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秋 ひのこさん

歯について考える時、右と左がよくわからなくなります。右奥だっけ、左奥だっけ。虫歯が絶対にあると思われるあの場所を伝えるべく「ええと、右です。そして上な気がします」と言ったら先生が「うん、上は上でも左ですよね」とか言う瞬間が恥ずかしいので、虫歯は放置しているような人間です。 ……ということも言ってられず、ついに虫歯を治療しましたところ、ちっとも奥歯の不快感が消えてくれないので、「先生、虫歯を見落としていませんか。虫歯がまだ残っていると思われます」と大変失礼なことを尋ねてみましたら、「それ、本当に歯が痛いのですか。歯茎は少し腫れていますが、本当に歯ですか」と逆に聞かれ、やっぱり恥ずかしい思いをしました。こんにちは。 

性別 女性
将来の夢
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メスのホンノウというやつ

19/06/07 コンテスト(テーマ):第169回 時空モノガタリ文学賞 【 純情 】 コメント:0件 秋 ひのこ 閲覧数:69

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 冴島先生は、セイブツガクテキ魅力に満ちている、とフーコは思う。

「主君の敵を討つべくここで秀吉が中国からすっとんで戻ってきたわけだ。すごいだろ、早いだろ、ありえないだろ」
 秀吉の中国攻めのあたりから、冴島教諭はいつもに増して熱い。本能寺の変でやられてしまった信長そっちのけでやたら秀吉を語る。
 10月に入ったというのに空気はまだ熱を帯び、冴島は片手にチョーク、片手に団扇で授業にのぞむ。白シャツから伸びる日に焼けた二の腕は、筋張って無駄な肉がない。眼鏡の奥の小さな目も、無精髭も、少し高めのかすれた声も、いいと思う。43歳の男の何もかもが、17歳のフーコにとっては、セイブツガクテキ魅力の固まりなのだ。
 
「長島君、女子アナと密会だって。ありえない」
 昼休み、さおりんが机に突っ伏した。真っ黒のおかっぱ頭に、窓から燦々と光が注ぐ。
 歌って踊れて演技もできる『長島君』はさおりんの、ひいては国民のアイドルだ。フーコたちより5つ上の22歳。
「相手、28のババアだよ。身の程わきまえろっての。厚かましい」
「まあ長島君もオトコだからさ、応援してあげようよ」
 よしよしと温まったおかっぱを撫でてやると、その手を振り払うように勢いよくさおりんが顔を上げた。
「フーコは冴島に奥さんがいるのもいいわけ」
 手を引っ込め、「当たり前」と涼しい顔で応じる。 
「もし冴島がフーコと不倫してもいいって言ったらどうすんの」
「げ。そんなのありえない、キモイ、オエッてなる」
 さおりんが、眉をひそめた。
「それって好きって言えるの? あたし、長島君がたとえ『はれんち』なこと言っても少なくともオエっとはならない」
「そういうんじゃないんだなあ」
「じゃあ何」
「んふふ」
 にまにまと笑うフーコを、さおりんが訝しげににらむ。
 冴島は、鑑賞対象であればそれでいい。あの腕とかもう、同い年の男子には到底出せない何かがある。オンナのほんのうがうずくのだ。
 自分の言葉のチョイスに、フーコはますますニヤける。
 テレビの中のアイドル、アニメのヒーロー、戦国の覇者同様、憧れが胸を満たす。届かないからこそ、この恋は安全で尊い。
 
 秋がこないまま衣替えをし、中間テストが終わった。ひとりひとり名前を呼ばれ、教壇まで採点済みの答案用紙を取りに行く。
「野田、よくがんばったな。すごいじゃん」
 声に気持ちはこもっていたが、冴島の視線は手元に落ちたまま一瞬たりともフーコに向かず、フーコは少しがっかりする。
 97! と右上に書かれた冴島の力強い字を見つめながら席に戻る。背後で次の生徒が呼ばれた。
「長谷部ぇ、お前もうちょっとがんばれよー。俺の秀吉の名前を間違えるとは何事だ」
 長谷部愛子がけらけら笑う。えー、だって豊川秀吉の方がそれっぽいじゃん。それっぽいって何だ。あとな、答えがわからんからって変なメッセージ書くな。いーじゃん、ほんとはセンセー楽しみでしょ、あたしの採点。
 冴島が腕を伸ばし、長谷部の頭を大きな手のひらで鷲掴みするようにぐしゃりと乱す。オッサンのくせに細くてきれいな指。切り揃えられた爪。きゃははと笑う長谷部。フーコは目をむいて胃がひっくり返りそうになる。阿呆の方が構ってもらえるなんて、不公平だ。
 すぐさま、後ろの席のさおりんからメモがまわってきた。
『秀吉に詳しい方が絶対いいって。今度、秀吉のこと語りに行きなよ』
 秀吉のことを語りに行く。
 なんだそれ、と思ったが、ありかもしれない、とも思う。
 そんなわけで、今日もフーコは冴島の腕まくりされた白シャツから伸びる二の腕に熱い視線を送る。若干脂ぎって日焼けした顔をうっとりと見つめる。秀吉の天下は終わり、徳川家康がやってきたが、ウィキペディアで秀吉の生き様を暗記中だ。
 さおりんは、長島君から別のアイドルに鞍替えし、必死で基本知識を勉強中。
 高校生活、最高だ。



「そこで秀吉は高松城から山崎まで怒涛の勢いで戻ってきたの。天下の中国大返し! すごいでしょ、早いでしょ、ありえないでしょ」
 大阪城を前に、フーコが中学生に力説する。
 秀吉が建てた大阪城(現在の姿は、江戸幕府が再建したもの)を修学旅行のコースに圧したのは、他でもないフーコだ。
 オッサンの社会教師にそこはかとなく愛を感じていた時代は、フーコにとって黒歴史。だが、そのおかげで立派な「歴女」となり、自らも社会教師となって熱弁をふるう日々である。
「野田先生、楽しそうですねえ」
 引率の広原が日差しに目を細め、腕を組んだ。26歳、国語教諭。白シャツから出た筋張った二の腕。薄い背中にそびえる大阪城天守閣。
 セイブツガクテキ魅力にオンナのほんのうがうずく。
 野田風子、35歳。彼氏なし。
 秀吉と広原(鑑賞目的)がいれば、教師生活も、最高だ。


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