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堀田実さん

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天にあるという財布

13/03/13 コンテスト(テーマ):第二十七回 時空モノガタリ文学賞【 財布 】 コメント:2件 堀田実 閲覧数:1842

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「うまい棒さえ買う金もない」
康二郎は呟く。財布の中身が空になってから一週間は過ぎたが、一向に事体は好転する兆しを見せないどころか上野の街でホームレスに紛れながら生活することにも慣れてきてしまった。あれだけ汚い臭いと罵り忌避していた浮浪者たちの間にいることも今となっては不思議に思わない。ある意味では天罰だったのかもしれない、ふと彼は思う。蔑んでいた人間になることで運命の神か仏が贖罪の道を歩ませているのだ。
「俺は馬鹿か」
誰もいない花壇に吐露する。ハルジオンが揺れる。幽霊でさえ否定していたのにも関わらず神を思うだなんて。不幸になると理由を説明してくれる何かに頼りたくなるものなのだ。康二郎が20年勤めていた電子機器メーカーの子会社は韓国・中国企業の台頭で経営が傾き、3ヶ月前に倒産した。同時期にかつての友人が夜逃げし、1000万の借金を肩代わりしなくてはならなくなった。貯金も職もなくなったことを告げると妻は黙って離婚届を差し出し、息子とともに実家へと帰っていった。
 自殺ということは不思議と考えつかなかった。決して歩みたくないと思っていた人生の道筋に自らも立たされているということを考えると自死する思いに至らないことは意外だった。実感がないのかもしれない。これから浮浪者になって路上で死ぬか生活保護を受けなければいけない状況にいることに。しかしそれにもまして目の前にある景色、青い空や路肩に咲く雑草の小さな白い花、駅を行き交う人ごみ、東京という空気の匂い、縦横無尽にひた走る自動車、ふいに鳴り響く列車の警笛、疲れた人々の顔などは何も変わっていないのだった。全てを手放すことになっても何も変わってはいなかった、あるいはもしかして何も失ってはいないのではないかとふと思うことさえある。

「神は世を深く愛してご自分の独り子を与え、だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで、永遠の命を持てるようにされた」ヨハネ3章16節

教会の中に設けられている勉強室で三人は復唱する。静けさがキィンと耳の奥に鳴り響く。
「康二郎さん、素晴らしいですね。そうです。神様はこの世界を深く愛しています。そして康二郎さんあなたのことも神様は愛してくれています」
アメリカから来たというわずか19歳の宣教師二人組みに声をかけられて以来聖書の勉強をするようになった。理由は何でもない。何もしないで過ごすには一日という時間は随分余りすぎているものだ。
「永遠の命の意味はわかりますか?」宣教師は尋ねる。
「いいえ、わかりません」
「大丈夫です。康二郎さんも意味がわかるようになります」彼らは続けた。「私たちは死ぬと霊界に行きますが最後の審判が訪れる前に復活します。そして善く生きた人は永遠の命を得ると私たちは信じています」
 なんて話だ。今の時代に永遠の命を得られると思っている人間がいるだなんて、しかもわずか20歳にも満たない若者がそう信じていると言う。世も末か?あるいはあの大国アメリカはしばらくの間こんな滑稽な話を本当に信じていたのだろうか?あの大戦中もその後も。
「難しい話だね。死んだあと復活するって?この肉体が火葬された後でさえも、私たちはあのキリストのように蘇るって言いたいのかい?」康二郎は嘲笑を込めて言う。『笑わせないでくれよ』これは言わないでおく。
「はい、私たちは復活することを信じています。イエス・キリストが復活されたことをよくご存知ですね、素晴らしいです!十字架にかけられた後確かに彼は墓から復活しました」
康二郎は椅子の背にもたれかかる。ゆっくりと生きを吐きながら白色の天井を眺める。眼の中の埃がゆっくりと壁面を這っていく。まるで違う世界に迷い混んでしまったようだ。職も家族も失ってから、全く違う現実に身を置き始めている。かつてないほど平穏で頭の飛んだ日常に俺は右足を踏み入れようとしているんだ。せせら笑う友人の声が聞こえる。
『俺の借金返しておいてくれよ?替わりにプレゼントやるからさw』
しばらくぼぉっとしていると宣教師がチョコレートを手渡した。
「康二郎さん、今はお金がなくて大変かもしれないですけど、神様はちゃんと私たちを愛してくれています。頑張ってください」そう言うとふと分厚い聖書をめくり始めた。「そういえばこんな聖句があります」

「虫食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない天に富を蓄えなさい」マタイ6章20節

彼らは笑顔で言う。「本当の幸せは天に富を積むことで得られます」
康二郎はそっと財布の中身を確かめる。しかし何も入っている筈はなかった。中身は空だ、身も心も。
「形ある愛は?」二人に尋ねるが「神様はあなたを愛しています」としか言わない。「神様がすべての形を創りました」


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このストーリーに関するコメント

13/03/16 光石七

失礼ですが、クリスチャンの方ですか?
私自身は違うのですが、聖書をかじったことはあるので、言わんとすることはわかります。
万民に受け入れられるのは少し厳しいかもしれませんが、康二郎とともに神の愛に気付く方が増えればいいですね。
私はいいお話だと思います。

13/03/19 堀田実

光石七さん

はじめまして。コメントありがとうございます。
確かにそうですね。
改宗する前から海外小説が好きで、キリスト教的価値観が出てくる世界文学が好きでした。だから自分の書く小説でも聖句を使って見たくなります。
否定的な意味でも肯定的な意味でも”神”というワードが好きなんですね、たぶん。僕自身神の愛が本当にあるのか模索してますし、本心からそれを感じられるようになれたらなと思ってます。

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