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土井 留さん

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ラセツ

19/06/15 コンテスト(テーマ):第169回 時空モノガタリ文学賞 【 純情 】 コメント:3件 土井 留 閲覧数:181

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 純情‐計算を抜きにして、相手を信じて疑わない気持ち(様子)‐『新明解国語辞典』第7版

1936年2月26日午前10時頃、陸軍大臣官邸内

 磯部浅一は得意の絶頂にあった。
 若手陸軍将校の一団は、日本を蝕む元凶をまさに一掃しようとしていた。
 私利私欲に走る政党政治家、資本家と手を組んで日本を食い物にする軍閥の領袖、そして宮中で専横を極めた奸臣たちが、仲間とその部下たちによって次々に殺された。
 首相官邸は血に染まり、陸軍省と警視庁はあっけなく制圧された。日本の政治中枢は今や彼等決起部隊の手の内にあった。
 軍籍を追われた一民間人に過ぎない浅一が、仲間とともにしたためた決起趣意書を手に、陸軍大臣官邸で軍の高官と直談判した。実質的に日本の陸軍を動かしてきたエリート将校たちは陸軍省や参謀本部から締め出された。中心的な将校の一人、陰謀家の片倉衷少佐は自ら銃撃して打ち倒した。
 勇将真崎甚三郎大将、陸軍大臣の川島義之大将は、以前から革新運動に好意的だった。その真崎が先ほど車で現れ、「お前たちの心はヨオッわかっとる。ヨオッわかっとる。」と言葉をかけて行った。
 決起趣意書が天皇陛下のお耳に達すれば、我々の赤心を分かって下さるに違いない。陛下は佞臣のせいで身動きが取れないのだ。大御心が正しく伝わっていれば、社会が悪くなるはずもない。全ては軍閥と奸臣のせいである。君側の奸を一掃すれば陛下はお喜びになり、我々の国を思う気持ちに応えてくださるだろう。御稜威はあまねく全土に行きわたり、外敵は一掃され、日本は世界を導く理想世界となる。
 昭和維新は成功同然と思えた。

同日午前9時頃、陸軍大臣官邸正門

 「ついにやったか。お前たちの心はヨオッわかっとる。ヨオッわかっとる。」
 声をかけると、旧知の大尉の階級章を付けた小太りの男が顔を真っ赤にして敬礼した。
 車窓を閉め、陸軍大将真崎甚三郎は忙しく思考を働かせた。
 真崎は過激思想の持ち主を手元に何人も飼ってきた。「彼らの言い分も聞いてやらねばならない」「要求を呑まないと彼らが何をするかわからない」といった具合に、反対勢力を威圧する道具として彼等を使ってきた。しかし、ここ何年かの間に、若手の陸軍将校は真崎ですら持てあますほどなっていた。
 決起将校たちが真崎を担ぎ上げて暫定政権を作ろうとしていることはほぼ間違いない。しかし、クーデターが無残な結果に終われば、真崎は反乱の精神的支柱として責任を問われるであろう。決起将校たちの取り扱いを誤れば、最悪の場合殺されてしまう危険すらある。
 できるだけ穏便に事を収めるべきである。皇軍が敵味方に分かれて戦うことはあってはならない。そうなってしまえば陸軍の威信は地に落ちるであろう。また、決起将校が断罪されるようなこともあってはならない。そうなれば真崎の政治的影響力に傷がつき、政治の中枢に戻ることは難しくなるだろう。
 正念場だ、と真崎は思った。

同日午前9時30分、宮城

 陸軍大臣川島義之が事件の経緯を天皇に奏上し、青年将校たちから手渡された決起趣意書を読み上げた。
 「何故にそのようなものを読み聞かせるのか。」
 天皇裕仁の語気は荒かった。
 青年将校達が強く非難したのは、いずれも彼が深く信頼する人物であった。
 国賊とされた元老西園寺公望は、天皇裕仁の最も重要な相談相手であり、同じく標的となった牧野伸顕は若い天皇にとって政治の指南役である。銃撃されて生死不明の鈴木貫太郎侍従長は私的にも縁が深く、その妻タカは裕仁幼少期の養育係であった。
 この者たちは朕の手足をもごうとしている。
 牧野や鈴木が標的とされた理由は明らかであった。1931年の満州事変以来、重臣たちは彼の意をくんで陸軍の暴走に歯止めをかけようとしてきたのである。
 「岡田総理が倒れた今、速やかに彼に代わる内閣が必要と思われます。」
 腹の中に怒りが渦巻いたが、彼はむしろ無表情に川島陸相の奏上を聞いた。
 「陸軍大臣はそういうことまで言わずともよかろう。それより叛乱軍を速やかに鎮圧する方法を講じるのが先決要件ではないか。」
 今組閣を命ずれば、決起部隊の強い影響のもとで暫定政府が成立し、クーデターは実質的に成功してしまう。川島陸相の後にも組閣を進言するものが訪れたが、彼は粘り抜いた。
 新内閣の組閣は不可、現内閣のもとで叛乱を鎮圧する。
 彼は内務大臣後藤文夫を首相臨時代理に任命し、事態の収束を命じた。
 「速やかに暴徒を鎮圧せよ。」

 2.26事件は昭和天皇の断固とした鎮圧方針により4日間で鎮圧された。首謀者格の磯部浅一は同志から1年遅れて1937年8月19日に処刑された。獄中で手記を残し、昭和天皇に対する壮絶な恨みの言葉を残したことで知られる。


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このストーリーに関するコメント

19/06/15 土井 留

参考資料
高橋正樹『二・二六事件‐「昭和維新」の思想と行動』増補改訂版、中公新書、2009年
筒井清忠「二・二六事件‐挫折した「国家改造」クーデター」『解明・昭和史‐東京裁判までの道』第7章、朝日選書、2010年
伊藤隆ほか『二・二六事件とは何だったのか‐同時代の視点と現代の視点』藤原書店、2007年
文春新書編集部編『昭和天皇の履歴書』文芸春秋、2008年
太平洋戦争研究会編、平塚柾緒『図説2・26事件』河出書房新社、2003年

19/07/06 タック

拝読しました。
磯部浅一という人物は二・二六事件の首謀者なのですね。浅学ながら知りませんでした。
非常に興味深い内容でした。読ませていただき、ありがとうございました。

19/07/07 土井 留

タック様
コメントありがとうございます。
この磯部浅一という人は、2.26事件を起こした人々の中でも、ひときわ個性的で影響力のあった人です。ただし、事件の首謀者各の人は複数いますので、あくまでそのうちの一人にすぎません。
磯部はこの事件の黒幕と言われた民間の右翼思想家、北一輝と最も接触の多かった人なので、政治参謀格、とでもいうべき立場にいました。

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