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yoshikiさん

面白い作品を知り、自分でも書いて見たくなって何年も経ちました。よろしくお願いします。 2010年 小説現代S&Sコーナーに初めて送った作品が掲載されました。作品名『幽霊の見える眼鏡』 とにかく面白いものが書いていけるといいなと思っています。 イラストはエアブラシと面相筆で昔描いたものです。

性別 男性
将来の夢 楽隠居
座右の銘 不可思議はつねに美しい、どのような不可思議も美しい、それどころか不可思議のほかに美しいものはない。アンドレブルトン

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サーカス

13/03/19 コンテスト(テーマ):第四回 【 自由投稿スペース 】 コメント:4件 yoshiki 閲覧数:1720

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 1

 高史と言う男はかなりの悪人であったが、なぜ彼がナイフ投げの標的となって生命の危険に晒されたのか、その事について述べていこうと思う。
 大杉高史は歳の頃なら三十過ぎで、新しい街に流れて来た時には大抵の者が彼の本性を見抜けなかった。見た目が明るくひょうきんで良くしゃべるし、気の利いた事もできる。顔立ちだって決して悪くはなかったから彼の評判はむしろ良いほうだったろう。だが高史には前科二犯の暗い過去があった。
 昔から続いた仕事など一つとしてなく、近頃は不動産ブローカーをやったり、詐欺まがいの商法で法外に儲けたりした。その金と口八丁でうまく女を騙し、紙屑のように捨ててしまうのも一度や二度ではなかった。
 あるとき高史はとんだドジをふんだ。最近になって悪仲間と始めたあこぎな闇金で荒稼ぎをしたのはいいが、仲間の一人、周二と言う男と金の取り分を巡って揉め、逆上した高史はその男を刺してしまったのだ。すぐに兇行は発覚し、警察に追われる身となった。逃げて逃げて、辿り着いた先にサーカスがあった。
 夕暮れの中にその白いサーカスの円形天幕の輪郭がぼーっと浮かび上がっていた。
 その時の高史は手負いの獣のように苛立ち、凶暴になっていた。そして町中に私服警官が張りこんでいるかような強迫観念にかられていた。事実、背後には警官と刑事たちが迫っているのだった。だから高史は彼の得意な逆転の発想をもってサーカスの中に身を隠そうと思った。人のいない閑散とした場所に逃げるよりも、人ごみの中に紛れ込んだ方が安全と考えたのだ。昔の小説に出て来るような安い手だ。
 近年、鹿島サーカスは盛況で大勢の観客が詰めかけ、活気にあふれていた。猛獣の火の輪くぐりや、空中ブランコはもとより、数々の魅力的な演目が用意されていたからだ。高史はとにかく野球帽を深くかぶり、顔を隠すようにして客を装ってサーカスの観客席に入った。
 そして綱渡りやトランポリンなどの華やかな出し物に魅了されたふりまでして、大声で応援したり手を叩いたりして客になり切ろうとした。が、高史は背後に嫌な視線を感じた。私服刑事が彼を睨んでいるような気がしたのだ。
 これは高史の錯覚のような物であったのかも知れないが、どうしても高史は気が落ち着かず、今度はステージの裏側、つまり楽屋の方にやってきて衣装箱か何かに隠れてしまおうとした。だが、なかなかいい隠れ場所が見つからない。
 うろうろしているうちにドアが少し開きかけている部屋があり、高史は追われるものの緊迫感から、その中にまで入ってしまった。そこは畳の上に薄での絨毯が敷いてあり、ベニヤの安っぽい衣装戸棚や三方開きの鏡台やらが乱雑に配置されている、なにかムーッと白粉の臭いのする狭い部屋であった。その鏡台に向かって一人のピエロが座ってメイクアップをしているところだった。そのピエロは侵入者に気づくと、ちょっと迷惑そうに言った。
「あれっ、お客さん。ここは私の楽屋でして客は入れません。困ります。どうか客席の方にお戻り願います。お願いします」
 そう言ってそのピエロはぺこりと頭を下げた。
「へへへっ、こりゃあどうも、トイレを探しているうちに楽屋に入ってしまったようで」
そこで高史は苦笑いをしながら頭をかいた。そして続けた。
「こりゃ、どうもすいませんねえ。失礼しました。ところで厚かましいのですが少しだけ、ほんの少しだけ私をここにおいてくださいませんか」
 ピエロが分厚い化粧の中の目で一瞬じろりと高史を睨んだ。だが高史はそこに立ったまま、後ろ手にドアを静かに閉めた。ピエロが不満そうな顔をしたが、この瞬間にはもう高史の胸中に破れかぶれの恐ろしい衝動が突き上げていた。彼は懐から財布でも取り出す素振りをして、周二を刺した小ぶりのナイフを抜き出すと、間髪入れずにピエロの横腹に突き立てた。そして口を傍にあった布でおさえ、声と返り血とに細心の注意を払いながら、ピエロの上から覆いかぶさるような格好で彼がなんの抵抗もできなくなるまでナイフを執拗に振り下ろした。
 高史の脳髄に狂気が迸っていた。だがその狂気は悪辣だが冷酷な考察力をも持ち合わせていた。高史は動けないピエロを奥にあった毛布で何重にもくるむと、衣装戸棚を開け中の衣装を数枚引っ張り出し、その衣装戸棚の中に凄い力で押し込んで、さらに自分の上着を重ねて入れて扉をばたりと閉めた。
 そして高史はピエロと自分との体型が似ているのをいいことに、ピエロの衣装を着込み、自分がそのピエロになりすます事に決めたのだ。目に焼き付いたピエロの顔を思い浮かべ、鏡を見ながら白いドーランを顔一面に塗りたくり、サクランボのような赤い鼻をつけ、黒いアイシャドウをほどこす。そして高史は腹を決めたように、落ち着いて煙草をふかすのだった。

