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W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

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ドクターT・Kの幸福なひととき

13/02/11 コンテスト(テーマ):第二十五回 時空モノガタリ文学賞【 雛祭り 】 コメント:0件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:1720

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 一番手薄な裏木戸にさえ、ふたつの錠がとりつけられている。
 ここの家人の用心深さがうかがえた。
 ドクターT・Kはたったいま、そのふたつとも、ピッキング道具を使ってあざやかに開錠したばかりだった。
 家族そろっての海外旅行で、全員留守なのは事前にたしかめてあった。
 それでもT・Kは、あたりに細心の注意をはらいながら、家屋内にしのびいった。
 すでに日はとっぷりと暮れ、明かりはT・Kが手にする、細身のライトだけだった。
 それにしても、大きな屋敷だ。
 先祖代々の地主で、そのうえまちの中心で総合病院を経営している名家とあっては、それももっともな話だった。
 次々とライトの明かりが照らしだす、贅をつくした木造づくりの、意図的に設えた黒光りの廊下、一階居間には囲炉裏も掘られ、頭上にはりめぐらされた自在鉤が釣り下がる重々しい梁も、この家の主が選びに選んだ銘木にちがいなかった。
 親しい客を招いて、囲炉裏をとりかこみ、美酒をくみかわす主たちの姿をT・Kはおもいえがいた。
 T・Kは、幅広い階段を、猫のようにしなやかな足取りであがりはじめた。
 泥棒の勘で、金庫は二階にあるとにらんだ。
 金庫には純金が保管されていることも事前に調べはついていた。
 廊下のつきあたりにみえる部屋の引き戸には、案の定、しっかり鍵がかけられている。
 鍵穴をのぞきこんだT・Kの目が、そのとききらりとひときわ光った。
 備えが厳重であればあるほど、T・Kはやる気に燃えた。
 どんな堅固な錠でも、必ず開けてみせる。
 その自信と誇りはだれにも負けなかった。
 同業の泥棒たちからドクターの称号でよばれるT・Kの、真骨頂がここにあった。
 T・Kは独自に開発した何種類ものピッキング道具をひろげると、ひとつひとつ鍵穴にさしこんではためしはじめた。
 鍵穴からひびいてくる、ガチャガチャという音の微妙なちがいに、T・Kは一心に耳をこらした。
 汗がひとすじ、額を流れ落ちた。
 鍵穴の奥から、カチャリという軽快音がひびくのは、それから30分がたってからのことだった。
 これしき、達成感など、おぼえるまでもない。
 お次は、金庫がまっているのだ。
 引き戸は滑らかに、すべるように開いた。
 その部屋に、金庫はなかった。
 おそらく、つきあたりの襖のむこうにあるものとおもわれた。
 T・Kは、足早にその部屋をとおりぬけようとした。
 壁の前におかれたなにやらきらびやかなものをライトはとらえた。
 T・Kは無視できずに、足をとめた。
 いったん民家に侵入したら、盗みの対象以外にはなにも目をくれないといういつもの戒めが、なぜかゆるんだ。
 それは、てっぺんが天井ぎわまである、絢爛豪華な雛飾りだった。
 金の屏風を背にして、こちらをみおろす男雛と女雛の、高貴なまなざしがT・Kをとらえた。
 艶やかに、微笑みかける三人官女。
 流し目をおくるのは、五人囃子たち。
 両側から肩をいからせる右大臣、左大臣。
 三人の武官姿は仕丁たち。立傘、沓台、台笠をもち、それぞれ怒り、泣き、笑い上戸のいわれあり。
 輝かんばかりのはなやかな装いのかれらの饗宴に、T・Kの気持ちはしらずしらずひきこまれていった。
 T・Kはそれからたっぷり一時間あまり、いつしかわれをわすれて桃の香りがつつみこむ雛飾りをまえにしてすごした。
 細いライトだけではものたらず、そのうちT・Kは危険をもかえりみず、内裏雛の両脇の雪洞をともして、そのあたたかな薄桃色の灯りのなかで雛壇をながめるようになっていた。
 ドクターT・K―――高遠和子はこのひとときのあいだ、おさない女の子にもどって、子供のころ家族とともに祝った楽しい桃の節句のおもいでに、盗みもなにも忘れて、こころからひたりつづけた。
 


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