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冬垣ひなたさん

時空モノガタリで活動を始め、お陰さまで5年目に入りました。今まで以上に良い作品が書けるよう頑張りたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。エブリスタでも活動中。ツイッター:@fuyugaki_hinata プロフィール画像:糸白澪子さま作

性別 女性
将来の夢 いつまでも小説が書けるように、健康でいたいです。
座右の銘 雄弁は銀、沈黙は金

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妙味は、ひとしずく

19/05/20 コンテスト(テーマ):第168回 時空モノガタリ文学賞 【 レシピ 】 コメント:0件 冬垣ひなた 閲覧数:166

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 惣菜屋『ふるさと』は、駅前にあるテイクアウト専門の小さな店だ。几帳面な店主の人柄通り、清潔な店内には和洋中でコーナー分けされた手作りの惣菜が並んでいる。レジ前には、混ぜご飯やおにぎりも取り揃えてあり、夕方の時間帯は年配の主婦や子連れのママが来店して賑わう。
「ただいま」杏奈が高校から帰ってくると、父の恭平は品出しをしている所だった。白いコックスーツで快活に働く顔には、笑い皺が刻まれている。杏奈は、住居である2階に上がり制服を着替えた。『笑う門には福来たる』は、物心つく前に病で死んだ母の口癖だったそうだ。髪を結わえ直した杏奈が鏡に向かって笑うと、母の菜々美と同じえくぼができた。
 杏奈が店舗のある階下に再び降りると、恭平は待ちかねたようにエプロンを渡す。
「しばらく店番を頼む。明日の仕込みがまだなんだ」
「その代わり、あとで話があるんだけどな」
「小遣いの値上げか?」
「違うよ、進路の事」
「そうか。もうそんな時期になったか」
 感慨深そうな眼差しで娘を見つめてから、恭平の姿は店の奥へ消えた。
「杏奈ちゃんも大変ね。恭平さんは味にうるさいから」
 馴染みの客の言葉に、杏奈は肩をすくめた。
「私、厨房へ入らせてもらったことがないんです」
 厳選した調味料と旬の野菜をふんだんに使い、手間暇かけて調理された惣菜の味は、スーパーとは比べ物にならない美味しさだと評判がいい。その代わり、父の調理法は一風変わっていた。
 父は『ふるさと』の味を秘伝にするつもりはないらしく、尋ねられればレシピを渡している。ところが、それを見てたじろく客が後を絶たないのである。

『水:821mlに対し、醤油:84ml』
『みりん:38ml、砂糖13g』
『22分54秒、きっちり煮込む』

「お父さん、いくら何でも細かすぎよ。もっと分かりやすくしたら?」
 何度も杏奈は言ってみたが、これだけは譲れないらしく、恭平には悪戯っぽい笑顔でかわされる。あるいは本当に客を驚かせ楽しんでいるのかもしれなかった。
 とはいえ、父の作る惣菜はどういうわけか、誰もがその味を懐かしがるのだった。
「不思議ね。筑前煮が、故郷でよく食べた味に似てるのよね」
「この酢豚、何だか初めて食べた気がしなくて」
「いろんなレシピサイトを試したけど、ここのはまるでママの味みたい」
 杏奈には、母の手料理の記憶がない。『ふるさと』に来る客が、家庭の食卓を思い出してくれると、我が事のように嬉しい。進路希望の空欄は、そのためにあるような気がする。


 閉店後、夕食を済ませると、杏奈は改まって進路希望の用紙を見せた。
「迷っているのか? 行きたい大学があるんだろう」
「店が、このままでいいのかなって思っちゃって」
 父はしばらく考えた後、リビングを離れた。戻ってきたときには、一冊のノートと布の包みを抱えていた。
「何、これ」
「レシピの秘密」
 恭平がテーブルに布を広げた。
 100円ショップで売っていそうなおたまや目盛りのないカップ、大小さまざまなスプーンなどありふれたキッチン用品の数々が、杏奈の前に置かれる。
「菜々美が調味料の計量に使った、形見だ」
 母の名前が突然に出て、杏奈は上手く言葉が見つからなかった。
「何というか、菜々美は直感で料理をするタイプだった」
 恭平は照れ臭そうに頬を掻く。
「計量カップやキッチンスケールを嫌がって、その辺のものを適当に使って目分量で、いつも惣菜の味付けをしていたんだ。それでいて抜群に美味いんだから、天才だったんだろうな」
 母が書いたというレシピノートには、『だし汁:ボール1杯分』や『本を30ページ読み終えるまで煮込む』だったり、『情熱的な火力で炒める』など独自の表現が並んでいて、杏奈はうろたえてしまう。
「やっぱり困るだろ? そこで俺が、菜々美の味を再現するために数字で置き換えたんだ。今にして思えば、その直観力が美味しさの秘密だったわけだが」
「でも、私にまで内緒にしなくたって……」
「この事を知れば、お前は絶対店を継ぐって言うだろう? 『あたしが死んで、娘の未来が限定されるなんて嫌だからね』って、将来を決める年になるまで言わないと、菜々美に約束されられたんだ」
 残されたレシピノートの最後は、こう締めくくられていた。

    ≪後悔しない人生のレシピ≫

  甘さ:たっぷり   ほろ苦さ:少々
  酸味:お好みで    塩分 :ひかえめに

  振り向かないで、
  あたしはあなたの前を走ってる。

 
 古ぼけたおたまを手にした杏奈の脳裏に、一緒に食卓を囲む菜々美がおぼろげに浮かぶ。今も変わらない母の味を、遠い記憶の中にようやく見つけ出せた。
 乾いたおたまは幾つもの未来をかき混ぜるように、目から溢れ出た雫を受け止めて、杏奈の答えを待っていた。


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