 2

 鹿島ヒナはこのサーカスの団長の二人の娘の姉であり、サーカスではこれと言った芸もなく雑役みたいに働いていた。器量も良くはなく口数も少なく、あえて言うなら日陰者であった。 そしてヒナには未だに払拭しきれない悲しい過去があった。と言うのもヒナは団長、鹿島真輔の妻、千賀子の実の子ではない。鹿島の前妻玲子の子なのだ。今から十年以上も前にヒナの実の母、玲子は巡業先のイギリスで死亡した。玲子は空中ブランコのメンバーであったが、演技中に誤って地面に落下し首の骨を折って即死している。
 近代サーカス発祥の地、イギリスでの興行は鹿島の夢であった。それに伴い玲子は気忙しく働き過ぎて著しく体調を壊していたのに、押して演技をしたのがいけなかったのだろう。その時はロンドン警視庁の取り調べを受けたが玲子の死因は事故であったとされた。
 だが千賀子の実の娘、妹のユリは今やサーカスの花形であった。鹿島サーカスではユリのナイフ投げの演目が興行の呼び物の一つになっていた。ユリは小柄ではあるが均整のとれた肢体と、愛らしいマスクを持っていて観客達を魅了した。その美貌が世の男性たちの心を射たのはわかるが、女性たちさえ彼女のその優しくて凛々しい笑顔にとても好感を持っていた。スターというものがいくつの条件を満たせばそれになれるか判らないが、彼女はそのスター性を十二分に備えていた。
 過去はまあ、ともかくとして、いつしか異母兄弟であるヒナとユリの間に女同士の確執が生まれた。つまりこの二人は同じように鹿島真輔の愛と祝福とを欲していた。ヒナの義母千賀子は表面こそヒナに優しく接したがその実、血縁のないヒナをどうしてもユリと比較してしまう。
 実は千賀子もまた若い頃、とても美人でアクロバティックな演技で名を馳せた、空中ブランコのメンバーだったのである。ユリはその容姿と卓越した身体能力を千賀子から受け継いでいた。だから鹿島真輔はユリが七歳の時から空中ブランコとナイフ投げ妙技を徹底的に仕込んだ。とても厳しい指導であったがユリはそれに耐えた。
 むろん鹿島は同じようにヒナにも芸を教え込もうとしたが、ヒナは何をやらせても駄目であった。動作がのろまで機敏な事は苦手なのだ。逆に厳しい稽古はヒナに地獄のような苦痛と、ユリに対する僻みを芽生えさせた。
 ヒナは幼心にもこの新しい父に大切にされるには、サーカスの花になることが一番手っ取り早いと、直感的にそう感じ取っていたけれども、それが思うようにできなかった。
 父と特に母の前ではいつも何でも「はい」と素直にいう事をきくヒナだったが、実の母を失ったか悲しみは心の隅に残っていた。そしてどこかにやり場のない孤独を抱えていた。ヒナは父を敬う反面、サーカスの団員たちをまるで品物の様に値踏みする父がどうしても好きにはなれなかった。
 そして母の死の原因はもしかしたら父にあるのではないかと妙にひねくれて考えていた。つまり体調の悪かった母に休息もろくに与えず、空中グランコの演目を押してやらせた父にこそ、父の非情こそが母を間接的に殺したのではないかと、今年二十歳の誕生日を迎えたヒナにはそういうに思えてならなかったのである。
 ある時、鹿島サーカスの盛況を祝って近くのホテルで贅沢な宴会が開かれた。無論そこには鹿島もユリも団員達の大勢が同席していたが、酒好きの千賀子はその席でヒナにこう言った。
「あなたはもうサーカスで働くのはおやめなさい。学校なんて行かなくていいから、いい旦那様でもみつけて家庭に収まるのが一番、身の安全だわね。その器量じゃ結婚も難しいかもしれないけれど、ここにいたのじゃ、生涯うだつは上がらないわ。あなたとユリとじゃ、出来が違うのだからね」
 その時のヒナの目は異様で、まるで下から狂犬のように千賀子を睨んでいた。そしてなにか思いつめたようにその席から出て行ったのである。その様子を見て「おいおい、千賀子そんなこと言ったらヒナが可哀想じゃないか」と鹿島は言ったが、すぐ他の雑談に花が咲きそんなことはつい忘れてしまうのだった。
 ヒナは仮住まいの自分の部屋に戻ると、母の形見の赤い櫛を抽斗からそっとだし、人知れず泣いた。すると優しかった母の面影が胸の中に鮮明に浮かんでくるのだった。今でもどうかするとあの母が暖かく微笑んでそのドアから入ってくるような気までしてくる。ヒナはマイナー思考の名人でなにかあると思いつめてしまう性格であったし、義母の千賀子がこの時ほど憎いと感じたこともなかった。
 そしていつの頃からか家族に対しての反発、反感が燻ぶり始めていた。そしてその抑えがたい感情は日に日に強くなる一方なのであった。父も母もユリもとても幸福そうなのに、自分は全然、幸せではない。希望なんてないのだ。見てくれも悪いし賢くもない。友達もいないし、彼氏もない。
 だがそれはサーカスという特殊な環境のせい(サーカス開演中はコンテナで生活するとか、転校を重ねるとか)もあったのだが、ヒナはそれをも家族のせいにして、なんとか三人の幸福を阻み、不幸にしてやりたいという恐ろしい思いに取りつかれているのだった。

