード様、読んでいただき、コメントまでありがとうございます。

「温かいけど、溶け込めない、好きだけど、執着するほどでもない」

この言い方はちょっと名古屋に失礼だったかなあと心配していますが・・・、
しかし、この言葉がイメージとして浮かんだからこそ書けた作品でもあります。

この男は本来、物に終着しないタイプで因って相手からも大事にされないという
タイプだと思います。

それがこの男の生き様で世話になった女性を理由もなく捨てた時点で
「幸せになってはいけない」フラグが立っています。

これが妻の嫌いなういろを買う男の人生だと思う。たぶん・・・。

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