入江弥彦さん

少年と夏と水中と工場と音楽、それから少年。 Twitter:@ir__yahiko

性別 女性
将来の夢 セーラー服の女児
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19/06/24 コンテスト(テーマ):第169回 時空モノガタリ文学賞 【 純情 】 コメント:1件 入江弥彦 閲覧数:169

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 初期衝動はもう残っちゃいない。
 六畳一間に彼女と二人暮らしをしていて貧乏ながらも幸せだ、と見栄を張りたいところだが、残念なことにこの部屋は四畳半しかないし彼女はつい先月出て行った。最初のころは大好きでたまらなかったはずだけど、最近では狭い部屋に一緒にいるのが苦しくて、いつになったら就職するのと言いたげな視線に耐えかねていたからちょうどよかった。
 一息ついてギターを鳴らすと隣の人が壁をたたく音が聞こえる。うるせえ、よそでやれ、そんな無言のアピールに言い返せるほど強気に生きてはいない。ボロボロのケースにギターを詰めて家を出ると、雨が降っていた。
 全部全部、ついていない。なんにもついていない。きっとこれからも俺が出かける日は雨だし、寝込んだ日には快晴だろう。傘を差そうと思って、花柄の女物しかないことに気がつく。元カノが置いていったものだ。すぐそこのコンビニでビニール傘を買っても良かったけれど、傘を買う金があるのなら今日の夜ご飯を買いたい。三秒ほど悩んだ結果、俺は元カノの傘を持って家を出た。
 無精ひげを生やした長髪のおじさんが花柄の小さな傘を差している。いや、おじさんというには俺はまだ若いだろう。小学生から見ればおじさんかもしれないが、二十歳から見たらお兄さんだ。高校生から見たらどう見えるかは知らない。お仕事は何をされているのですか、ご結婚はされていますか、そんな風に聞かれてもおかしくない程度のおじさんだ。
 雨はそこまで強くないからと、川を目指して歩き出す。これが暴風雨だったのなら利用者の少ないバス停なんかを選んでいたかもしれないけれど、過去に二度ほど通報されているから、バス停は避けたかった。川は雨を受けてリズムを刻むように波打っている。それを横目にして大きな橋の下に入って傘をたたむ。雨がやんだら、この傘はここに捨てていこう。そう考えながらアコースティックギターを構えて歌い始めた。
 最新のヒットチャートでも、懐メロでもない。二年前に俺が作った曲で、半年前に他の誰かがデビューに使った曲だ。
「それって、ケントの曲?」
 俺のうたを遮るように、高い声が響いた。その方向を見ると、頭から足先までずぶ濡れの高校生が立っていた。近所の女子高生のようで、最悪だーなんていいながら水滴を払っている。俺の視線に気がつくと、もう一度、ケントの曲でしょと繰り返した。
「馬鹿言うな、俺の曲だよ」
「え、嘘だあ。ケントの曲だよ、私ファンだもん」
 できることならば聞きたくない名前を耳にして、俺は顔をしかめる。しっしと追い払うように手を振るが、彼女は臆することなく俺に近づいてきて目の前に腰を下ろした。スカートが太ももに張り付いている。
「そんなとこ座るもんじゃない。汚れるぞ」
「もうどうせ洗うし、ていうか、ケント好きなの?」
「大嫌いだよ」
「どうして? ケントの曲歌ってたじゃん」
「俺の曲だって言ってるだろ」
 彼女は首をかしげてから、私は千絵、と自己紹介を始めた。高校二年生で、今は部活の帰りだという。どうでもいい情報だと思いながら弦をはじくと途端に千絵は黙った。聞く姿勢に入った彼女に驚きながら、他のオリジナル曲を歌ってやる。これはまだ世に出ていないものだ。やかましい女子高生相手といえど、俺の音楽を聴いてくれるというのは悪い気がしない。
「すご……プロじゃん……」
 曲が終わってからそう呟いた千絵が拍手をして立ち上がる。プロならこんなとこにいないし、四畳半のアパートには住まない。そう返す前に彼女が時間を確認してアッと声を上げる。
「もういかなきゃ! また来るね!」
 慌ただしく帰って行った彼女に、傘を貸してやれば良かったと思ったのはその背中が見えなくなってからだった。
 家に帰ってひげを剃った、それから、髪も少しだけとかした。晴れの日は公園に行っていたけれど、前と同じ時間に橋の下に行くようになった。千絵は来たり来なかったりだったが、来ると必ず喜んでくれた。
 そんな日々がしばらく続いたある日、千絵が深刻そうな顔をして口を開いた。
「ねえ、ケントの曲さ」
「俺の曲だな」
「あれ、本当だったんだ」
 千絵がそう言って、新曲の試聴だというものを流し始める。間違いなく、出会った日に俺が演奏した曲だった。
「ケントは、昔のバンド仲間だよ」
 ショックを見せないように短くそう言うと、千絵が大粒のなみだとを流し始めた。
「おかしいよ、そんなの。ケント、ひどくない?」
「売れた方が正義だから」
「でも、おじさんのものだよ」
 元カノにこの話をしたとき、彼女はなんと言っただろうか。もうそんなことは思い出せなくなっている。
 泣き続ける千絵を見て女子高生から見た俺はおじさんだろうか、お兄さんだろうか。そんなくだらないことを考えた。


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このストーリーに関するコメント

19/07/16 タック

拝読しました。
「売れた方が正義」その言葉は真実ではありますが、同時に誤りでもあると作品を読んで感じました。
最後の一行に、これからの二人の行く末が示されているような気がします。
大変面白かったです。読ませていただき、ありがとうございました。

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