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文月めぐさん

第144回時空モノガタリ文学賞【事件】にて、入賞をいただきました!拙い文章ではありますがよろしくお願いします。コメントもできるだけ書いていこうと思います。Twitter→@FuDuKi_MeGu

性別 女性
将来の夢 作家
座右の銘 失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければ、それは成功になる。

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父のレシピ――隠し味は一粒の涙

19/05/20 コンテスト(テーマ):第168回 時空モノガタリ文学賞 【 レシピ 】 コメント:0件 文月めぐ 閲覧数:178

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「大学受かった」
 父に一言メッセージを送信すると、すぐに「今からお祝いしよう」と返ってきて、俺は自転車にまたがった。父は、俺と母さんの住む家から自転車で十分くらいのマンションにいる。両親は離婚してしまったが、父のところには頻繁に訪れている。
「合格おめでとう。いつもと変わらないが、ラーメン作るか」
 ドアを開けると、柔らかい父の笑顔と暖房のぬくもりが迎えてくれた。大好きな父が作るラーメン。「タカの好きな味玉もあるぞ」と俺の頭にぽん、と掌を乗せた。高校を卒業するというのに、父にとって俺はいつまでも子どものままだ。一緒に住んでいないから、父の中で俺は成長していないのかもしれない。

「実はさ」
 急須から注いだお茶が入った湯飲み。その温度を感じながら、ようやく話を切り出した。俺の俯いた顔を父が覗き込む。茶色がかった父の瞳は、どこまでも深い。
「母さんが再婚するんだって」
 一息に言い切っても、俺の気持ちは全く晴れなかった。父の顔が見れない。丼に残ったスープに情けない顔が映っている。そんな俺の頭上から「そうか」という呟きが降ってきた。丼を持って父は立ち上がっていた。
「もうここへ来るのはやめなさい」
 キッチンへと消えていく父の背中からは何の感情も読み取れない。
「新しい父親とうまくやるんだぞ」
 父が放った「父親」という言葉は、やけに白々しく聞こえた。

 母はとことん俺を驚かせたいらしい。
「孝行、あなたに妹ができるの」
 つまり母は妊娠しているということで、父親は再婚相手ということだ。新しい父親、生まれてくる妹、これからの人生を謳歌しようという母親。
 俺の居場所は、ここにはない。
 呆然としたが、反論することを俺は諦めた。大学は家から充分通える距離だが、ここを出よう。選んだアパートは古びているが、家賃は抑えたい。家具も必要最低限。そして、入学前にしておくべきことがあと一つ。俺はスマホを手に取って、唾をごくりと飲み込んでから電話をかけた。

 父は先日とは打って変わって眉間に皺をよせていた。その顔にはうっすらと無精髭が見え、顔色が悪い。玄関の隅に投げられたごみ袋にはビールの空き缶が詰まっていた。
「ラーメンのレシピを知りたいんだな」
 電話で伝えた内容を繰り返して、がしがしと頭をかきながらキッチンへ案内してくれた。もうこの部屋には来ないから、代わりにラーメンのレシピを教えてほしい、と事前に頼んでいた。
「タカは昔からラーメン好きだったもんな」
 父は苦い表情をしながらも丼と醤油、オイスターソース、麺つゆなどの調味料を準備し始めた。丼に注がれる調味料。それと同時に中華麺をゆでる。
「分量はメモしといたから、後で渡すよ」
 無言でうなずき、息を吸い込む。
「一人暮らしすることにしたんだ……だから、一人でラーメン作りたくて」
「そうか」
 言い訳のような言葉に、父の返答は一言だった。
 丼に入った調味料をお湯で溶かし、麺を入れる。乗せる具材はその都度変わるが、絶対に忘れてはならないものがある。
「タカの好きな味玉、レシピ用意したから」
 にやりと笑った父に、俺もやっと頬を緩ませることができた。
 二人で各々の丼を持ち、テーブルに置く。きっと父との最後の食事だ。話したいことはいっぱいあるはずなのに、言葉は喉に詰まって全く出てこない。麺を無理やり胃に押し込んでいるような気分だ。二人だけの空間は、ラーメンのすする音で埋められていく。ようやく出てきたのは言葉ではなく、一筋の涙だった。
「何泣いてるんだよ」
 うろたえる父を前に、俺は嗚咽を漏らすことしかできない。そんな俺の頭に、大きくて優しいぬくもりが伝わってきた。父の掌だ。
「大丈夫だ、うまくやれる」
 「うまくやるんだぞ」ではなく、「うまくやれる」。
 一粒の涙が丼の中に音もなく落ちる。再び箸を持ち、ラーメンをすする。涙を流した分だけ胃に隙間ができたような感覚に陥る。温かいスープは先ほどよりも優しく、懐かしい味がした。
 
 玄関のドアを閉めるとすぐにひんやりとした風が吹きつけてきた。澄んだ空気とその香り。夜の冷気は俺の思考をクリアにした。
 先日訪れた時にはなかったビールの空き缶。
 普段お酒を口にしない父。
 やつれた表情、くたくたのセーター。
 俺はそれらの意味を考えようとして、無駄なことだと悟った。
 父の字で書かれたラーメンと味玉のレシピをコートのポケットにしまうと、自転車のペダルをぐっと踏み込む。もうここまでの道のりを思い出すこともないだろう。


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