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地球の裏っ側に、いるキミへ

13/03/09 コンテスト(テーマ):第二十五回 時空モノガタリ文学賞【 雛祭り 】 コメント:0件 おでん 閲覧数:1584

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 それは私が、助教授として初めての論文を書き上げ、ようやく一息ついた時分であった。夏まっ盛りのうだるような暑さの中、締め切りという名の重圧からようやく解放された私は、喧嘩の強い生徒会長にでもなったかのよう、気が大きくなっていた。
 今思えば、そのうぬぼれがまずいけなかった。
 昼、私が一人学食で、(たしか)二百九十円のカレーを食べていた時、
「ゴイッショ、イイデスか」
 そう、声をかけてきた者がいた。見れば、明らかな外国人が立っていた。胸には留学生に配られるバッチが付けてある。
「アノ、ゴイッショ、イイデスか」
「ああ、どうぞ」
 うぬぼれていた私は、笑顔で席をすすめた。たどたどしい日本語で話し、端正な目鼻立ちをしたキミは、私がそれまでに出会った中で、最も説明を必要としない女であった。私は気をひこうと無我夢中で喋った。そして二人の間柄は、その日をきっかけにだんだんと密になっていった。
 
 過去にはあのチェ・ゲバラを輩出した大学から、日本に建築を学びにきたキミは、この国のあるものに興味をもった。
 それはキミが、はじめてうちに遊びにきた時のことだった。
「ハダのイロ、チョット、チガイます」
 ベットの中で、キミは私の腕を持ち、自分のものを見比べてそう言った。
「イロはチガウノに、カンジルものはイッショです」
「それが、人間の面白いところだね」ようやくキミと進んだ関係をもてた私は、意気揚々と知識をひけらかした。「肌の色も住んでいる場所も違うけれど、でも人間は無意識の深いところでは、個人を超えて共通する心理的な仕組みを誰しもが持っているのだと、唱えた学者がいるよ」
 フフン、と、キミは独特な頷き方をして、本当に今の説明でわかったのかどうだか、まったくこちらを不安にさせるような空気をつくり、曲がりなりにも教職者の立場である私をちょっと不安にさせた。
 そして、
「ソウイエバ、ズット、コッチをミテマシタ」下着姿のまま、ベットからおりたって言った。「ミンナ、ズットコッチをミテマシタ」
 キミが興味をもったのは、心理学よりも、飾ってあるひな壇であった。うちにあるひな壇は大型屏風のついた三段飾りであるから、たとえ誰の目に触れたとしても恥をかくような代物ではなかったが、三月三日をとうに過ぎたその頃となっては、艶やかさよりも、だらしなさが際立っていけなかった。
「もう、しまわなくちゃいけないな」
「ドウシテデスカ? コンナにキレイなのに」
 私は日本のひな祭りを簡単に説明した。キミは女の子限定のお祭りという辺りにえらく興味を示して、ひな人形の中では、三人官女が特に気に入ったようであった。
「このヒトだけ、ホカのフタリとスコシ、チガイマスネ」
 近寄り覗いてみると、それは真ん中にいる盃を持った女官であった。
「ドウシテ、クチのナカ、クロクヌッテマス」
 私は、それは三人の中で彼女だけが結婚しているからだと教えた。
「ほら、よく見てごらん、眉毛もないだろう。これは昔の既婚女性の習慣なんだ」
 するとキミは、なにかを考え込むようにして黙ってしまい、やがてゆっくりと言葉を発した。
「じゃあ、あなたの奥さんも、こんな顔をしているんですか」
それは、今までのカタコトが嘘みたいに思えてしまうほど、流暢で綺麗な日本語であった。途端、私は、これまで抱いていた自信の全てを奪われてしまったような感覚に陥り、何も言い返すことができず、ただうな垂れていることしかできなかった。
 そんな私に、彼女は微笑を向けてから、こう続けた。
「サッキの、イシキのハナシ、イマ、チョット、ワカリマシタ」
 日本語は、またカタコトに戻っていた。
 
 
 キミが地球の裏っ側に帰ってから、早いものでもう十年の月日が経った。
 夕暮れ時、近所の松林にあたる陽が地に物憂げな影をよく伸ばす時、私はふと当時を振り返り、考えてしまうことがある。あの日、あの瞬間、私の耳に届いたキミの日本語が、どうしてあんなにも流暢で美しかったのか。それは未だに謎のままだ。
 でもこの歳になってようやく、分かったこともある。
 
 無意識にのうちにあるもの全てを、意識にのぼらせることが不可能であるのと等しく、
 地球の裏っ側にいるキミを、私の立つこの地まで、自らの力で引き上げることはできないのだ。

 今年も無事に、ひな祭りが終わった。
 地球の裏っ側にいるキミ宛てに、私はペンと紙を取らずに手紙を綴る。
 地球の裏っ側に、いるキミへ――。(了)


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