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冷たいあむあむ

13/05/22 コンテスト(テーマ):第三十二回 時空モノガタリ文学賞【 ラーメン 】 コメント:0件 おでん 閲覧数:1368

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 久しぶりに天気予報が外れた。
 ぽたらぽたら屋根を鳴らす雨雲は、いっこうにこの街から去ろうとしない。
 こんな日はきまって、過去が流れる夜である。
 
 
 五つぐらいの時、両親の仕事の都合上、自分はよく祖母の家にあずけられていた。
 祖母の性格は明るく、夏の向日葵みたいな人だった。自分が家に行くとうんと喜び、近所の商店で買ってくる菓子で、いつも器をいっぱいにして待っていてくれた。だから自分は、祖母のことが大好きであった。

 そんな二人の間で、ちょっとした遊びが流行った時があった。
 あれはたしか、自分が覚えたての英語を発したのがはじまりだった。
「ばあば、猫のことを英語でなんていうか知ってる?」
 すると祖母まで得意げに、
「知ってるに決まってる。ジャットだろ」そう鼻を鳴らす。
「違うよ、キャットだよ」自分が笑いを堪えて訂正するも、
「ジャット」
 と、滑舌の悪い祖母はてんで駄目であった。
 以来、二人の中でこの「じゃ」がブームとなり、とにかく、会話の最後には絶対に「じゃ」をつけなくてはならないという幼稚なルールが取り決められた。
 ある日のこと。
「ばあば、腹がすいたじゃ」
 自分が言うと、祖母はふふふと笑ってから、
「ばあばも、そうじゃ」
 と言っては、大きなお腹を手でさすりさすりした。
「なにか、食べたいもんはあるか?」
 自分は、すぐに言葉遊びを忘れてしまう祖母をきっと睨みつけてから、
「ラーメンが食いたいじゃ」
 と、語尾にアクセントを置いてこたえた。
「ラーメンちゅうのは、支那そばのことじゃな。たしか田中さんのとこで売っとったな。ちょっと待っとれ――じゃ」
 そんな風に「じゃ」を自分の子守りのように残しては、近所の商店へと走っていた。
 五分も経たずに帰ってきた祖母は、カエルが田んぼに戻るよう台所へと立った。
 やがて盆を運んでき祖母は、染みだらけの割烹着姿のまま掘りごたつに足を入れた。
「はじめてつくったから上手にできたかわからんけど、田中さんの言う通り案外簡単じゃった。ただもうちいっと説明書きの文字を、大きく書いてくれたら良かったんじゃが……」
 祖母はぶつくさ呟いていたが、言葉遊びには慣れてきたようだった。でも自分の頭にはもう、前で湯気立てているラーメンのことしかなかった。お店で見るような具は一切入っていないけど、醤油がこげたようなかおりと、黄金色に輝く麺が、幼いながらにうんと魅力的に目にうつった。
 自分が箸を持ったその時、ちょっと待てと止められた。
「こんな熱いもんすぐに食うたら、舌が火傷しちまうじゃろに」
 祖母は、おもむろに自分の器を手元に引き寄せると、箸で数本麺をすくいあげた。そして腕を高くのばして持ち上げて、麺の下先を口に含むと、もごもごと頬を動かした。やがてにゅるりと出されたその麺は、こちらにほいと差し向けられた。
 あろうことか、自分はそれを一度食べてしまった。
 が、激しい嫌悪感を覚えてすぐにぺっと吐きだして言った。
「ばあちゃん、なんでこんなことするの」
 祖母はおろおろとうろたえながら、
「口の中で、あむあむして冷ましたんじゃ」
 とこたえた。食欲を減退させられた上に、こんなときにまで言葉遊びのルールを守っていることが腹立たしかった。自分は乱暴に器を引き戻すと、かきこむようにラーメンを食べた。むせびながら麺を咀嚼し、やり場のない怒りを鎮めるのに必死だった。
 
 その日、祖母はずっと悲しい顔をしたままだった。でも謝ろうとは思わなかった。なんと謝ればいいのか分からなかったし、悪いのは向こうだと、自分に何度も言い聞かせていたから。
 それから月日が流れると、大きくなった自分には、祖母の家に行く理由がなくなってしまった。身内の家に行くのに理由が必要だなんておかしな話だが、あの一件以来、以前と同じような感覚では、祖母を訪ねることができなくなってしまったのだ。

 
 月日がさらに流れても、雨は相変わらず止む様子がない。
 本来は出かけるはずだった今日。昼は家にあるものでということで、ラーメンを食べることになった。
 妻の作ってくれたラーメンには具が沢山入っていた。苦手なシナチクを器のはしに寄せる娘の顔は、五歳になってから急激に大人びてきたよう思えた。
 でも、ラーメンは昔から変わらずに熱そうであった。
 自分は、ふーふーが届かない麺の下先で、娘の舌が火傷しないかと心配になった。
 そして気づけば、あの日の祖母と同じように、麺を口に含んであむあむしていた。
 娘は目を見開き驚いたような顔を見せてから、
「パパ、気持ち悪い」
 そう、苦い表情ではっきりと言った。
 
 ……娘は今、妻と一緒にお風呂に入っている。
 繰り返しになるが、月日はどんどん流れていくのに、今日の雨は止みそうにない。(了)


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