 3

 ヒナのそのちょっと暗い、拗ねた心がいつかあまり質の良くない仲間をつくった。ヤンキーの啓太と言う青年とヒナは付き合うようになり、色々と世の中の悪い事を覚え始めたのだ。
 啓太は痩せぎすだが野生味のある、不敵な面構えをした親のいない青年でヒナと妙に心の通じるところがあった。金髪で風体も悪かったがその瞳に深い孤独を宿していた。
 ある夜、サーカスの近くの公園で二人はこんな会話を交わしていた。
「なあ、ヒナ。お前の妹はすげえナイフ投げの名手らしいな。このまえ駅でサーカスのポスターを見たぜ」
「あらそう、あんなの子供の時からやっているのだもの。誰にだって出来る」
「ふーん。まあサーカスを観に行きてえから、ただで入れろよ。俺は今まで一度もサーカスを観たことがねえ」
「チケット買ってよ」
「ちぇっ!」
「そんな事より、あんたの知恵をかしてほしいんだ。あたしはスター気取りの妹がこの頃憎たらしいの。だから何とかナイフ投げに味噌をつけたいのよ」
「そうかおまえ、妹と仲が悪いみたいだからな」
「妹も、母さんも、それに父さんだってあたしは嫌いだ」
 その時のヒナの目にはなにか暗い、空恐ろしい炎が映っていた。
「そうだな、それじゃよ」
 そう言うと啓太はしばらく夜空の果てを眺めていたが、急に振り向くようにして狡猾な表情でヒナを睨んだ。
「いい手を考えたが、そのかわりサーカスをただで観させろよ」
「いい手って、いったいどんなのよ」
「薬を使えばいいんだ。面白い事になるぞ。へっへ」
「薬? やばくないの?」
「大丈夫さ、俺の仲間に幻覚剤を持っている奴がいる、一種の睡眠薬だ。それは即効性らしい。この前その話をそいつとしていたばかりだ」
「で、どうすんのよ」
「お前の妹に演目の間際にそれを飲ませるんだ。きっとしくじるぜ。ははつ、ナイフ投げに仕掛けはないんだろ」
「ええ、あれは神経を集中しなきゃできない」
「ならいいや。全然見当違いにナイフが飛ぶか、標的になった人間にずぶりといくな。きっと。ははっ、妹はラリっちまうぜ、きっと」
「そう、そりゃいいわ。そうなればユリはおしまいね」
 その時の二人はまるで悪魔に憑かれたようであった、次々と悪知恵が働き、ねじれた心を満足させるように周到な打ち合わせをして、不気味にほくそ笑むのであった。

