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W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

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サッチモ母さん

13/03/11 コンテスト(テーマ):第二十七回 時空モノガタリ文学賞【 財布 】 コメント:2件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:1981

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 竜樹は、栄子の目がじっと、じぶんの右手にむけられているのを意識した。
 喫茶店でひとときをすごした後、レジにたとうとして彼が、ポケットから財布をとりだしたときのことだった。
 竜樹もまた、ひじょうな関心を目にこめて、栄子をながめた。
 彼女がどんな反応をしめすかで、おおげさにいえば彼の、今後の人生がかかっていた。
 彼の手には、おおきながまぐちが持たれていた。
 このがまぐちは、竜樹が都会にでるときに、おふくろがくれたものだった。婦人ものの、とてつもなくおおきく、さいしょは竜樹もそんなものと、つきかえしたほどだった。
 するとおふくろは、この財布をもってると、お金があつまってくるよといいだした。そんなばかなと、否定はした彼だったが、そのような殺し文句にはからきし弱い彼だったので結局、都会までいっしょにもっていくことにした。
 都会で、一人暮らしをはじめた彼は、田舎の家ではあんなにいやがったおふくろのがまぐちを、かたときもはなさず持ち歩くようになった。そこのところの微妙な感覚は、都会生活をはじめた地方出身の人にはおそらくわかってもらえるのではないだろうか。
 都会にでてから、たちまち3年がすぎた。
 仕事にもなれ、友人もでき、彼女もできた。
 最初の彼女は、竜樹のがまぐちをひと目みて、腹を抱えて笑い転げた。そのとき竜樹は、まるでじぶんのおふくろを笑われているような気分になった。その気持ちはそれからもずっと彼のなかに燻り続けた。彼女はただ、男にしてはふつりあいな財布に、笑いを誘われただけかもしれない。だが竜樹にとっては、この垢にまみれた、ぶよぶよの、おおきながまぐちは、おふくろそのものだったのだ。
 それからというもの竜樹は、なにかにつけ彼女のやることが鼻につくようになった。ひろい心をもてとじぶんをいくらいましめてみても、もはやいったんできた亀裂はひろがるいっぽうだった。
 二人目の彼女もまた、がまぐちを見て笑った。そのときは竜樹も、がまぐちの由来を相手にはなし、理解をもとめようとした。しかし所詮、オヤジといっしょに小さな八百屋をきりもりするおふくろの、どんなに辛いときでも笑顔をわすれなかった人間性など、つたわりっこないとわかった。
 そして3人目の彼女が、この栄子だった。
 彼女とは、よく気があった。同じプロレスフアンで、和食好み、付和雷同がきらいな、服の柄ひとつみてもじぶんをしっかりもっている女性だった。この栄子とはこれからもつきあっていきたい。竜樹の気持ちに偽りはなかった。
 しかしそのためには、がまぐちの問題をくぐりぬけなければならない。
 竜樹がこれまで一度も彼女の目の前にがまぐちをさらさなかったのも、できるだけ結論をさきおくりにしたかったからにほかならない。―――栄子よ、おまえもか。とだけはいいたくなかった。
 しかし、ついにこの日がやってきた。日曜日のきょう、彼女をこの喫茶店に誘ったのも、いつまでもぐずぐすしていることの女々しさに気づいたからだった。たとえがまぐちをみて笑ったとしても、それはそれとして、栄子とはこれからもつきあっていきたかった。それでも本当に笑われたら、最初の彼女のときのように、二人のあいだにわだかまりが生じはしないだろうか。そんなことになったら………そのさきを考えると、暗澹とした気持におちいった。
 竜樹はおもいきって、がまぐちをもった手を、彼女にむかってさしだした。
「これ、おふくろからもらったんだ」
 栄子は、その特徴のある切れ長の目で、ながいあいだがまぐちをながめていた。
「おかしかったら、笑っていいよ」
 はやくも弱気が竜樹にめばえた。
 栄子は、ほほえんだ。それはこれまでの彼女たちとはどこかことなる笑顔だった。
「わたしも、田舎に暮らすお母さんを、おもいだしちゃった。わたしのお母さん、そのがまぐちみたいな口をしてるの。あつい唇でね、じぶんでも、がまぐちみたいってよくいってたわ。そのせいだかどうかはしらないけど、母さん、ルイ・アームストロングが好きで、よく彼の歌を聴いていたっけ」
 それが彼女のほほえみの意味だったとわかった竜樹は、どうしようもなくうれしくなった。
 ルイ・アームストロングが、やっぱりがまぐちみたいな大きな口をしていて、それでサッチモのあだ名がついたということは、ジャズに詳しくない竜樹も知っていた。
 このことはこんど、おふくろに出す手紙にかいてやろうと彼はきめた。そして栄子のことも、栄子のお母さんのことも、伝えるつもりだった。おふくろの名前が佐知子というので、これからはおふくろのことを、サッチモとよんでやろうかとも思った。
 竜樹は、それから栄子とあうときはもちろん、堂々とがまぐちをとりだすようになった。


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このストーリーに関するコメント

13/03/16 光石七

ジャズのことは全く分からないので、「サッチモ」というタイトルに使われている言葉がピンとこなかったのですが、最後まで読んで意味が分かりました。
母親思いの主人公と温かい心の持ち主の彼女に、こちらまでほんわかした気持ちになりました。

13/03/17 W・アーム・スープレックス

光石七さん、コメントありがとうございます。

人の顔にはいろいろ個性があって、とくに年配の方の顔には、人生が刻み込まれていて、興味深いです。同様に作品にもそれぞれ個性があって、どれもが独自の光をはなっているところが、たまらない魅力ですね。

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