 4

 大杉高史は出番ですよと、スタッフに告げられた時とても困った。彼は自分の素顔がばれないように入念なお化粧をしていたけれども、まさかステージに立つ事など考えてもいなかったからだ。しかし事態は高史にとってとてもまずい事になっていた。仕方なく仮病でも使おうかと思っていたが、なんとそこに華麗に着飾ったユリが来て驚くべきことを告げるのだった。
「ねえ、幸次さん。用意はできて? あなたはこのステージが初めてだけれど、必要以上に緊張しなくたっていいのよ。あなたは何もせずに立っていればいい。ピエロのあなたをナイフ投げの標的にするのは父の思いつきだけど、とてもいいアイデアだとわたしは思うのよ。これであなたの名も上がるだろうし、わたしたちの事、父も祝福してくれるでしょう」
 清水幸次と言うのは二年前にこのサーカスに入った、パントマイムの得意な好青年で、以前は大道芸としてその洗練された演技を披露していたが、あるとき鹿島がそれを見とめ、サーカスの一員に迎え入れた。そしてユリと幸次は忽ちのうちに恋に落ち、好き合うようになっていた。
 ああ、それなのに哀れな幸次は今や心臓の鼓動さえなく、血まみれになって衣装戸棚の中の押し込まれているのだった。
 大杉高史はユリの呼びかけにちょっと頷いてすぐ横を向いてしまった。面と向かう勇気はさすがにない。しばし途方に暮れた高史だったが、その図太い神経はステージに立つことを選択させた。いきなり仮病を使うのも妙だし、だいいち団長が承知しないだろう。それにナイフ投げのことだってニュースなどで薄々知っていたから、何もそれほど難しい事はない。ちょっと失敗しそうになったって俺はピエロなんだ。みんな演技のうちだと思うに決まっている。そんな風に考えて大杉高史は度胸を決めてしまった。
 そしてちょうどそこにヒナが現れた。ヒナは早足でユリの傍によってきてこう言った。
「ねえユリ、いい飲み物があるのよ。これを飲んでステージに上がるといいわ。神経を集中させるおジュース。とても気分がしゃきっとするの。頑張ってね。あたしも飲んだけど気分爽快!」
 ユリはもうステージの方に向かいかけていたけれども、とても素直に
「まあ、姉さん。ありがとう」と言ってそのグラスに注がれてある、薄いオレンジ色の冷たいジュースを一気に飲み干した。

 5

 最初にユリはサーカスのカラフルなステージに立つと約一分ほどの新体操のようなアクロバティックな演技をこなして客をおおいにわかせた。大勢の観客、沢山の子供たちが彼女にまるで天使か女神でも見るような熱い視線を送っていた。
 そして深紅のレオタードと腰に着いた孔雀の羽がとても美しく調和していた。やがてそれが済むとあたりの照明がいきなり消えて、つぎにステージの上を四方から眩しくスポットライトが照らした出した時には、舞台上に黄色の四角い化粧ボードがワイヤーで立てられていて、光線の真ん中にピエロが立っていた。
 両手両足を広げてボードを背にした高史はとても緊張して身じろぎもしないのだった。そして可愛い男の子が舞台のそでから出てきて、高史と三メーターあまりの真正面に立ったユリに八本のナイフを渡した。そのたびに鼓笛隊がドラマチックな音楽を奏でだ。
 この時の高史の心臓はもう張り裂けそうだった。それはとても怖いのだった。まかり間違えばナイフは高史の肉体に容赦なく喰いこむに違いないのだ。しかし今となっては高史には歯を食いしばり、目を閉じる事しかできなかった。ここさえ無事にやり過ごせば、なんとか逃げられるという頭が彼にはあった。が、その時、あろうことかユリの足元が不意に揺らいだ。

  *  *

 鹿島真輔は沈痛な様子で男から名刺を受取った。警視庁の一室である。名刺の肩書はこうであった。『警視庁刑事部・捜査課第一課長・小布施直太朗』
「しかし、あのピエロがまさか指名手配の男だなんて、まったく気が付きませんでした。私はピエロの首筋にナイフが刺さったときには生きた心地がしなかった。てっきり清水幸次だと思っていましたからねえ。それにしても……」
 そう言うと鹿島は眉間に深い皺をつくってうなだれてしまった。
「しかし、一番ショックなのはヒナがユリに薬をもったという事です。ああ、あの子はいつからそんな恐ろしい子になってしまったんだ」
 小布施直太朗と言う若い刑事は鹿島の肩に手をかけて、いくぶん悲しそうな顔をしていた。だがその瞳の奥に何かが鋭く光っていた。
「ヒナさんはきっと、妹さんがとても羨ましかったのでしょう」
「それにしても、ユリがとても可哀想だ。ユリは恋人をあの殺人犯に殺された上に、自ら投げたナイフであいつを殺してしまった。まあ復讐と言えばそうかもしれんが、ユリは心に深い傷を負ったに違いない」
「ええ、お気持ちはお察し申し上げます。しかし」
 と小布施直太朗は鹿島の目をしっかりと見て言った。
「しかし、大杉高史は本当は死なずに済んだのです」
 その言葉にちょっと驚いたように鹿島が小布施刑事を見上げた。
「ユリさんの投げたナイフは三投目に大杉高史の首筋に刺さりましたが、実はそれは彼がナイフを避けようとしたからなのです。ユリさんは薬で身体がいう事をきかなくなっていたにもかかわらず、ナイフを正確無比に飛ばした。それは幼いころから訓練された神技ともいうべきものでした。ユリさんは精神力には驚くべきものがある。ところが高史はその前にユリさんの様子がおかしい事に気づいていた。彼はとても感がいいんだ。だからたぶんユリさんの足元がふらつくのを見て、おかしいと思った。もしかしたらナイフが自分に刺さるんじゃないかと、そう思ったのでしょう。これは恐怖です。だから、ナイフ投げの三投目についに体を動かしてしまったのです。彼にしてみれば両手でもあげて大声でも出せば助かったでしょうが、それは出来なかった。それでは自分の正体がばれてしまいますからね。その様子は映像に残っています。DVD用の映像が撮ってあったのです。それはあなたもご存知ですよね。さすがにユリさんも手から離れたナイフのコントロールは出来ません」
「ああ、そうだったんですか」
「ヒナさんはピエロの首にナイフが刺さったのを見ていた。そして自分は大変な事をしてしまったと思って、あの薬を楽屋で全て飲み干しました。しかしあの薬は毒じゃないから死ねませんでした。哀れですね。ヒナさんは回復しても当分サーカスには帰れません。啓太と言う青年も捕まりました。残念ながら罪に問われるでしょう」
「ああ、ヒナ……」
 鹿島はついに嗚咽した。

「でも鹿島さん。ユリさんは明日にでも退院できるそうです。そうしたらまたサーカスでがんばれますよ。きっと。そしてヒナさんもいつか……」
 小布施直太朗は憂いに満ちた横顔をして静かに噛みしめるようにそう言った。
「ええ、ユリには将来がありますから」
 ――泣き顔の鹿島が、警視庁の窓から外の景色を眺めるようにしてそう答えた。


                    了

 このお話はサーカスのお題で考えたのですが、あまりにも長くなったので、ここに載せさせていただきます。尚、殺人シーン等も出てきますが、出来るだけ残酷でないように心がけたつもりです。苦手な方はスルーしてください。スイマセン


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このストーリーに関するコメント

13/03/21 泡沫恋歌

yoshikiさん、拝読しました。

長い話ですが最後まで一気に読めました。
最後のナイフ投げのシーンはドキドキしましたね。

さすが読者に読ませるのが上手い!

13/03/21 yoshiki

泡沫恋歌さん。コメントありがとうございました。

長いのにお読みいただき感謝感激です。

説明が少し多すぎたかと反省中です。また再考しようとも思います。

毎度ありがとうごぜーましたm(__)m

13/03/24 クナリ

普段よりも文字数の多い作品でしたが、苦なく読めました。
面白かったです。

構成上、順を追って大杉氏らの足跡をたどっていっていますが、この内容であれば、冒頭でもっと大杉氏らの陥った特異な状況を謎を含ませながら描写しておいて、そこに至るまでの過程をドラマティックに記述していった方が読み手を引き込むような気がしました。

良作ですし、けちをつけるつもりなどはまったくないのですが、読み終わった後に、「これは構成次第でもっとドキドキできたかもッ!」と思ったので、失礼ながらお伝えしておきます…すみません。

13/03/25 yoshiki

クナリさん。コメントありがとうございました。

お読みいただき感謝します。

ものすごく感想が納得できました。なるほどと思いました。最初にドカーンと鬼気迫る状況と謎で読者を引き込んでおき、そのあとから謎解きのようにその過程を過去のエピソード等まじえて記述する。王道かもしれません。

機会がありましたらそういう展開も書いてみようと思いました。

なにはともあれ、面白かったです。と言っていただいてとても感謝しています(*^_^*) またがんばります。

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